後編

フランクなコミュニケーションで、社員の自由な発想力を引き出す。

第152回放送

株式会社大日製作所 代表取締役専務

永山領一さん

Profile

ながやま・りょういち/1983年、石川県金沢市生まれ。金沢大学附属中学校を卒業し、1998年に千葉県の私立暁星国際高等学校に入学。その後、成城大学に進学。2006年よりイギリスに留学。2008年、『三菱電機株式会社』に入社。2015年、『株式会社大日製作所』(創業は1937年。野々市市。配電盤キュービクル電子応用製品の設計・製造・販売など)に入社。

インタビュー前編はこちら

Tad 今回のゲストは前回に引き続き、『株式会社大日製作所』代表取締役専務の永山領一さんです。永山さんは金沢大学附属中学校でわたしの一つ上の先輩でしたが、今回初めてプロフィールをうかがってみると、高校は千葉のほうに行かれたんですね。これは何か理由があるんですか?
永山 一応理由はあるんですけれども……関東への憧れが強くて。シンプルにそれだけです。家族で東京に行ったときに「東京はかっこいいな」と思って。
Tad 東京に住む男になりたいと。
永山 でも、実際は千葉県だったんですけども(笑)。
Tad (笑) その後は成城大学に入られて、学部は経営だったんですか?
永山 経済学部でした。
Tad その後でイギリスに留学されていますが、これも「イギリスに住んでみたい」と?
永山 おっしゃる通りです。
Tad原田 (笑)
永山 何でも「やってみたい」という思いが強いんですよね。留学というとアメリカとかオーストラリアとかいろいろあると思うんですが、わたしはもともと音楽が好きで、特にイギリスのバンドが好きなんです。それで「行ってみたいなぁ」と思って、イギリスを選びました。
イギリス留学時代の永山専務(左から2人目)。パブでのアルバイトも経験。
原田 行ってみたいとなるとすぐ行動に移すタイプですか?
永山 そうですね。それまでは行ったことがなかったんですが初めて行って、初めて住みました。
Tad イギリス、行ってみてどうでした?
永山 今も最高の国だなと思ってます。食事がおいしくないとか空が汚いだとかよく言われますが、それもひっくるめて全部楽しめました。どちらかというと「不便を楽しむ」というのが結構好きなんです。
原田 「不便を楽しむ」? どういうことですか?
永山 たとえば、旅行先って絶対にいつもの生活とは違うようなことがあると思うんですが、それも全部ひっくるめて楽しむっていうのをテーマにしてます。
Tad とはいえ、母国語で生活できるわけじゃないからいろんなところに不便を感じますよね? それも含めて海外生活だと?
永山 はい。それだけでうれしい気持ちになるというか、やっと来れたなとか、そっちの気持ちのほうが大きい。食生活の面だったり生活インフラの面とかもひっくるめて楽しいんです。
原田 なるほど。柔軟性があるんですね。行ってみて「あれ?」という感じになる方もいらっしゃると思いますが、それを楽しいと思えるってすごいことだと思います。
永山 いつもと違う場所にいるので、それも楽しまないと自分のためにもならないし、せっかく行ったのに損だなと思って。その環境で暮らしている人もいるのにそれをつまらないというのは贅沢だし、せっかく今しかいられないんだし、今、輝いている場所だからそこにいたいという気持ちが強くて。
Tad その経験は後のご自身の考え方や生き方につながっていますか?
永山 海外に行ったことによって、今まで以上に新しいことにどんどんチャレンジしていこうとか、知らなかったことをもっと知りたいという気持ちがすごく強くなりましたね。
原田 向こうで何かチャレンジされましたか?
永山 チャレンジというか「働いてみた」という感じです。イギリスでパブという、日本のバーみたいなところで少しだけバイトをしてみたんです。単純にビールを注いで、できた料理をサーブする、それだけなんですが、日本でのバイト生活とは全然違っていました。海外の方はすごくフランクに話しかけてくるので、ただビールを持っていっただけで「お前、誰だ?」「どこの国から来た?」という感じでポップに楽しく接してくださって、“I’m Japanese.”の一言だけで爆笑に変わるような感じでした。
Tad すごいですね (笑)。
永山 「海外ってゆるいもんだな~」と思いました。我々が今、金沢で食事をしているときに、海外の方が1人その場に入ってこられたら、それだけでも多分盛り上がると思うんですよね。
Tad 確かにそうかもしれないですね。
永山 それとは逆のシチュエーションだったわけですが、そういうのも全部ひっくるめて楽しめるなと思いましたね。
Tad 楽しかったイギリス生活も2年で終えて、『三菱電機株式会社』に入社されてからも充実していましたか?
永山 そのころは東京オフィスにいたので、それこそまさしく「東京で働くサラリーマン」という感じでした。
Tad 電機メーカーさんに就職されたということは、後々『株式会社大日製作所』に入るんだという思いもあったということですか?
永山 その気持ちも心のどこかにありました。やはり一人っ子ということもあって、特に今まで何か言われたわけじゃないんですが、社員の存在も理解していたつもりですし、いつか会社のためになりたいというのは大きかったですね。
Tad 『三菱電機株式会社』に入って7年経ってから『株式会社大日製作所』にある意味「帰ってきた」形になったと思いますが、当時の社員さんの接し方というのはどんな感じでしたか? 「自分が守らなきゃいけない社員さんなんだな」という感覚ってありましたか?
社会人となり、東京で『三菱電機株式会社』に勤務していた頃の永山専務。
永山 帰ってきたらそれはすごく思いました。何より、突然帰ってきて「こいつ誰なんだ?」っていうような目線も大なり小なりありましたね。
Tad お父さんと全然似てないし(笑)。
永山 顔も性格も全然違うんです。
原田 そうなんですね。
