後編

むしろ攻めることで“生きた伝統産業”を守ってゆく。

第57回放送

株式会社箔一 代表取締役社長

浅野達也さん

Profile

あさの・たつや/1968年生まれ。1992年、法政大学工学部機械工学科を卒業後、アメリカへ。1994年、ワシントン州立大学経営学部国際経済学科を卒業。1995年、『株式会社箔一』(母君である浅野邦子さんが1975年に創業。金沢箔および金沢箔製品の製造・販売ほか)に入社。2009年、代表取締役社長に就任。『石川県伝統産業青年会議』会長や『公益社団法人 金沢法人会』青年部会の会長などを務め、2012年、「経済産業大臣表彰」奨励賞を受賞。公式サイト

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Tad 今回のゲストは前回に引き続き、『株式会社箔一』代表取締役社長、浅野達也さんです。『株式会社箔一』はお土産屋さんばかりではなく、生活用品、化粧品、食用金箔、建材、いろんな分野に進出していると前回うかがいました。具体的にどんなお相手とコラボレーションされているのかについて、今回はお聞きしたいと思います。
浅野 世の中にいろんな企業があると思いますが、例えば、最近でいうと「LVMH (モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)」グループの「ゲラン」という香水ブランドに「ミツコ」という香水がありますが、その「ミツコ」の100周年を記念した世界販売の金箔ボトルは当社で作らせてもらっています。あとは、オーストリアのワイングラスの会社の「リーデル社」、ここも金箔を使ったアジアバージョンのワイングラスを作りました。また内装でいうと、欧州のスーパーブランドでは、我々の方で金箔を施した店舗内装を手掛けています。ほとんど名前を言えないところばかりですね…
フランスの香水・化粧品ブランド「ゲラン」の人気フレグランス「ミツコ」の100周年記念ボトルも『箔一』が手がけた。
原田 結婚式の祝電でキラキラしたものがありますが、あれってもしかして…
浅野 そうです。それも2018年に採用が決まりました。NTTの電報ですね。「金箔電報」を作らせていただきました。
『NTT東日本』、『NTT西日本』とのコラボによる慶祝用電報台紙「金箔電報」。
原田 食べ物もありますよね。
浅野 そうですね。例えば、『湖池屋』の「ポテトチップス」の「金箔ポテチ(R)
」という製品も期間限定でさせていただきました。
原田 金がまぶしてあるわけですか?
浅野 『湖池屋』も色々な製品に挑戦されています。製造や素材にこだわった究極のポテチを作る企画のなかで、金箔で豪華版を作るということになりました。他にも色々な食品メーカー様と作らせていただいているので、みなさんが日頃買われている製品の中にも箔一の金箔が入っていることもあります。
『箔一』の食用金箔を採用した「KOIKEYA PRIDE POTATO 金沢 金箔塩」。
Tad みなさん、日本らしさとか、そういうものを求めていらっしゃるんですかね。
浅野 特に日本の企業もそうですが、世界で活躍すればするほど自分の国のアイデンティティみたいなものが求められるようになると、よく聞きますね。日本の場合は日本の良さをもう一回見直そうという時期に来ていますよね。そうするとやはり自分たちの製品のなかに日本のものを取り入れる、それは例えばデザインだったりもすると思いますが、日本の伝統産業としての金箔を入れるという発想で、わたしたちにお声がかかっていると思います。
Tad ヨーロッパのブランドや製品からお声がかかるというのは、どういったことを求められているんでしょうか?
浅野 金箔というのは日本だけのものではなくて、世界中で作られています。フランスでもシャンゼリゼ通りをはじめとして街中に金の彫刻が置かれていることがありますが、それらも金箔が貼られています。ただ、昔からある彫刻や建築の修復は各国でできますが、日常のなかに取り込む現代風の新しい商品企画や意匠性、あるいは耐久性や法律に適合できる金箔というのが中々難しいとのことで、技術面や創造性といった点を評価されて、ヨーロッパの企業も我々にお声がけくださいます。
Tad 食品向けだったり、化粧品向けだったり、電報だったり、それぞれのジャンルから求められるものって、品質的にも全然違いますよね。
原田 最初、食べられる金箔というのには、びっくりしました。
Tad びっくりしましたよね。
浅野 お酒のなかに少しだけ入っているのは、よく知られていると思いますが、例えばケーキの上一面に金箔が使われるということが当たり前の使い方になるまで「食用金箔」をとにかく打ち出しました。業界の中でシェアを拡大しようと思った際に大切になるのはその業界独自のルールをクリアできるかどうかということになってきます。例えば、内装に使いたい場合は防火防炎基準など、さまざまな基準をクリアして提供しています。食品業界の場合も、食品業界の色々なルールや法律がある。それをクリアした工場でないと提供できません。当社には化粧品、建材、食品など専門ジャンルごとに5つの工場でそれぞれの専門分野別に分けて製造しています。
お菓子をはじめ様々な食品に金箔を使用し、食用金箔の認知を広げた。
原田 なるほど。世界に日本の金箔が広がっていくなかで、金沢で何か進めていらっしゃることはありますか?
浅野 基本的に金沢は、さまざまな文化や伝統が受け継がれてきた街だと思います。北陸新幹線が開通しましたので、観光の観点で金沢の良さとともに金箔を知ってもらおうということでお店を展開しています。また、みなさんがよくご存じの金箔ソフトクリームですが、実は「金箔は食べられる」ということを、広く知ってもらうためにインパクトのある打ち出し方をしました。
