後編

クライアントの先にいるお客様の喜びを創造する。

第127回放送

46000株式会社 代表取締役社長

越後 龍一さん

Profile

えちご・りゅういち/1988年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部在学中からクラウドファンディングを運営する『株式会社キャンプファイヤー』に関わり、卒業後に入社。その後、インターネット企業『ピクシブ株式会社』に転職。2015年に個人事業主として独立。VR映像作家、音楽芸能事務所のデジタル戦略担当、またCM制作会社のプランナーとして各社と業務委託契約を結びつつ様々なプロジェクトに参加。縁あって2020年7月、金沢に移住。2021年4月、『46000株式会社』(金沢市幸町)を設立。IT関係のコーディネートや映像制作、SNSを含めたメディア活用のコンサルティング、アート事業などを展開する。

インタビュー前編はこちら

Tad 今回のゲストは、前回に引き続き、『46000株式会社』代表取締役社長の越後龍一さんです。ご経歴を改めてうかがうと、最初は『株式会社キャンプファイヤー』にいらっしゃったんですね。
越後 はい。立ち上げたばかりの頃でしたね。
Tad 今はすごく有名な会社になっちゃいました。
越後 今はおそらくいくつも事業をやっているので、社員も100名は優に超えていると思うんですが、わたしがいた当時は本当に始めたばかりで、たしか5名くらいじゃなかったかなと思います。
Tad 日本でクラウドファンディングを始めた会社の一つですよね。
原田 越後さんは、学生時代にすでにそちらでメンバーとしてお仕事されていたっていうことですよね。
越後 インターネットの仕事っていうと基本的にエンジニアとかコードを書くなどのイメージがあると思いますが、その当時、わたしはキュレーターと名乗っていまして、サービスを使ってくれそうな人にコンタクトを取って会いに行って、ひたすら提案書を書くという企画営業の仕事をしていました。
キャンプファイヤーに所属していたころの越後さん。
Tad その後に『ピクシブ株式会社』へ。こちらもインターネット界隈では有名な会社ですが、イラストを投稿したりすることができるソーシャルメディアで知られていますよね。
越後 『株式会社キャンプファイヤー』ではいわゆるプラットフォームと言われる、みんなが使えるツールみたいなものを提供していて、『ピクシブ株式会社』も同様にそのようなソーシャルメディアではあったんですが、最初はその中でグロースハッカーといって、サイトを成長させるために、例えばボタンの色を一つ変えてアクセス率5%アップ、というようなことをひたすらやり続けるというすごくマニアックな部署で仕事をしていました。その後、いろんな新規事業が社内で立ち上がるタイミングで、漫画が好きだったので、漫画を読むアプリと新しいビジネスモデルを作ることを担当させていただきました。
Tad なるほど。その後、独立されるわけですが、この時は前回もうかがったようなVRの作品を作られたり、音楽系の事務所のデジタル戦略担当をされたりしていたんですよね。前回、曲紹介をさせていただいた、大変有名なバンドの事務所でしたが、これらのお仕事は今も続いてるんですか?
越後 そうですね。今も毎週、音楽芸能事務所とZoomを使って定例会をしたり、さまざまなビジネスツールの管理をするような仕事がずっとあったりして、かれこれ7年、そんな感じでお付き合いしてますね。
Tad 社員のような、業務委託のような。
越後 そうなんですよ。むしろ社員とかバイトの人にいろんなことを聞かれたりもするんですけど。そういう業界ってあんまり業務委託って一般的じゃなくて、社員だけでやるところが多いんですけれども、わたしは社長室みたいな形で独立した部署だったので、社員の方にもおそらく社員だと思われていると思います。
Tad CM制作のプランナー業も、そういう会社に属しながら手掛けていらっしゃるんですか?
越後 そこはもともとCMを作る会社で、Webの知識やソーシャルメディアを使って動画を出したりし始めました。7年前の話なので、まだソーシャルメディアや動画で広告をするっていうことが今ほど一般的じゃなかったときに、そういったことを考える仕事をしていました。
Tad その後、金沢へ移住ということなんですね。きっかけは何でしょうか?
越後 最初に話に出た『株式会社キャンプファイヤー』に勤めているときから、ずっと知り合いだった先輩というか仲良くしている細川さんという人がいるんですけれども、彼が結構早い段階で地元の金沢にUターンしていて、ホテルを経営しているという話を聞いていたんです。なかなか金沢に行く機会もなかったんですが、そんな中でコロナ禍になりました。彼はアイデアマンで、日本人向けに「金沢に観光に来てください。ホテルはうちのホテルにタダで泊めてあげます。その代わり、浮いたお金を地元の飲食店で使ってください」という特殊な企画を立ち上げました。コロナで真っ先に飲食店がダメージを受けるって、もちろん誰でも想像すれば分かったと思うんですが、「自分たちこそがそのお店に生かされているんだ」と、できることを考えて彼は企画を進めていたんです。それがすごいなと思って、応募というか久しぶりに彼に連絡を取って、1か月泊めてくれって言っておけば2週間くらいは大丈夫じゃないかなと思っていたら、1か月まるまる受け入れてくれたんです。その時、東京の会社もコロナ禍で出社禁止になっていたので、東京の企業とはZoomを使って仕事をするという過ごし方をしました。こうした経緯です。
Tad そのホテルの企画は多分長くても3日というくらいの、1日、2日泊めてあげますよっていうような企画だったのかなと思うんですが、1か月も!
越後 いろんな方が来て、いろんな方が帰っていくっていうのを、ずっと見守っていました。
原田 そうなんですね。東京のお仕事をやりながらっていうこともあったと思うんですが、1か月というと、いろんなつながりができるのに十分な期間ですよね。