永山 帰ってきて何より会話を大事にしようと思いました。下は18歳、上だともう70歳前後という感じでかなり年齢層も幅広いので、いろんな人と会話をして人となりを学ぼうと思いました。今も従業員のみなさんには「いろんな人と会話をしよう」といつも言ってます。
原田 コミュニケーションをとろうと。
永山専務は、入社当初から社員一人ひとりとの会話を重視していたという。
永山 コミュニケーションをとって相手が何を考えてるのか、相手に何をしてあげたら便利に感じてくれるのかを考えて、融通を利かせながら、相手のためを思った仕事をしてほしいと思ってます。
Tad 前回は配電盤を作るメーカーであるけれど、テレワークブースも開発されて、新製品として発売されているというお話もありましたが、それも社員さんとの対話のなかで生まれてきたものだったんでしょうか?
永山 まさにコロナ禍で、何か作れないかというのはありました。各社さんもそうだと思いますが、業績が下がるなど、いろんなことがあったと思います。そこで我々も何かできないかと模索するなかで、「リモート」というキーワードが毎日のようにニュースになっていたので、「リモート」で何かできないかなと。そこから生まれたのがテレワークボックスでした。
Tad どんなふうに新製品のニーズを見つけたり、それを製品に落としこんでいったりされるんですか?
永山 すべては雑談から始まっています。そこから「とりあえず真剣に考えてみようか」と、できそうな人を勝手にこちらでチョイスして何回か打ち合わせをして「これならいけるぞ」という感じで進めるか、「やっぱりやめよう」とピシッとやめる、これの連続ですね。
Tad 「やめよう」と言ったものもあるんですか?
永山 もちろんあります。「我々が持ってる技術でできるもの」というのを軸としていますので、突き詰めていくと「それはさすがにできないんじゃないか」っていうものも、なかにはあります。
原田 考えた末にできないと判断したことも、それもやっぱり無駄ではないと。
永山 それによって新たに視野が広がったと捉えます。どんどんアイデアを持ってきてほしい、いろんなこと考えようと。そういうことも伝えています。
Tad 失敗を経験として積み重ねてきたからこそ、いい新製品が出せるんだということでもあるんでしょうね。
原田 リモートのブースもみなさんとの雑談から「あっ、ブースなら作れるんじゃないかな?」というふうになって、「具体的にこんなふうにしたらいいんじゃない?」とか、カラーバリエーションもいろいろあるというお話もありましたが、「こうできたらみんな喜ぶんじゃないかな?」とか、そういうふうに盛り上がっていく感じですか?
永山 本当にそんな感じです。日々いろんなアイデアを積み重ねていって、こっちならいいんじゃないかとみんなに話しかけていった結果、生まれた製品です。
Tad 永山専務としては今後どういうふうに会社を変えていきたいと思っていますか?
永山 メインの事業として配電盤がありますが、先ほどお話ししたテレワークボックスとか配電盤じゃないものも作り始めているので、今後も我々の技術を使ったもので何か新しいものを作っていきたいというのはすごくあります。昨年度から、新入社員の方で、もちろん設計や現場、営業をやりたいという人もいるんですが、新しいものを作ってみたいというような方も少なからずいるので、そういった方には「とりあえずなんでもいいから作ってみなさい」と、フリーな権限を与えるようにしています。
原田 新入社員の方にも?
永山 はい。我々ももう何年も会社にいると、どうしても会社のスタイルにはまってしまうので、何も会社のことを知らないくらいの方に「こんなことを考えてほしい」とか「こんなことができるようになってほしい」と言うのではなく、完全に「自分の作りたいものを作ってほしい」という一言だけでやってみようかなと思ってます。
Tad 仕事ももちろん覚えながら、会社のことも少しずつ頭の中に取り入れながら、ということだと思うんですが、それと並行して、ある意味「こういう会社だったらこういう製品を作れるかもしれない」とか「こういう技術があるんだったらこういうものが市場に出せるかもしれない」というようなことにもパラレルにチャレンジするっていうのは、なかなかないスタイルなのかなと思います。新製品開発部署っていうのが明確にある会社ではないということですよね。
永山 ないですね。
Tad 新入社員のうちから「こういうことがやりたいんですけど」と言い合えるということですよね。
永山 先ほどのテレワークボックスは、社員と話し続けた結果生まれたものですが、ボツになったほかのアイデアは、今、自分たちの会社でできることを考えた上でのものばかりでした。でも、新入社員だと自分たちの会社がどこまでできるのかを知らない、まっさらな状態ですから。
原田 限界を知らない?
永山 はい。だから、無理難題が来るとは思っているんですが、実はその無理難題を我々が工夫したら、うまく売れるようなものができるんじゃないかなと思ってます。
原田 なるほど。発想を生かすということですね。そういう新入社員の方と話し合う場をしっかり持っていらっしゃるんですね。
永山 会社を歩いてるときに話しかけるくらいです。あらたまって「何時に会議室に」となると逆に彼らも恐縮しちゃうような気がして。
Tad 立ち話で?
永山 はい。一言も声を発しない会議なども嫌なので、30秒くらいでもいいので、わたしと一対一で話す。そういうのを連続させていく感じですね。
Tad 耳が痛いですね(苦笑)。
原田 永山さんとしては、常にそういう雰囲気、環境を作っていきたいというお気持ちがあるんですか?
永山 はい。今ちょうど社員の平均年齢が37歳ぐらいなんですが、どんどん若くなっているので、ちょっとした短い会話の積み重ねが大事かなと思ってます。
Tad いいですね。一日にどのぐらい現場をうろうろされているんですか?
永山 もちろん回らない日もあります。一週間に1、2回、さらっと歩くくらいです。
Tad やっぱり現場に来る社長さんがいいですよね。
原田 専務さんですけどね。
Tad あっ専務さんか(笑)。僕はあんまり現場に行ってないな……。反省してます。

