前編

国内外の多岐に亘る分野で、金箔のニーズを広げる。

第56回放送

株式会社箔一 代表取締役社長

浅野達也さん

Profile

あさの・たつや/1968年生まれ。1992年、法政大学工学部機械工学科を卒業後、アメリカへ。1994年、ワシントン州立大学経営学部国際経済学科を卒業。1995年、『株式会社箔一』(母君である浅野邦子さんが1975年に創業。金沢箔および金沢箔製品の製造・販売ほか)に入社。2009年、代表取締役社長に就任。『石川県伝統産業青年会議』会長や『公益社団法人 金沢法人会』青年部会の会長などを務め、2012年、「経済産業大臣表彰」奨励賞を受賞。公式サイト

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Tad 今回のゲストは『株式会社箔一』代表取締役社長、浅野達也さんです。プロフィールにあった「経済産業大臣表彰」奨励賞というのは、どのような賞ですか?
浅野 伝統産業というと、どちらかというと斜陽産業で後継者がいないなど、さまざまな問題があるなかでも、『株式会社箔一』は非常におもしろいことをしており、新しい商品開発や技術革新の分野での努力が認められ評価していただきました。
Tad 『箔一』といえば、金沢でもお店をされていますが、東京や他の地域でもお店をされていますね。お母様が創業されてから、どんなふうに会社になって、どんなふうに歩んでこられたんですか?
浅野 母が創業者ですが、もともと父が126年の歴史がある箔屋を営んでいまして、当時うちの母は、何も知らずに京都から金沢に嫁いできました。商売をするつもりはもちろんなかったようです。ただ、実際には仏壇仏具という箔屋独自の商売がどんどん先細りしていて、母も仕事をして家計を支えなければならない、という思いが元々はあったそうです。そこから箔というものが目の前にあったので、試しにお皿に貼ってみたら「意外といいものだな」ということになって、仏壇仏具だけじゃなく、女性の目線を活かして身近な製品に箔を使ってみたらいいのではないかと。この発想が、実は『箔一』創業のきっかけでした。
Tad それまでは、金箔はもっぱら仏壇仏具用に使われていたんですか?
浅野 仏壇仏具という非常に宗教色の強いものか、あるいは、ほかの伝統産業のジャンルである漆に使われる材料とか、そんなふうに金箔はいわば脇役の製品でしかなかったですね。
原田 斬新な考えと言いますか、いままでないものでしたから、まわりの反応も大きかったのでは?
浅野 本人的には斬新と思っていましたが、実はその当時、本家から非常に反発されたと聞いています。「本来、箔とは、いわゆる仏壇仏具という高尚なものに使うものであって、日常のものに使うとはどういうことだ」というような、お叱りの言葉があったと聞いております。
原田 身近なところにきらきらしたものがあったらいいなっていうのは、たぶん女性なら誰しもが思うことでしょうし、きっとお母様もそういう感覚だったのでしょうね。
浅野 母としては新しい活用が業界にとって良いと考えたと思います。ただ、その当時の箔業界というのは、歴史の長い業界で、昔から踏襲してきた型にはまった使い方が主流でしたから、新しい使い方や発想は、この金沢の長い歴史においては斬新すぎて、否定的なご意見をいただいたのだと思います。
Tad 一般市民の方々からすると、日常の中に金箔があって、彩りを添えてくれるっていうのはかなりウケたのではないですか?
浅野 実は、金沢よりも母が最初に売り込んだのは東京でした。
原田 いきなり?
浅野 いきなり東京に売り込んだそうです。今、お世話になっている百貨店様とか。とはいえ、いろんな百貨店様に受け入れられたわけではなくて、「おもしろいね」と思ってくれた百貨店様がございましたから、そこで母が自ら店頭に立って販売したようです。母が商品作りもしながらずっと関東や関西で営業を進めて、10年くらい経ったときにやっとこの金沢で、金沢箔工芸品というものが認知されました。ですから商売を始めてから金沢の方に知ってもらうまでに10年間くらいブランクがありましたね。
Tad 「経済産業大臣賞」奨励賞というのは、おもしろいことを金箔でやっていると評価されたということですね?
浅野 そうですね、母の時代はもっといろんな賞を経済産業省からいただいています。かつて伝統産業というのは、日常生活の中に入り込んでこそ「産業」と呼べるものでしたから、伝統産業として「日常の中に溶け込む」というところをあらためて実現したというのが、そういう賞をいただいた大きな理由だったと思います。
金沢での1号店となる店舗をオープンした頃の、取締役会長の浅野邦子さん。
Tad 『箔一』が売っているものというとお土産品や金箔ソフトもすごく有名ですが、他にも金箔の使い方はあるんですか?
浅野 お店は北陸新幹線が開業してから特に注目を浴びるようになったのですが、私たちは日常に溶け込む「ものづくり」に重きを置いています。例えばテーブルウエアとかインテリア、あるいは化粧品、ケーキにかかっているような「食べる金箔」もそうですし、最近で言うと建材や内装、こういったジャンルで多岐に亘ってものづくりを大切にしながら、色々なところに金箔を使っています。
Tad 金箔の化粧品も確かに最近よくお店で見ますが、建材というのは、例えばどんなものですか?
浅野 アメリカや欧州のスーパーブランドの店舗内装や、レストランの内装も実績があります。最近で言うと大阪国際空港の内装もさせていただきました。金箔で新しく日本らしい装飾をさせてもらっています。
『金沢東急ホテル』の上品でラグジュアリーな内装も『箔一』が手がけたもの。
原田 なるほど、金箔ってその独特の風合いと言いますか、金で塗ったのとは違う、貼った箔ならではの渋い輝きがありますよね。
