後編
失敗を恐れずにものづくりに取り組む組織風土を醸成。
第192回放送
大阪有機化学工業株式会社 常務執行役員兼金沢工場長
榮村 茂二さん
Profile
えいむら・しげじ/1966年、石川県金沢市生まれ。1985年、石川県立工業高等学校工業化学科(現・材料化学科)を卒業後、『大阪有機化学工業株式会社』(会社設立は1946年、金沢工場操業開始は1981年。本社は大阪府大阪市。金沢工場所在地は白山市松本町。特殊アクリル酸エステルの生産を手がける化学メーカー)の製造部門に入社。2016年に山形の酒田工場長、2018年には金沢工場長に就任。2019年からは常務執行役員生産本部長も務める。
大阪有機化学工業株式会社Webサイト
Tad | 前回は『大阪有機化学工業株式会社』の榮村工場長にお越しいただきまして、現代のもの作りに欠かせない高品質な特殊アクリル酸エステルを作っていらっしゃるというお話をうかがいました。品目によっては全世界の数十%が金沢工場から出荷されているということです。その工場は、実は大阪の会社で、さらにその工場長は金沢ご出身ということで、何だか石川、大阪、世界を行ったり来たりするような時間でした。今回は金沢ご出身の榮村工場長のご経歴からお話をうかがっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 |
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榮村 | よろしくお願いいたします。 |
Tad | ご経歴からまずうかがっていきたいんですが、石川県立工業高等学校のご出身なんですね。 |
榮村 | はい。いまラジオ出演で緊張していますが、当時は無口で、こんなにしゃべる人間じゃなくて。 |
原田 | そうなんですか。 |
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榮村 | とても寡黙な高校生だったんです。ちょっと尖ってましたけど。 |
原田 | どんなふうに尖ってたんですか? |
榮村 | パンクで、髪もツンツンにしたり。 |
原田 | 音楽も結構お好きで? |
榮村 | 音楽も大好きでした。マニアックな方ばっかりで。 |
Tad | いまのお姿からは全く想像がつかないんですけど。 |
原田 | 結構新しいバンドに注目したり? |
榮村 | 人気が出る前のバンドが大好きで。人気が出ると、ちょっと嫌いになる。 |
Tad | なんとなくわかります(笑)。自分が育てたのに、みたいな。 |
榮村 | そういう感じですよね(笑)。 |
Tad | 化学科をご卒業されていますが、高校を選ぶときも、いずれは化学の道に行こうということだったんですか? |
榮村 | 実は化学の道っていうより、県立工業高校に行きたいというか、MROの前を通りたくて……。 |
原田 | ラジオを聞いていらっしゃったから。 |
榮村 | そういうのもあって、MROの近くの学校がいいなって。 |
原田 | なんて光栄な(笑)。 |
榮村 | 学校帰りに近くに遊びに行くのも楽しいしね(笑)。それと理数系が割に好きだったので、この学校に入りました。 |
原田 | そうなんですね。そして『大阪有機化学工業株式会社』に入られるわけですか。 |
榮村 | 本当は違う会社に行きたかったんですが、求人が出ていまして。学校の先生が「この会社は“化学らしい会社”だ」と言っていたなと。この歳になるまでずっとこの会社に勤めてきましたが、化学はやっぱり楽しいですよね。いつも同じものができないですから。 |
Tad | 同じように作ってるはずなのに。 |
榮村 | 最終的に、幅広くいろんな用途の化学薬品ができますし、難しいものに挑戦するのは楽しいかもしれないですね。 |
原田 | なるほど。新しいものを生み出すところもまた楽しいところなんでしょうか。 |
榮村 | そこが一番楽しみですよね。勤めている人間も、新しい物が好きで、飽き症で、っていう人は多いと思います。 |
原田 | そうですか。金沢から大阪に行かれて、周りの雰囲気や土地柄も違ったと思うんですが、最初の会社の雰囲気はどんな感じだったんでしょうか? |
榮村 | 会社に入ったばかりの頃はみんなに声をかけられましたよ。社風でもあるんだと思うんですが、みんなで新人の面倒を見ようと。昔、子どもを近所の人とみんなで育てたような感じでね。いろんな部署の人が声をかけてくれました。だから私も次に入った後輩にはちゃんと声をかけようと思いました。それがしゃべるようになったスタートだったかな。そういうところは、この会社はすごく良かったですね。 |
Tad | 前回もお話の中で工場長として、現場の社員さんたちにいろんな形でお声をかけられているということでしたが、とにかく社員さんを大切にされてるそうですね。 |
