前編

物流業を俯瞰し冷静に実行に移す。

第9回放送

株式会社ビーイングホールディングス 代表取締役社長

喜多甚一さん

Profile

きた・しげかず/1966年8月31日、石川県かほく市生まれ。創業1986年の総合物流企業『株式会社ビーイングホールディングス』の代表取締役社長。石川県金沢市と東京都千代田区の二本社体制で、全国39か所に拠点があり、従業員数は約2,000人。趣味は釣りのほか、読書は特に中国古典を好んでいる。

ビーインググループWebサイト

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Tad こんにちは。Tad Mitaniです。
原田 原田幸子です。
Tad めっきり寒くなってきましたね。寒いなあと思ってホッカイロを買ったり、マフラーを買いに行ったりだとか、我々は普通に生活していて普通に物を手に入れる。そういったことが、もしかしたら普通じゃないかもしれないなって思わせるような方がゲストに来ております。『株式会社ビーイングホールディングス』の代表取締役社長、喜多甚一さんです。よろしくお願い致します。
喜多 よろしくお願いします。
Tad 喜多さんは本当に尊敬する大先輩なんです。
喜多 いえいえ、お恥ずかしい。
原田 喜多さんの座右の銘は「知行合一」だそうですね。
Tad 「知行合一」とは、どのような言葉なんですか?
喜多 簡単に言うと、「やっていることが分かっていること」ということですね。わかっていながらも、実際に口ではこう言っている、ああ言っているということがあっても、その人が実際にやっていないことは実はわかっていないんだ、ということですね。
Tad 実践できて初めてわかったことになる、ということでしょうか。
喜多 そうです。
原田 なるほど。実行していないことはわかっていないこと、ということですか。深いですね。
Tad 『ビーイングホールディングス』のお仕事の内容をお伺いしてもよろしいでしょうか?
喜多 総合物流企業というと、物流と運送がイコールになってしまうようなイメージが強いと思いますが、基本的には輸送・保管・包装・荷役・流通加工・情報システムの構築という6つの機能がありまして、この6つの機能をミックスしてサービスとして提供すること、プロパーでサービス提供できるような会社をつくるということが、私たちの仕事です。
石川県金沢市にある『ビーイングホールディングス』本社建屋。
原田 これは別々にやっているところもあるんですか?
喜多 そうですね。以前はそれぞれ全く別の事業者が提供していたサービスだったと思います。ところが、情報化社会になっていくなかで、物流の機能がどんどん発達してきて、物流というものの概念が広いジャンルで捉えられるようになってきました。単なる輸送だけではなくて、保管もするし、そのなかで行われるサービスも全部やるし、そのために必要な情報システムも私たちがサービスとして提供するように変わっていったということです。
原田 なるほど。
Tad お客さまの数はどのくらいあるんですか?
喜多 正直言ってすごい数があるので正確な数字は把握できていませんが、恐らく200社ぐらいはあるとは思います。アバウトですけれども。
Tad それぞれ200社のお客さまが何らかの形で何かをどこかに移さなきゃいけないですとか、梱包をその過程でしなきゃいけないですとか、様々なことを総合的にサポートされる会社ということでしょうか。
喜多 そうですね。主に特化しているのは生活物資に特化したサービスです。どちらかと言うと、皆さんの日常生活のなかの欠かせない物や、そういういった物のジャンルに絞り込んで、「物流」というサービスを提供している、そんな会社です。
原田 ではすごく身近な存在というふうに考えてよろしいでしょうか。
喜多 そうですね。普段よく行かれるコンビニエンスストアやドラッグストア、スーパーマーケットのように、皆さんが日常的にお買い物に行く店舗にある食料品やティッシュペーパーなど、生活にほぼ毎日使うような物、消費財のような物の物流の仕組みをつくっていくということが、僕たちの仕事になります。
Tad すごいですね。
原田 総合的に行うことにメリットがあるから、そうされたのでしょうか?
喜多 全く別の事業者がやっていると、連携の中で色々なギャップや障害が生じてくる。ところが、顧客の目的は大体一つなんですよね。お客さまの戦略や目的に合わせて必要な機能を総合的にプロデュースして提供するということが、一番合理的かつ効率的な顧客対応ができるということですね。
Tad 我々の生活を支えているという意味でも、もっとこの会社のことを知らなければいけないと思いました。
原田 そうですね。こんなに支えて頂いていますからね。
Tad すごく幅広く物流ということに関してご対応されている会社ですけれども、最初の事業は何から始まったんでしょうか?
喜多 最初は鶏肉のセールスマンとして仕事をスタートしたんです。委託社員みたいなものですけれど、軽自動車1台で自分のテリトリーをもって、そのテリトリーの中で自分で販売していました。
原田 飛び込み営業のような感じですか?
喜多 ルートセールス+新規という感じですね。ただ、そういうお仕事をしていくなかで軽自動車に乗らなくなって2トン車を買うようになり、2トン車1台から次は3台に増やす機会があり、3台に増やした時点でちょっとしたアクシデントがあり、また1台に戻って、それでもうその時に2台の車を休車させた状態で仕事をしていたんですけど、この時はさすがに「だめかなー」って思いました。ただ、車のローンの月賦が終わるまでは死に物狂いで働こうと思っていたなかで、たまたまあることがありました。金沢の中央卸売市場って、日本で一番競りが早いんですよね。