浅野 ありますよね。金箔は一枚一枚表情を持っていますから、きれいな折り紙のような金色ではなくて、一枚一枚手作りの金箔を貼ることで色々な光が乱反射するような、そういった雰囲気が素晴らしいですよね。
原田 「表情」とおっしゃいましたが、金箔には一枚として同じものはないということですよね?
Tad そういえば金箔ってわかりますもんね、塗った金じゃなくて手作りのものということが。確かに一枚一枚が違い、訴えかけてくるという感覚があります。
原田 同じ製品でも箔の表情がちょっと違ったり、風合いが違ったりするので選ぶときに気になるということはありますから。
浅野 手作りの良さを伝えるのはすごく大切です。量産ではなく、一枚一枚あるいは一つ一つ我々は手作りで作っていますから、その違いをしっかりとお客様に訴えることも僕らの大切な使命だと思っています。
Tad 生活用品では箔はどのようなものに使われるんでしょうか?
浅野 例えばテーブルウエアで言うと、器やグラスなども作っています。インテリアですと、アートパネル、花瓶などでしょうか。知られていないところで、ホテルや菓子店の料理やスイーツ、ホテルなどの商業建築の内装など、みなさんの日常生活の中で、我々が作っていたり素材提供していたりするものも多く見られるようになってきました。
煌びやかに食卓を彩ってくれる『箔一』のテーブルウエアアイテム。
Tad それが『箔一』の金箔だということはなかなかご存じない方も多いかもしれませんね。
浅野 そうですね。でも知られなくてもいいと思っています。僕らはものを作っている会社なので、自分たちのブランドで販売している製品もありますし、もう一方で、実は我々の箔を使って、いろんな企業と一緒に製品を作ることもあります。例えばワイングラス…ワインはお好きですか?
Tad ええ、いただきますが。
浅野 「リーデル社」というワイングラスの老舗メーカーがありますよね。オーストリアの会社ですが、そこの製品も我々の金箔を使って作っていただいています。色々な会社とのコラボレーション製品も多いので、何か変わったものに金箔が使われていると思ったら、ちょっとだけ当社のことを思い出していただくとありがたいです。
オーストリアの名門グラスメーカー「リーデル社」とコラボレーションしたワイングラス。
Tad そうですよね。金箔が使われている製品というと、思わず『箔一』かな、と思ってしまいますね。
原田 それから何といってもやっぱり、「あぶらとり紙」は絶対外せないですよね。絶対に友達に「お土産には何が欲しい?」と聞くと「あぶらとり紙」っていうくらい、『箔一』のものが良いと言われます。これも金箔を作る過程で出てくるものなんですか?
浅野 元々は金箔の副産物ですね。金箔を作る時は、和紙と金箔の薄い板を交互に1800枚重ねて叩き上げます。そして和紙と和紙の間の金属が少しずつ薄くなり金箔となります。その和紙を10回ぐらい使いまわすのですが、使い終わると綺麗に金箔が伸びなくなります。これが実は「あぶらとり紙」の原型なのですが、昭和50年代は京都の、例えば舞妓さんとか、太秦の俳優さんが使うようなもので、もともと一般の方が使うものではなかったそうです。これを、創業した母が女性ですから、女性の目線で使ってみると「これは良い」と。「化粧品の油や皮脂をこれでおさえてからお化粧するといいね」ということで金箔作りと同じ製法で美容雑貨として衛生面にも配慮した上で商品化しました。女性ならではの目線で作った製品ですね。
Tad それは金箔の化粧品に関連していくものなんですか?
浅野 我々は金箔を中心にしている会社ですが、「あぶらとり紙」というのは女性の美に関するものですから、金箔という堅苦しい伝統の世界の中に「美」という一つのカテゴリーを開発するきっかけをいただいたと思います。色々な化粧品会社にOEMで我々の「あぶらとり紙」を使っていただくようになりましたので、あぶらとり紙から次は「化粧品用の金の材料が欲しい」といわれてそれを提供する、そうすると次は、その会社の金を使った化粧品も作る、というようなステップで事業が広がっていきました。最近で言うと、エステ用の金のパックなどもそうですね。
原田 駅のお土産物屋さんとかで見ますね!
浅野 伝統の中の「美」というテーマから派生させていったわけです。
Tad お話をうかがっているとB to C、いわゆる一般消費者向けの商品というよりも、むしろB to B的な、他の化粧品や食品メーカーの商品の中に『箔一』が入っているという感じですね。
浅野 それは各企業様のお陰です。化粧品の会社も別に金箔を使わなくても化粧品を作っているわけですが、何かそこに日本らしい良さとか、金箔の輝きがほしいという企画が持ち上がったときに、我々の会社にたまたま色々なご縁が繋がりお声がかかって、一緒にものを作ろうということで作ってきました。このような開発を様々なジャンルで取り組んでいますから、『箔一』としてはできるだけ、うかがった話は基本的には「ノー」と言わず、まず一回しっかりと承る。そして試作や試験を繰り返しお客様のご要望に応える、ということの繰り返しです。「『箔一』は「ノー」と言わない」ということを合言葉にしていますから、いまもお客様のご要望が技術開発のきっかけになることもあります。
Tad そういうコラボレーションも増えていると思うんですが、やっぱり日本らしさを追求してくと一つの答えに金箔があったということなんでしょうか?
浅野 いまは日本も国際的に戦っているなかで、日本らしいアイデンティティとか日本人の誇りみたいなものが問われるような時代になったと思います。日本はすばらしい国であると、もう一度自信を取り戻すような時代になって、自分たちの製品の中にも日本らしいものを取り入れようという企業様が増えてきたように思います。そこで、例えば漆など色々な伝統工芸の候補があるなかで、我々に金箔のお話をいただいて製品サンプルを作るなど、積極的に取り組んでいるところが認められたような気はしますね。