榮村 | 若い子と会話のキャッチボールをするのが好きですね。一方通行じゃなくて、キャッチボールする中でいろんな課題も見つけたり、相談に乗れたりっていうのは、私のポジションでは一番大事だし、そこが一番の喜びかなと思います。 |
原田 | そういう中から例えば若い人からアイディアとかこういう新しいことをやってみたいんですけどとか、そういう提案って出てくるものですか。 |
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榮村 | 時々聞きますよ。ただ突拍子もないことも多いので、時々止めますけど。新しいことに挑戦するのはできれば応援したいと思うので、いろんな課題を一緒に解決するのがいいかな。私の立場では一緒にできることにどれだけ関われるか、ですよね。若い子との会話のキャッチボールで新しい商品ができたら喜べるし。 |
Tad | 工場長から「こういう新しいのをやるぞ」ということではなくて、社員のみなさんが「こういうことをやってみたいんです」っていうことのほうが多いんですか? |
榮村 | そういうのもありますし、私からも「新しい商品にチャレンジしましょう」とは言いますけど。ケースバイケースですが、ポジショニングとしては、私から言います。ある程度「これをチャレンジしよう」ということは言うんだけど、その答えは彼らに任せるというか。 |
Tad | どんなふうに解決していくかは委ねていると。ちなみに新しいチャレンジとはどういうことが多いんですか? |
榮村 | 私も結構、入社してからいろんなことにチャレンジしたんですが、マイナス100℃の超低温設備を作ろうとか。 |
原田 | マイナス100℃?! |
榮村 | その頃はもう失敗だらけで。ずっと苦労して、現場で泣いたりするようなことも正直ありました。半導体の材料を2000年からずっと開発してきましたが、失敗してお客さまへの納期に間に合わなくて社員さんに謝りに行っていただいたこともありました。でも、それを乗り越えたところに楽しみがある。新しいものにチャレンジしてみんなで作ろうっていうのが面白いと思います。 |
Tad | 工場で新しいチャレンジ、例えば超低温設備を導入しましょうとなったときに、製法も違えば設備も違えば同じ手法ではできなかったりしますし、試行錯誤の連続ですよね。 |
榮村 | そうですね。その試行錯誤中にアイディアを出すのも、割と好きですね。どちらかと言えば、追い詰められると喜ぶタイプですね(笑)。 |
Tad | 30個ぐらい解決策を考えてみて28個分はだめでも、「あと2つで本当に解決できるかもしれない」みたいな。 |
榮村 | そうですね。28個やってみて、あと2個にかける。しつこい性格かもしれませんね(笑)。そんなふうにみんなと一緒にいろんなアイディアを出すのはすごく楽しい。そういうところがこの会社の魅力でもありますね。どんどんチャレンジを促してやっていくと、楽しい工場になるかなと思っています。 |
原田 | なるほど。最近の若い年代の人たちって何でもすぐ手に入るような環境にあって、失敗をしてもまだ先に何かあるって思えないような人も、昔よりは多いんじゃないかなと思いますが、いかがですか? |
榮村 | たしかに多いですね。そういう若い子には日ごろから話すようにして、「失敗を恐れずに」ということを伝えるようにします。会話のキャッチボールをしながら、いいところは褒めてあげたいですし。4月から新入社員が10名ぐらい入りまして、1ヶ月講習・研修をやっています。実は入社直後、トイレのスリッパが乱雑だったのが、いまではきれいに並べてあるんですよ。きちんと揃えられている。それは1ヶ月教えた成果なんでしょうね。「スリッパを並べるように」とは教えてはいないんですが、総務の方や社外の講師の方がいろんな形で教えると、そんなふうに変わってきました。それはすごく感動しましたね。結構なんでも感動する方なんですが、そういう感動が次の世代を育てるんだと思います。まだまだ道半ばですが。 |
Tad | 実際に何かを失敗してみないと、あるいはうまくいくまでの間にいろんな道のりを歩んでみないと、失敗を怖がるなと声をかけても、言われただけでは結局腹落ちしていないものですよね。どうやって背中を押してあげてるのかなっていうのがすごく気になります。 |
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榮村 | いまは失敗させない時代で、失敗させるっていうのはやっぱり難しいんですけど、それでも人間って失敗するんですよ。小さな失敗を許容してあげて、次へつなげる。そして、やはり会話で、その失敗をどうやって振り返るかっていうところが大事かなと思います。私もそうだし、マネージャーにもいま言ってますが、結構そういうところで少しずつ変わってくるのかな。 |
