前編
商品を一つに絞る決断──『ビーバー』集中戦略が生んだ成長。
第124回放送
北陸製菓株式会社 代表取締役社長
髙﨑 憲親さん

Profile
たかさき・のりちか/1992年、石川県金沢市生まれ。金沢西高等学校を卒業後、東海大学に進学。2015年、『北陸製菓株式会社』(創業は1918年。金沢市押野。ビスケット・クッキーなどの焼き菓子、米菓の製造・企画・販売を手掛ける)に入社。生産部、営業部、企画部、経理部を経て、2018年12月、代表取締役社長に就任。
北陸製菓株式会社のWebサイト
| Tad | 原田さん、石川県内も1月、2月とたびたび大雪に見舞われましたね。そういう時は、あんまり外に出ないですよね。 |
|---|---|
| 原田 | そうですね、あったかくして家にいたいものです。 |
| Tad | こたつに入って映画でも見て、「ビーバー」でも食べながらね。 |
| 原田 | それ、最高ですね! |
| Tad | 「ビーバー」はいまや石川県だけじゃなく、全国的に有名なお菓子になりました。今回のゲストは「ビーバー」でおなじみの『北陸製菓株式会社』代表取締役社長、髙﨑 憲親さんです。 |
| 髙﨑 | よろしくお願いいたします。 |
| Tad | ところで『北陸製菓株式会社』は今、本当に「ビーバー」が大ブレイクして、全国的にも知名度がすごく上がったと思うんですが、創業は1918年なんですね。老舗じゃないですか。 |
| 髙﨑 | ありがとうございます。 |
| Tad | 創業当時はどういうものを作っていたんですか? |
| 髙﨑 | 『日本あられ株式会社』として創業しまして、米から作られる米菓というものを製造していました。 |
| Tad | それが100年以上続いて、多分作られているものっていうのも紆余曲折の変化があったかと思うんですが、どのような変遷をたどってこられたのでしょうか? |
| 髙﨑 | 米菓から始まった会社ですが、1925年に今の社名に変更しまして、そこからビスケット、クッキーなどの焼き菓子の生産を開始しました。 |
| 原田 | ビスケット、クッキーもおいしいですよね。 |
| 髙﨑 | ありがとうございます。 |
| Tad | 「HOKKA」って書いてあるのもおいしいですよね。 |
| 原田 | そう!「ハードビスケット」とか。100年以上前に創業されて、髙﨑さん自身は何代目になるんでしょうか? |
| 髙﨑 | 8代目の社長になります。 |
| 原田 | そうなんですね。脈々と継がれていらっしゃるんですか? |
| 髙﨑 | 髙﨑家が続くのはわたしで3代目になりまして、創業家から5代目の方までは血筋も全く繋がっていない社長さんでした。 |
| Tad | そうなんですね。今有名になっている「ビーバー」はいつ頃から作られているんでしょうか? |
| 髙﨑 | 実は「ビーバー」は1970年に『福富屋製菓』という会社で発売されまして、その次に『福屋製菓』という会社にこの事業が引き継がれるんですが、なかなか売れ行きなどが上手くいかないところがありまして、2013年頃に「ビーバー」がなくなってしまうんです。そこで地元のみなさまからの復活を望む声や、「ビーバー」を取り扱っていた会社さんの商品を残していきたいという熱い思いをわたしたちが引き継がせていただいて、2014年から『北陸製菓株式会社』が「ビーバー」を復活させたという流れになります。 |
| Tad | 意外と最近の話なんですね。 |
| 原田 | そうですね。そういえば復活するというような話を新聞か何かで見たような記憶がありますね。それだけ熱烈なファンがいるお菓子であったということなんでしょうか? |
| 髙﨑 | 北陸3県を中心としたみなさまにとにかく愛していただいていた商品と言いますか、根強いファンの方がすごくたくさんいらっしゃいます。今言っていただいたように、新聞の記事になるくらい、復活を望む声が多く挙がっていました。 |
| Tad | なるほど。そこに『北陸製菓株式会社』が名乗りを上げて。でも今や「ビーバー」は大変売れ筋の商品じゃないですか。 |
| 原田 | ねぇ! |
| 髙﨑 | ありがとうございます。 |
| Tad | やはりきっかけがあったんですか? |
| 髙﨑 | 社長に就任した次の年、2020年がちょうど「ビーバー」50周年でしたので、そこに向けて社員でビーバーの盛り上げにかかった、というところですね。 |
| 原田 | いろいろ戦略を練って? |