原田 あんなにたくさん食べても大丈夫なんだって、わたしもびっくりしました。
浅野 前まではお菓子に少し乗っているだけで、実は金箔だとほとんどの方は気づいていなかったくらいでした。無意識のうちに、何かかかっているなという程度で、あれが金箔だと、みなさん思ってなかったですよね? 「これは食用金箔である」ということを一番わかりやすく知ってもらう方法として、金箔を一枚ペタッと乗せるという手段を選びました。ここまでヒットするとは思いませんでしたが。北陸新幹線開通をきっかけに県外の方に、食用金箔を知って欲しいという企画の一つでしたから。
金箔一枚を大胆に使用した「金箔のかがやきソフトクリーム」は観光客にも人気。
Tad ひがし茶屋街でもお店を展開されていますが、金沢らしさを守るということにも取り組まれているとうかがっています。
浅野 わたしたちはいま、それを「町家再生事業」として取り組んでいます。いま金沢市も古いものをしっかり残していこうということで、特に街並みに力を入れて保存しようとしています。ところがこれはもう本当に近年になってスタートしたものですから、東山地区も、いまでこそ観光客がいますが、昔から古い建物と実際に人が住んでいたところが混在していましたよね。わたしたちは伝統を守りながら、そうやって出入りしている間に、いろんなところから「もう倒れそうな古い建物を何とかしてくれないか?」というようなご依頼を受けて、金沢市のご指導のもと、昔の風景の家屋に再生するということをずっと繰り返してきました。ですから、結果的にはお店がたくさんあるように見えますが、もともとは古いものをしっかり、もう一度町家という形に戻すということが、わたしたちの伝統産業を保存することにもつながると信じて、今まで取り組んできました。
Tad 保存もしながらということですが、一方で町家が使われる形をある意味現代的に解釈されていたりして、すごくデザイン的にも洗練されているように思うんですよね。
浅野 そうですね。外観の写真は金沢市がずっと保管していました。それに基づいて、外観は基本的にその通りに修復してください、昔の素材も使ってください、と言われます。ただ、内装、中身に関しては自由に任せられている範囲がありますから、できるだけ内装も古い部分を残しながら、業態としては物販店や飲食店としてお客様の利便性も考慮した形に変えさせていただいています。建物一つ一つの個性を出して、観光の方も含めて、金沢に住むというより金沢そのものを楽しんでいただけるような試みを、いま東山地区の方と進めております。
Tad 東山地区では何件も手がけていらっしゃるんですか?
浅野 はい。実はひがし茶屋街は2020年に、街ができてから200年を迎えました。それに伴って、東山の方と街の再建をしようとしています。
Tad 東山というと、あのレトロなパーマ屋さんの看板がありましたよね。
浅野 よく知ってますね!
Tad 銭湯もありましたよね。でも今のひがし茶屋街、東山の風景って、県外から来た方が絶対幻滅しない場所じゃないですか。ひがし茶屋街の原風景を取り戻していくというのが、『箔一』のお仕事的にもプラスということもであるんですか?
浅野 そうですね。わたしたちはこの金沢という街に生かしてもらっていると思っています。金箔の拠点は金沢ですから、この街が金沢らしさをしっかり持って、さまざまな伝統工芸や文化と共存し継承されなければいけないと思っています。伝統、文化は一朝一夕で手に入るものではありません。金沢という街は、歴史とともに発展してきた様々な伝統工芸、茶の湯や能など多方面の文化を備えた街です。ところが、その良さに気づいたのは近年になってからです。わたしたちも伝統産業として金箔を日本中、あるいは世界中に知ってもらおうと思ったときに、この拠点となる金沢を保存し、守ることが絶対に必要だと思っています。この街をしっかり守っていくということを一つの事業として考えようと思い取り組んでいます。
原田 「守る」というのが、大きなキーワードになっているんですね。
浅野 一方で金箔を使った新しいことにもチャレンジしていますから、「守る」ということと、もう一方で改革・革新を進めるということ、「伝統と革新」をキーワードにしています。その両輪がしっかりとあってこそ、文化を守れると思っています。ですから文化の守り方としては昔ながらの技法を継承するだけではなく、現代に合った伝統産業の在り方を模索するのも、わたしたち伝統工芸を扱っている者の使命だと思っています。守りながら新しいことを考えるという、この両輪をなんとか事業として展開していきたいですね。
Tad 伝統産業といえばどうしてもいま「守られる存在」というイメージがありますが、そういうことはなくて、自分たちが守っていくし、自分たちが攻めてもいく、そういうことでもあるんですね。
浅野 もともとは伝統産業というのはかつての日本の生活の中で、その当時生きていた産業だと思っています。ところが戦後、日本が焼け野原になったときに経済復興しなければいけないということで、欧米の技術、デザインなどをいろいろ取り入れましたよね。わたしはその50年近くの間、日本の文化の発展が止まっていたと考えています。ちょっと振り返ると伝統産業は古いものだと言われますが、かつては生きていたものです。それをわたしたち伝統産業に携わる者が現代にもう一度戻して、日常の中で自然に使いたくなるものにするということが我々の役目だと思っています。失われた50年を取り戻すつもりでやっています。