Tad | どういうふうに振り返っていらっしゃるんでしょうか? |
榮村 | 現場でその失敗を再現することもあります。現場での失敗をみんなで見て、共有します。5人とか10人くらいで、いろんな目線で見るんです。そうすると問題点が見えて、次の解決につながります。 |
Tad | なるほど。工程や手順を間違えて違うものができてしまったというのをみんなで見たときに、この手順が悪いんじゃないかみたいな気づきが他の人から出てくると。 |
榮村 | そうなんです。みんなで責め合いをするということではないんですよ。5人、10人でそういう状況を見ていると失敗した人が責められているような感じになってしまうこともあるんですが、そこをみんなで共有化しながら問題を探ろうと。もちろんいろいろ思ったことをストレートに言うことはあるんですが、そこを飲み込みながら、理解しながら、本当の原因を見つけて、それを次に持ち越さないっていう意識で取り組むのが大事です。 |
原田 | みんなが自分ごととして捉えて、自分の経験としても生かしていくということですね。 |
Tad | 失敗した本人としては気まずいところもあるでしょうが、周りのみんながこれは自分たちの失敗だという受けとめ方をしているっていうことが、言葉の随所に出てくるんでしょうね。 |
榮村 | 私も失敗に関しては経験豊富ですから。もう会社で1、2を争う失敗経験者じゃないですかね。若い頃はいっぱい失敗しました。最近でも新しい設備を作ったのにうまく使えなかったということもあります。その度に社長からある程度お小言はいただきますが、次のチャレンジのためのいい経験だと思うようにしています。もの作りで間違えることはもちろんあるので、そこは新しい間違いならOKです。何回も同じことをするのはもちろんだめですけど。 |
Tad | 新しいチャレンジをした失敗っていうのは、ある程度は怒られないかも? |
榮村 | 怒られない可能性が高いと思いますね。私も怒りません。同じ失敗はもちろんだめですが、1回は結構許容します。人間は失敗するものだから。もう絶対いろんなところで間違えていますよ、みんな。砂糖と塩を間違えるなんて料理でもありますよね。入れ過ぎとかね。とにかく、毎回同じ間違いをするのはだめです。 |
Tad | それが会社全体に通じる社風でもあるんでしょうね。 |
榮村 | そうですね、昔から経験者が一番語ることですね。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
BOØWY
「IMAGE DOWN」
「いまだから言っていいと思うんですが高校時代にレコード店でアルバイトをしていまして。BOØWYがデビューしたという案内が来て、それでアルバムを買ったんです。それからBOØWYが好きになって。3枚目までアルバムを買いまして、その後はみなさんご存知のように大ヒットしました。それまで外国の音楽をずっと聴いていたのに、日本のグループがかっこいいなと感動した思い出のバンドです」(榮村)
トークを終えてAfter talk
Tad | 今回は前回に引き続き、ゲストに『大阪有機化学工業株式会社』常務執行役員兼金沢工場長の榮村茂二さんをお迎えしましたが、いかがでしたか、原田さん。 |
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原田 | はい、新しいチャレンジをして失敗したことは許すと。ただ許すのではなくてそれを学びにして他の社員のみなさんと分かち合って次につなげる。こういうところから新製品って生まれてくるんだなと感じました。 |
Tad |
本当にそうですよね。ビジネスの現場で「失敗を恐れるな」なんて本当によく言っちゃいます。自分自身も何かこれからチャレンジしようとしてる人に対して時々言ってしまうこともあるんですが、榮村さんの話を聞いて思ったのは、本当に失敗を恐れさせたくないのなら、むしろ失敗した後にこそやるべきことがあるんだということです。1人の失敗であっても、いまのお話でいうと他の9人全員がいろんな着眼点・経験を各自持ち寄って、その失敗を冷静に、客観的にいろんな角度から振り返る。そのときの1人ひとりというのは、きっと誰の失敗かはもうどうでもよくなっていて、どうすればこれを回避できたのかな、いまよりも改善できることは何だろう、というふうに課題そのものに向き合い、集中している状態なのかなと思います。仲間同士でそういう経験を重ねていけばこそ、いざ自分が何か挑戦するときに、本当の意味で失敗を必要以上に恐れない心ができているのではないかと思いました。 前回は、ものを作る工場の長は環境、雰囲気、人を実際に作っているというふうにも言ったんですが、今回は榮村工場長の組織・チーム作りの一端を見せていただけたような気がしました。ありがとうございました。 |