ゲストが選んだ今回の一曲

ゴダイゴ

「The Galaxy Express 999(銀河鉄道999)」

「たぶん僕と同世代の方ならみんな知っていますよね。男の子はみんなメーテルに憧れて、旅をしたいと思ったのではないでしょうか。当時中学生くらいだったと思うのですが、このアニメがテレビで放送されて、機械の体を手に入れたいと憧れる主人公がいろんな星を旅する間に、本当の命とは何ぞやということに気づくという、人の成長を伝えるようなアニメ番組だったと記憶しています。多様性について考えるようなところもありましたし、本当に大切なものは何か? ということを考えるような多感な時期に見た作品でもあったので、今でもずっとこの曲を聴くと、その時のワクワク感、冒険心のようなものが湧き上がるようです」(浅野)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『株式会社箔一』代表取締役社長、浅野達也さんをお迎えしましたけれども、いかがでした、原田さん。
原田 金箔が身近に使われているというのは、金沢に住んでいるからか当たり前のように感じていたんですが、実はわずか40数年前までは誰もそれをしていなくて、浅野さんのお母様がスタートされたことが、これだけの期間で世界にまで広がっているんですよね。知らないことがいっぱいありました。Mitaniさんは、いかがでしたか。
Tad 高度経済成長を経て、たくさんの日本企業、あるいは日本に暮らす普通の市民の方々が、「日本らしさってなんだっけ?」ということを問い始めるようになったと思うんですよね。『箔一』も最初はそうして苦しみながらも新しい分野や、いま原田さんがおっしゃられたような日常の分野に金箔を広げてこられましたが、現在では引く手あまたで、需要がはっきりと見えるまでになったと。でも、それというのは、かつて仏壇仏具のような、ある種日常的に目にしていたものがどんどん日常から追いやられてくなかでも、日本らしさを構成している大事な要素の一つに、金箔の落ち着いた輝きというものがあったんだということを、わたしたちは心の底では忘れていなかったということですよね。『箔一』は、確かに伝統工芸の技術を使われていますが、それ自体が実は非常に現代的な文脈の中にあるということに気づかされました。また、浅野さんがそういうセグメンテーションをしっかりとされて、金箔をいろんな分野に広められてきたということも、非常に勉強になりました。

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