Tad そうなんですか。
喜多 と、聞いています。大型トラック1台で北陸三県の荷物を持ってこれるけど、金沢の中央卸売市場に先に入ると富山や福井にまわろうと思ったら時間がなくてまわれないということがあります。じゃあその下請けをしようということで、中央卸売市場で2トン車を止めて、長距離輸送で持ってきたトラックのまずは富山分の配達を引き受けて、1個いくら、1ケースあたりいくらっていう価格設定で夜中に富山の市場や商店をまわるという仕事をやり始めたのが、セールスから物流企業への転身の第一歩だと思います。
Tad 最初トラック1台で始められたとき、喜多さんは何歳でいらっしゃったんですか?
喜多 その時は二十歳でした。
原田 二十歳でスタートされて、物流に移行されたのは、いつ頃なのでしょうか?
喜多 それから2年か3年後くらいです。2年ちょっと経つと思います。
Tad 最初のセールスのお仕事もいわば物流の要素があったと思いますが、明確に「物流なんだ」というふうに認識されるのが、22歳から23歳の頃なんですね。
喜多 そうですね。夜の小口配送、1個いくらで物を運ぶということをやり始めてから初めて運賃を認識するようになって、それが最初のビジネスモデルになりました。
Tad その後は「運ぶ」ということを意識されていくわけですけれども、今のような姿になるまでに、どのような変遷を辿ってこられたんでしょうか?
喜多 まずは食品の小口輸送・配送ということをやり始めましたが、たまたまニーズが合致したんです。夜中の12時くらいから朝の4時から5時くらいまでにかけて深夜に「一個いくらで物を運んでくれる会社」というのは実は無かったし、大手企業がやらない仕事でした。大手がやらない仕事を私たちがたまたまやったものが偶然ニッチ化して、最初のビジネスモデルとしてトラックが12~13台になるころまで一気に広がりを見せました。
ビーインググループを支えるロゴマーク入りのトラック。
Tad ニーズが明確にあったから、それだけ広がったということですよね。
喜多 そうです。その後、「これはこのままでいいのか」と悩んだ時期があって、そしてちょっとしたきっかけがあって、会社の組織を少し作り替えていくことを考えました。その頃に、「〇〇輸送」とか、「〇〇運輸」とか、「〇〇物流」とか「〇〇ロジスティクス」と書いてあるトラックがいっぱい走っていましたが「名前が違うけど、どう違うんだろう」と疑問に思い、本を買って調べました。その本の中に「物流というのは輸送のことではない。輸送・保管・包装・荷役・流通加工・情報システムの構築、この6つの機能を内在した仕組みが物流という一つのサービスである」とアメリカのロジスティクス協会はそう定義するということが書かれていたんです。で、それを見たときに「これ、いいかも」と思い、そこからこの6つの機能をすべてプロパーで提供できる会社を目指そうというふうに舵をきりました。今の業態が「3PL」という業態なんですけれども、顧客の物流の機能を包括的に受託して、顧客の物流の機能のように働いていくというサービスの仕方に変えていったわけです。
Tad お客様の物流部門であるかのように動いて行かれたというのが「3PL=Third party logistics」という業態だったんですね。
喜多 そうです。
Tad 本屋で物流の基礎といいますか、「物流ってこういう要素で占められているんだ」ということを喜多さんご自身が初めて知ったんですね。
喜多 驚きでした。というのも僕の生い立ちに原因がありまして、祖父が運送会社をしていて、父親の代で精算することになってしまい、実は運送会社に対してはあまり良いイメージをもって育っていなかったんですが、遺伝子でしょうか。たまたま同じ方向に行っちゃったんです。
原田 すごいですね。
喜多 「運送業になりたくない。でもやっていることは運送業になってしまっている」というところから、違う業種、違う仕事がしたいと、違う業態に変えていきたいという思いがありました。それが「物流というものは何なのか」ということを調べるきっかけになり、そのきっかけが、「もしかしたらこれだったら新しい物流業という分野が作れるかもしれない」と思ってやり始めたという感じです。
原田 知ったことをちゃんと実行されたわけですよね。まさに「知行合一」されて。
Tad 社名の由来はどこからきているんですか?
喜多 お釈迦様が生まれたときに「天上天下唯我独尊」と言われたと言われていますけれど、僕は一人ひとりの人間の存在をテーマに、世の中に役に立たない人はいないんじゃないかと、どんな人も何かしらの使命をもって生まれているんじゃないかと考えています。それぞれの存在を大切にしていこうということをスローガンに掲げようということで、「ビーイング」という社名が生まれたんです。
Tad 「be=あること存在している」に、現在進行形の「ing」ということですね。
喜多 そうです。
原田 なるほど。会社のホームページを拝見して「300年企業を目指す」とありましたが、そのあたりも「ビーイング」を目標として形にしているということでしょうか?
喜多 やはり長い尺度でいかに存在し続けていくか、だと思います。存在し続けるというのはなかなか難しいことで、常にどの時代にあっても地域から、社会から、必要とされる企業であり続けるということが重要です。ですから、世の中から必要とされ続けるためには「私たちは何を考えていったらいいんだろう」ということをちゃんと考えていける会社にしたいと思います。

