後編

災害時に教育をサポートする仕組みづくりの提案が、文部科学省を動かす。

第272回放送

石川県立輪島高等学校 校長

平野 敏さん

Profile

ひらの・さとし/1964年、石川県輪島市生まれ。輪島高等学校卒業後、金沢大学理学部化学科に進学。卒業後は町野高等学校、七尾高等学校、飯田高等学校勤務を経て、輪島高等学校教頭に就任し、2022年から現職。2023年10月に輪島高等学校創立100周年を迎える。

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Tad 今回のゲストは前回に引き続き、石川県立輪島高等学校校長の平野 敏さんです。輪島からはるばる二度にわたってお越しいただき、ありがとうございます。
平野 とんでもないです。楽しみにやってまいりました。
Tad 前回は、生徒たちの学ぶ力や生きる力を養うための経験を重視されているというようなお話をうかがいました。地域の子どもたちのほぼ全員が入る高校にも関わらず、学校としては本当にいろいろな冒険をしているなと感じましたが、生徒たちに冒険させるよりも先に、大人たちが冒険しなくてはならんと言われているかのようでもありました。平野先生ご自身も町野高校、七尾高校、飯田高校そして輪島高校と歩まれてきて、そのなかでけっこうたくさんの挑戦をされてきたと聞いています。
平野 輪島高校の前にいた飯田高校でも、いまと同じように生徒たちが地域と関わっていろいろなチャレンジをしていく「ゆめかなプロジェクト」というものを立ち上げて一緒に取り組んでいました。
原田 平野先生はずっとそういう活動をされてきたんですね。
平野 教室のなかだけで勉強することが“勉強”じゃない。「とにかく外に出ようよ」という思いは持っております。
原田 そうなんですね。先生自身も輪島高校のご出身でいらっしゃいますよね。
Tad 母校に帰ってきて校長先生をなさっているわけですね。
平野 そうですね。
原田 輪島高校の学生だった頃に培ったもので、いまでも生きているなと実感されることはありますか?
平野 当時は思わなかったですが、地元を離れていろいろな学校で経験を積んでいくなかで、自分の生まれたところの良さ、魅力を実感することはあります。それを伝えるようなことを何かしたいなという気持ちがだんだんと大きくなってきていると思います。
Tad 前回、輪島高校の学生たちが取り組んでいる「街プロ(街づくりプロジェクト)」という活動についてうかがいました。生徒たちがまちづくりにおける課題を自ら見つけて、フィールドワークを通じていろいろなアイデアを出していくというものだったと思いますが、こうした輪島高校ならではのアクティブな“学習”は、もともとあったというよりは、平野先生がこういうふうにしようよと決められたものなんですか?
平野 輪島高校では、そうやって自分で調べたことをポスターセッションなどいろいろな形でみんなに伝えるという活動に以前から取り組んでいたんです。何年か前にこれが輪島のまちづくりに特化したものになり、現在の「街プロ」につながっていきました。「街プロ」の前は「WAJI活(わじかつ)」と言っていたんですが。
Tad 「WAJI活」、いいですね。平野先生の在学中もそういったアクティブラーニング的なものがあったということですか?
平野 それはもうかなり前で、当時はとにかくたくさんの知識を入れて、スピード感を持っていろいろな処理ができるような人間が求められた時代ですから、いまの生徒たちが学んでいるようなこととはちょっと違う方向の学びだったと思いますね。
Tad いまの企業が求める人材というと、単に知識をつめ込まれた人じゃなくて、生きる力があるというか、前提を疑えるだとか、型を崩せるだとか、そういうところを求めていますからね。
原田 まさに。
平野 そうですね、いろいろな企業の方にお話をお聞きするんですが、どちらもやはりそうやって自分で考える力を持っている生徒を求めているとおっしゃられますね。
Tad イノベーションを生み出せる人材を採用したいとなると、異分野の知識や技術をいかにうまくくっつけられるかみたいなことを重視するということもありますしね。
平野 そうですよね。教科を超えて、いろいろなものを組み合わせて新しいものをつくり出していく。それがまた楽しいですし、それが実現できたときの楽しさというのは生徒たちにも少しずつ伝わってきているんじゃないかなと思います。
Tad そんななかで、平野校長としては文部科学省への提言ですとか、そういった形での冒険、挑戦もされているんですよね。
平野 今回の地震を経験して、とにかく自分は「学びを止めてはいけない」ということを生徒たちに言い続けて、ほかの先生たちもそれを口にするようになってきてくれました。
たとえば、兵庫県の教育委員会には阪神・淡路大震災をきっかけにして「EARTH(Emergency And Rescue Team by school staff in Hyogo)」という震災・学校支援チームが存在します。このように、災害が起こったときに、日本中のこういう組織が県を越えて被災した地域の教育を支援するような仕組みが必要だと文科省にお話しさせていただいたところ、それが実際に動き出しました(通称D-EST/ディーエスト:Disaster Education Support Team:被災地学び支援派遣等枠組み)。
原田 なるほど。ちょうど地震の時は受験直前だったという子たちも多かったですし、平野先生は発災の翌日ぐらいから「絶対に学びを止めるな」と、ずっとブログで発信され続けていましたよね。地震からこれまでの間に、どのようなことを感じられましたか?