| 髙﨑 | そう動いていたところ…ご存じの方もいらっしゃいますが、NBAの八村 塁選手にインスタグラムで取り上げていただけて、一躍全国に認知が広がったんです。すごく幸運な出来事でした。 |
| Tad | それくらいおいしいですからね。 |
| 原田 | そうですよね。ところで、そもそもこの「ビーバー」って、いわゆる動物のビーバーがキャラクターになっていますが、「なんでビーバーなのかな?」ってときどき思うんですよ(笑)。 |
| 髙﨑 | 1970年に開かれた大阪万博のカナダ館にビーバー人形が飾られていたんです。そのビーバー人形の歯の形がお菓子2つを並べた形に似ていたということで、ビーバーという名前になったという理由があります。 |
| 原田 | なるほど、前歯の2本ということですか?それが縦にお菓子を並べたものに似ていると。しかし、それを商品名にしようって、すごいひらめきですね。インパクトがありますよね。 |
| Tad | ネーミングも含めて愛されているような感じがしますね。八村選手のインスタグラムをきっかけにして「ビーバー」が大ブレイクすることになりましたが、『北陸製菓株式会社』としてはどこまで狙ってたんですか? |
|---|---|
| 髙﨑 | 当時、「ビーバー」誕生50周年を迎えようとしていて、北陸3県を中心に育てていただいたことによって、ここまで会社が存続しているということをまず社内で共有しました。「ビーバー」は北陸3県のお米で作られていますが、その時に、この「ビーバー」をうちの米菓という商品の中でも本気で推していこうと、二十数アイテムあった米菓を「ビーバー」のみに絞ったんです。そして、今の若い方にも認知していただくためにSNSの戦略や、着ぐるみを作ってマスコットキャラクターとしてブランディングしていくことなどに注力していった背景があります。そこに、本当に運良く、その半年後ぐらいに八村選手の効果が合わさったんです。 |
| Tad | それは会社として狙った結果だったんですか? |
|---|---|
| 髙﨑 | 僕たちの狙いとしては、やはりお菓子を全国のみなさんにおいしく食べていただきたいという思いがあったんですが、プロモーションも商品開発も、とにかく北陸に特化するということを念頭に置きました。そうすることによって、北陸出身の方や、北陸にいらっしゃった著名人の方に親しんでいただいて、「北陸のソウルフード」というような立ち位置にまで育て上げるということが、全国に知っていただく一番の近道なのではないかと結論付けました。とにかく、わたしたちは北陸にこだわった商品開発、プロモーションを意識しています。 |
| 原田 | すごい決断ですよね、それ以外の米菓のアイテムをなくすというのは… |
| Tad | 二十数アイテムもあって…それがしかも社長就任から翌年にかけての出来事ですよね? |
| 髙﨑 | そうですね。社長に就任して2か月ほどの頃に商品を絞り込むことを決めまして、そこから数か月の間で予定通り商品を絞り込み、「ビーバー」の着ぐるみを準備し、SNSなどを開設して、「さあ、いくぞ!」と始めた2か月後に八村選手の出来事があったんです。 |
| 原田 | 売り場から「白えびビーバー」が一時消えましたもんね。「あれ?売ってないよ」という事態になりましたもんね。 |
| Tad | 歴史ある会社が二十数アイテムあった商品の製造を「もうやめる」という決断について、先代の社長の反応はいかがでしたか? |
| 髙﨑 | 「ビーバー」だけでなく、北陸で10年以上親しまれているお菓子も多くありましたので、「もっと他の商品も伸ばせるだろう」とも言われましたし、前向きに「わかった」とスムーズにはいかなかったですね。 |
| Tad | でも、最終的にはそれが功を奏したわけですよね。主力商品として全国的な認知になったというのはすごいことだと思うんですが、経営資源を「ビーバー」に集中させようというその思いはどこから来たんですか? |
| 髙﨑 | 北陸でのプロモーションや商品開発においてどこに一番力を入れていけるかを考えながら社員と米菓のアイテムをいろいろ見ていくと、50年という商品の年数だけでなく、当時から「ビーバー」っていう不思議な名前と、50年前からこのパッケージに記載されているかわいいキャラクター、この部分でSNSやいろんなところで活躍させられるんじゃないか、発信できるんじゃないかと考えました。「他にも商品があるだろう」ということを言われて、さらにもう一度そこで深みを増して考えるきっかけにもなりました。ただ最後に下した決断としては、やはりこの「ビーバー」というブランドを改めてわたしたちで育てていこうというところに行き着きました。 |