ゲストが選んだ今回の一曲

長渕剛

「逆流」

「僕は二十歳で創業して色んな逆境の中でそれでも踏ん張ってやってきました。悔しい思いもいっぱいしましたけれど、自分の想いを芯をもって貫き通していくっていうことをすごく大切にしてきて、それがたまたまこの歌詞のイメージと合って、よく当時だとカラオケなんかで歌ったりしましたね」

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『ビーイングホールディングス』の喜多甚一さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか?
原田 二十歳で創業して一人で始められて、無我夢中でお仕事されたというお話で、「だめかな」と思われた時期もあったと。すごく熱い気持ちで頑張られたと思うんですけれど、そこをクールな頭で考えていらっしゃったという印象でした。そこがすごいと思います。クールな頭で考えて、わかったことをちゃんと行動に移される、その実行力でここまでずっといらっしゃったのかなと、お聞きしていて思いました。
Tad 本当におっしゃる通りです。ご自身の仕事が鶏肉のセールスマンから運賃をともなっての輸送とか物流という領域に入り始めた時に「運送業とか物流業ってなんなんだろう」と自分自身俯瞰していらっしゃるんですよね。本当は自分自身がトラック1台で始めた会社が、トラックの台数が急速に増え始めて、たぶん必死だったとは思うんですけれども、その状況にあっても、自分たちの仕事の意味や意義を問い直したり、物流業の「業」っていうのはなんなんだ、ということを改めて俯瞰するようなお力をすごく感じさせて頂きました。

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