平野 教員たちが一番しなければならない仕事というのは、生徒に寄り添うことだと思うんですね。でも、地震の混乱のなかで自分の授業もしていかなければいけない。そういったところでかなり先生方の負担も大きくなっています。授業で生徒たちに知識を注入するという部分においては、もうAIを用いた枠組みでいけると思うんですね。本当の教員の仕事とは、いろいろな教科で学んだことを結びつけて新たなイノベーションをつくり出していく生徒たちに伴走していくことだと思うんです。それが教師に求められている新しい姿なのかなと感じています。
石川県立輪島高等学校のホームページの「校長室より『おこらいえ』」のコーナーでは、ブログを通して平野さんの思いや被災地に関するさまざまな情報などを発信。
Tad 前回は「生徒たちに答えを教えるのが先生の役割じゃない」というお話がありましたが、もしかしたら先生も答えがわからないような新しい発想が生徒たちのほうでつくられていく、みたいなこともあるかもしれませんよね。
平野 そうですね。高校生の発想には本当に、日々驚かされています。
Tad そこも含めて、災害が起きたとしても学びを止めてはいけないっていうことなんですね。
平野 そうなんです。たとえばこの取り組みについてもよく「ゴールはどこですか」と聞かれるんですが、自分自身も全く答えが見えないですし、「ないです」と答えています。だけど、生徒がそこに取り組むプロセスこそ学ぶものが大きいということについては確信を持っていますし、そうなるように進めたいなと考えています。
Tad まさか校長先生がここまでいろいろなことに頑張ってくれているとは思わなかったという生徒もいるかもしれませんね。この放送をぜひ輪島高校の生徒さんたちにも聞いてもらいたいですね。
原田 そうですね、そういった平野先生のお考えに全国のいろいろな先生方からも反応があるかと思うんですが、仲間の輪のようなものができているんでしょうかね。
平野 支援してくださる方もいらっしゃいますが、こういう考えで動いているのは、決して自分たちだけじゃないと思います。いま日本中の先生方があらゆるところで、さまざまな取り組みをなさっています。
Tad この先も全国のいろいろなところでもっと大きな災害が起きるかもしれませんしね。
平野 そうですよね。医療の世界では「DMAT(Disaster Medical Assistance Team)」という災害派遣医療チームがあって、災害現場に全国から医師、看護師さんなど医療関係の方がチームをつくって支援してくださいます。今回、我々もそんな方々に本当に助けられました。実感としてはだいたい2週間か3週間ぐらいのサイクルでスタッフが変わっていくんですが、一つのチームとなって災害時の医療に携わってくださるんです。今回、輪島高校の中にそのチームがつくった特別病棟みたいなものができて、輪島市中の避難所にいらっしゃったコロナやインフルエンザなどのさまざまな病気の方を集めて集中的にケアをされていました。劣悪な環境でしたが、患者数が大きく増加することもなく、ずっと10数名で推移していました。これって奇跡的なことだと思うんですね。だから、そういった医療の現場に学んで、ぜひ教育の現場でもその枠組みづくりをしたいなと考えたわけです。
原田 先日はOECD(経済協力開発機構)との協力という話題も出てきましたよね。これはどういった流れでこのようになったんでしょうか?
平野 OECDのシュライヒャー局長はじめ、主たる方々が学校を訪れてくださいまして、自分の思いを伝えたところ、全面的に支援しますよと言っていただきました。
原田 具体的にはどういう支援をしてくださるのでしょうか?
平野 まず8月に「能登スクール」というものが開催されました。これは世界各国から能登に集まっていただいて交流をするというものでした。そして10月には、金沢、東北地方を舞台とした同じような取り組みがあって、今度はOECDの本部があるパリで12月に開催される「生徒教師サミット」というものに生徒と教員を派遣しました。
世界各国から訪れた人たちと生徒たちが交流を深めた「能登スクール」。
「能登スクール」で行われた「未成年の主張」。生徒たちが屋上から大きな声で自分の夢や未来について叫んだ。
原田 地震が起こって被害があったことは本当に悲しいことですけれども、生徒たちにはここから何かを見つけて、チャンスにしてほしいという思いもやはりおありですか。
平野 それは本当にそう思います。生徒のなかには「自分たちは他の人が経験しないようなつらい思いをしたけれど、その代わり、自分たちは他の人には決して得ることができなかったチャンスもつかむことができた」と話してくれる子もいます。
Tad 自分がもし高校生のときに災害に遭っていたら、果たしてそんなふうに考えられただろうかと思います。
原田 ゴールが見えないように感じるかもしれないけれど、そんななかで進んでいく方向を見つけて、進み続けていくことが大事ですね。
平野 そうですね。生徒たちにはその力をつけてほしいなと思っています。
2024年12月にパリで開催された「生徒教師サミット」でのパネルディスカッションの様子。
Tad 輪島高校のこの先の在り方が、日本の指針を示してくれるような感じもします。
平野 そうですよね。震災によって見えてきた問題というのは、もともと潜んでいた問題なんだろうなと感じます。たとえば教員不足や教育格差の問題がありますが、これらはどれも震災によって生まれたものではなく、震災によって明らかになってきたということなんだと思います。これを解決していくためにも、私たちの経験を全国に示していかなければならない。それがいまの自分たちに課された使命であるのかなと考えています。
Tad いま平野先生が輪島高校の校長でいらっしゃるということに運命を感じます。
平野 そう言っていただけるとなんだか気恥ずかしいですね。
Tad どうしたら何事も常にポジティブに解釈することができるのでしょうか?
平野 とにかく生徒に前を向かせたいという思いだけです。つらい思いをした方には本当に申し訳ないんですが、自分はとにかくこの状況をいっそ楽しもうと生徒に伝えたいなと思っているんです。