越後 実際に細川さんがいろんな方をつないでくださって。金沢のいろんな企業の方や地元の方にお会いする機会もたくさんいただいて、今でもご縁が続いてる方もいます。そうやっていろんな方から金沢の魅力を聞いたりして過ごしていました。
Tad それでいろいろと地元でのご縁があって、起業につながったわけですか?
越後 そうですね。実際、起業自体は個人でもいいのかなって思いながら過ごしていた節もあったんですが、もう一人、東京から同じタイミングくらいで金沢に移住した知り合いがいて。「3人いたら何かできそうだね」っていう感じで会社を立ち上げました。通常、会社だったら何か課題を解決するとか、お金をたくさん儲けていい車に乗りたいとかあるんでしょうけど、ノリのいい3人がいて、それぞれがやりたいことも、ある程度は根っこの部分が共通していて、「じゃあ会社でやっちゃおうか」と。
ピザを食べながら談笑する3人。
Tad なるほど。街づくりに関わるSNSの活用だとか、映像制作だったりIT関係のコーディネートだったりとか、いろんな面でお仕事をされていると思いますが、働き方がすごく現代的ですよね。今、世の中では副業の解禁がテーマとしてあると思いますが、越後さんはまさに数年前からそういう働き方をされています。なぜこの働き方にたどり着いたんでしょう?
越後 実は、焦りや不安がきっかけでした。最初に働いていたインターネットの会社は、独自のカルチャーが強い会社で、毎年夏になるとバスで社員旅行に行ってたんです。そのバスに乗っているときに、「このままバスが事故を起こしたら、会社のサービスは終わりだな」とふと思って。自分が一社だけに関わって、一つのサービス、一つの仕事だけでっていうのが突然、怖くなったんです。危険だってバスの事故だけとも限らないですし、会社なんていつ潰れるかわからないなって。特にベンチャーとかスタートアップにいると、すぐ資金がショートしたり、社長が炎上したりと、いろんなことを目の当たりにしていたので、ちょっと試しに、死なないためのつながりを作っておこうと思ったんです。
原田 こちらがもしダメになってもあちらがあるし、またそのつながりでこっちにも、と?
越後 はい。結局、自分の年収も何社と付き合えるかによって上がっていったり、キャリアを作っていくことにもつながるかなと思ってやってみたりっていうのが、副業をやってみようかな、独立しようかなっていう最初のきっかけでした。
Tad 経験としても多様なものが得られそうですね。金沢に来られてから、クリエイター業としていろんな企業さんとタイアップもしているのでしょうか?
越後 そうですね。例えば地元のスポーツチームの配信をするときに「どういう配信をしたらユーザーが喜ぶのかな」と考えて、大きなスクリーンを借りてきて、お客さんの顔と選手をZoomで映してみるとか。あとはリハビリテーションの学校の方と一緒にVRを使った写真を撮ってみたり、Google Mapのストリートビューで見れるようにしてみたりだとか。今もちょうど卒業アルバムを電子化するっていうお手伝いをしています。
原田 そんなものもあるんですか。
越後 そうなんです。便利な時代になりました。
原田 学校に入っていくような映像を撮影するのですか?
越後 そういうのもありますし、今はストリートビューのような画像をより簡単に作れるようになっているのでそういうことに取り組んでみました。今思い返せば、細かい仕事もいっぱいありますね。友達が経営するオイスターバーを検索エンジンで最上位に表示されるようにしたいなと思って、お金をかけずにいろんなことを試して見事に実現できました。毎回、相談されてから考える感じですがやってみるもんだなっていうことがいっぱいあります。
Tad コラボレーションする企業からすると、そういう仕事を任せられる人が社内にいないみたいな仕事って、色々とあるわけですよね。
越後 おっしゃる通りで、相談を受けるときは大体、本当は自分のところの若い社員に任せたいけど、若い人は若い人で通常の仕事もあると。金沢の企業ってあまり、自分たちの若い社員を研修に行かせる制度が完備されていないと思うので、外にインプットしに行くって大変だと思うんですよ。そういう時にわたしが入って情報交換しながら、「こんなことをやってみようか」と実現するケースが多いですね。
Tad やっぱりリソースが大都市に集中していますよね。協力してくれる企業さんもそうだし、研修とかセミナーの機会も大都市の方が充実しています。金沢はそういう意味で足りてないところがあるってことですかね。
越後 もちろん取り組まれている企業さんもあるので、全部が全部だとは思っていないんですが。そういえば、石川県ってTwitterの利用率が全国で最下位なんですよ。
Tad原田 そうなんですか。
越後 インスタグラムの利用率も下から数えたほうが早くて。Facebookの利用率は18%くらいでしょうか。例えば企業の方がソーシャルメディアに取り組まれるときにまずはTwitterとかインスタグラムを考えるんですけど、そもそも石川の人に届かない、届きにくいんですよね。
原田 新しいものにパッと飛びつくのにためらう県民性が若干あるかなっていう気は、なんとなくしますね。
越後 大体そういうソーシャルメディアをやれと言うのは会社の偉い方で、その偉い方に指示された若者が一生懸命取り組むんですけれど、どうやっても伸びなくて、「なぜだろう?」というタイミングでわたしが呼ばれることが多いですね。それで、お手伝いした方のご紹介で共通の悩みを持っていらっしゃる方のご相談を受けたり、実際に取り組ませていただいたことを「これってどうやってやったの? 誰がやってるの?」ってご質問いただいたり。クリエイターって最初に名乗っちゃったことが恥ずかしいんですが、地道なことをしています。例えば、一緒にお客様像のことを考えてものを作るときって、クライアントが喜ぶことではなくて、クライアントの向こうにいるお客様が喜ぶことを考えないといけないですよね。「地元のお客様も大事にしつつ、新しい層も増やしたいんだよね」みたいなお悩みを、どんなふうに解決していけるか、クリエーションとして写真や何かに作り替えていけるか、というようなことを考えることが多いですね。
MRO北陸放送の番組で取り上げられた時の様子。