ゲストが選んだ今回の一曲

Kenny G

「Going Home」

「実は、日本の大学を出てから海外の大学も出させてもらったとき、本当に苦しい思いをしました。英語に追いつけなくて、大学の勉強以外に英語の勉強に時間を費やしていましたので、いつも睡眠不足でした。週末になるとアメリカの大学生は派手に遊ぶ人が多いのですが、わたしはシアトルという町の海岸線をこの曲を聴きながら、ブルーのライトが並ぶなか車を走らせて、リフレッシュしていました。Kenny Gはシアトル出身で、ちょうどその頃デビューしたてだったかな? 友人に紹介されて、それから大ファンになって、妻とのデートでも彼の曲を聴きながらドライブしました。卒業後はハワイが好きで、何度か旅行に行きましたが、一度Kenny Gさんのコンサートが偶然ハワイであり、ご本人にお会いして、写真やサインもいただいて、それからさらに大ファンになりました。すごく辛い時期から現代に至るまで、とても思い出に残っている曲です」(浅野)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回は前回に引き続き、ゲストに『株式会社箔一』代表取締役社長、浅野達也さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 最後に浅野さんがおっしゃった「生きている伝統産業」という言葉がすごく印象的で、金箔という産業が、本当に時代とともに形を変えながら続いていて、これからもずっと共に生き続けていくんだろうなということを、あらためて実感させてもらいました。Mitaniさんは、いかがでしたか?
Tad 伝統産業は守るものだけれども、国や自治体の助成金に依存して守られるべきものということではなく、かつて日本の生活のなかに生きていたはずの伝統産業を現代的な文脈で、もう一回解釈し直してあげて、むしろ攻めることで自分たちが守っていくべきものなんだという、このコンセプト、しびれますね。でもこれって伝統産業の方々にも当然、響くことだと思うんですが、そうではない一般産業に属するわたしたちにも、作ったもの・売り物の価値を時代に合わせて常に再解釈・再定義していくことの大切さを教えていただいたように思います。わたしもいつの日か、『株式会社箔一』とコラボしてみたいというふうに思いました。
原田 社長もですか?
Tad 「我が社もいつの日か」と、どこかの三谷産業の社長が言ってました(笑)

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