ゲストが選んだ今回の一曲

レイザーライト

「アメリカ」

「イギリスのバンドの曲で、イギリスに住んでる青年がアメリカを見つめて、アメリカに行ったらこんなこともできるしあんなこともできるという憧れを歌っています。今回、この番組で一貫して話してるのは、新しいことにどんどん触れて、いろんなことに興味を持ちたいということなんですが、そういう気持ちとリンクするような気がして選びました」(永山)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『株式会社大日製作所』代表取締役専務の永山領一さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 永山さんって日焼けしてムキムキだし、お鬚も蓄えていらして、一瞬話しかけづらそうな雰囲気もあるんですが、お話をお聞きしてみたら新しい発想は大歓迎だし、無理難題も楽しんじゃおうっていうやわらかい頭と心の持ち主でいらっしゃいました。社員の方と対話しながら、これからどんなものを世の中に送り出していくのか、すごく楽しみです。
Tad 新入社員の方々にもなんでもやっていいぞ、なんでも作ってみろと言って、新製品の企画に取り組ませてみる。これって、実は画期的な人材育成の方法なんじゃないかと思いました。なんでも作っていいと言いつつも、やっぱりこの会社の作ってきたものを知らないといけないし、どこにどんな人たちがいて、どんな技術を持ってる会社なのかについて勉強もしなきゃいけないだろうし、企画とか提案の過程で、会社や社長や専務が大切にしてる価値観、考え方を知ることにもなると思うんですね。ある程度、少なからず仕事を覚えていないと説得力も出てこないかもしれない。
特に若い人って、生きるために働かないといけないような、がむしゃらにやらなきゃいけない世代じゃなくて、何か自分の働く意味を感じていたいという世代でもあるのかなと思いますから、すごく有効なやり方なんじゃないかなと思います。目から鱗でした。あと、永山さんの上司像として常に対話的でフランクでいたいという発言も心に残っています。

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