ゲストが選んだ今回の一曲

松原 健之

「金沢望郷歌」

「夜の街を楽しんでいるときに、同席していた地元のおじさんに『この曲を歌えたら立派な金沢人として認められるよ』とおっしゃられたので、必死に覚えた曲です」

トークを終えてAfter talk

Tad 前回に引き続き、ゲストに『46000株式会社』代表取締役社長の越後龍一さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 クリエイターの越後さんは、作り手でありながら、受け手としても視点をしっかり持っていらっしゃる。そこがすごいなと思ってお聞きしました。
Tad 越後さんのことを一推しのクリエイターとして紹介させていただいたんですが、クリエイターっていう明確な職業があるっていうより、実績の積み重ねこそが「この人」なんだと思いました。商店街の人からすると「Google Mapの人」かもしれないし、学校関係者からすると「デジタル卒業アルバムの人」なんですよね。それでいいと思うんです。ご本人は興味の赴くままにともおっしゃっていますが、デザイナーとかアーティストが自分の仕事や作品をポートフォリオといって束ねますよね。何年か後に『46000株式会社』のポートフォリオを見返してみると、越後さんたちの金沢の人や街、文化に対する愛情とか好奇心が、そのポートフォリオの背表紙として1ページ、1ページをつないでいたということに気づくんじゃないのかなと思いました。そんな未来を楽しみにしています。

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