| 原田 | 「ビーバー」に絞って、生産できる量も増えて、もっと全国で売ろうということは考えていらっしゃらないんですか? |
| 髙﨑 | 八村選手の効果があった時は全国から「『ビーバー』を持ってきてくれ」と問屋さんからも、お客様からも、小売店のみなさまからもそう言っていただきました。ただ、とにかく北陸に特化するということの一つの決まりごととして、「白えびビーバー」と「のどぐろビーバー」、この2つの商品に関しては北陸3県でしか絶対に売らないというブランディングでやっています。全国から「北陸でしか買えないお菓子」として認知していただきたいですし、北陸のみなさまへの供給を第一に考えてもいます。また、白エビやノドグロも北陸3県の資源でもあるので、地産地消の考えに基づく意味でも今は北陸3県に留めておくというブランディングなんです。 |
| Tad | それは、いつでもすぐ簡単に手に入るものじゃなくて、ご当地のものとしてしっかりと尖らせていきたいということですか? |
|---|---|
| 髙﨑 | そうですね。プレーン味やカレー味は全国にどんどん出しているんですが、やはり八村選手が発信してくださった「白えびビーバー」の反響はすごかったので、わたしたちも最初の戦略に立ち返って、北陸と「ビーバー」っていう商品を大事にしていこうと思ったんです。人気が高まっている時に全国にバッと出してしまうと価格競争に巻き込まれてしまうのは目に見えていますし、いろんな観点から「ビーバー」っていう商品を育てていくことを考えると、どれだけ依頼があろうがそこはご理解いただきながら、北陸3県に留めようとやってきました。 |
| Tad | しかし、それというのは『北陸製菓株式会社』からしたらまるで目の前にお金が落ちているような状況ですよね。それを拾わないで、「いや、そこじゃないんだ」というのは、すごい自制心と言いますか…そのあたりはやはり社内で議論されたんですか? |
| 髙﨑 | その時、もし全国に出荷していたら数か月でこの反響も終わっていたのかなと考えています。八村選手のきっかけがあって2年半が経ちましたが、販売を北陸に留めたことによって、今でも地元でみなさんに親しんでいただけていますし、そのおかげで一定の位置にいさせていただいているんだと思います。今でも観光にいらっしゃる方などに、「あぁ、これが以前八村選手の言っていた商品だ」とか「おいしいお菓子だ」と、様々なきっかけで手に取っていただいています。当時、「今、全国に出したら、こんな反響や、やろうとしていることが全て崩れるんじゃないか」ということは社内で改めて共有したことを今でも覚えています。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
SUPER BEAVER
「名前を呼ぶよ」
「弊社の商品名と同じ『ビーバー』が入っているアーティストということで、一緒にSUPER BEAVERさんのファンクラブ限定の商品開発をさせていただいたことがあるんですよ。そういうご縁がありまして、選ばせていただきました」(髙﨑)
Tad 「スーパービーバービーバー」がファンクラブ限定で売られていたんですね(笑)。
原田 何味ですか?
髙﨑 プレーン味で、バンドのみなさんを「ビーバー」風にデザインしたキャラクターを作りまして、その缶に入れて販売しました。
原田 好評だったんですか?
髙﨑 はい!すぐに売れました。

トークを終えてAfter talk


| Tad | 今回はゲストに『北陸製菓株式会社』代表取締役社長、髙﨑 憲親さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。 |
|---|---|
| 原田 | 社長に就任なさって2か月で米菓製品を「ビーバー」1本に絞るという決断に始まって、その後のブレのない販売戦略をお聞きして、あの「ビーバー」のかわいらしい姿からは想像もできないような信念を感じました。Mitaniさんはいかがでしたか? |
| Tad | 企業が類い稀なる業績を実現するためには「何をやるか」と同じくらい「何をやらないか」ということが重要なんだなということですよね。すごく勉強になります。経営資源を集中させるということや、育てていきたいブランドを保つということ、この両方についても「何をやらないか」をあらかじめ決めておくことがすごく大事なのかなと思いました。 |