ゲストが選んだ今回の一曲

DREAMS COME TRUE

「何度でも」

「地震からしばらくして、生徒たちが前を向いて歩いていけるようになってきていましたし、歩けるようになったはずでした。ところが9月の水害で、その思いが砕かれた生徒もいました。それでも何度でも立ち上がろうよとブログに書いたら、この曲を作ったDREAMS COME TRUEさんからもメッセージが届きました。あらためて思いを込めてこの曲をみんなに届けたいと思います」(平野)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに石川県立輪島高等学校の校長、平野 敏さんをお迎えしましたが、いかがでしたか、原田さん。
原田 平野先生の働きかけは、日本の教育とそれを取り巻くシステムが大きく変わるきっかけになるかもしれないと感じました。これからもいつ、どこで災害が起こるかわからないですが、そんなときでも何度でも立ち上がれる強いネットワークづくりや人づくりが教育の分野でも進んでいってほしいなと感じました。
Tad 平野先生の発案で文部科学省が動いて、災害時の教育サポートチームD-ESTの準備が進んでいるとのことでしたが、これがDMAT(災害派遣医療チーム)の活動に着想を得たものということでしたので、まさに先生のなかで新結合が起きたんだろうなと思いました。すばらしいイノベーションの種ですよね。「次は自分たちが貢献する番だ」と言うその姿勢にも感銘を受けました。災害時でも機動的に教育支援が行われることがこのD-ESTの基本的な趣旨だと思うんですが、輪島高校の生徒さんたちによる自分たちのまちを自分たちで復興させるための活動や、さらに次の世代である小学生のケアに回るような取り組みについてのお話を聞いた自分としては、ぜひ、D-ESTのプログラムのなかに、そういった生徒たち自身が被災地のために何ができるかを自律的に考えるために学習・実践する機会がデザインされてほしいと思います。ありがとうございました。

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