前編
金沢カレーの歴史を振り返る。
第5回放送
株式会社チャンピオンカレー 代表取締役社長
南 恵太さん
Profile
みなみ・けいた/1985年、石川県金沢市生まれ。カリフォルニア大学サンディエゴ校経済学部卒業。2009年に証券会社入社。その後、東京都内の外食企業などを経て、2013年1月カリフォルニアチャンピオンカレーに入社。同年7月から常務、2016年10月代表取締役社長就任。創業3代目、趣味はネットゲーム。
チャンピオンカレーWebサイト
Tad | 今回は金沢のユニークな食文化を彩っている、超有名な会社の社長さんをお招きしています。 |
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原田 | はい。その方に合わせて私も今日黄色いスカートをはいてまいりました。 |
Tad | そういう理由だったんですね。ありがとうございます。今回のゲストは『株式会社チャンピオンカレー』代表取締役社長、南恵太さんです。実は昨日、予習を兼ねてお店に伺いまして、しかも時計の時刻が見えるように写真を撮って、これ見よがしに社長にお送りしたんですけども。 |
南 | はい、今、店にいるよという証拠写真が送られてきました(笑) |
原田 | 南さんはファッショナブルでいらっしゃいますね。ボーダーのシャツに丸メガネがおしゃれですけれども。 |
南 | 結構カジュアルな感じで勤務する会社なので。 |
Tad | かっこいい社長さんです。くやしいですね(笑) |
南 | 東京から戻ってきて1年目はスーツを着ていたんですけど、まあいいかな、とだんだんなし崩し的に。今は全員自由です。 |
Tad | さて、金沢カレーといえば『チャンピオンカレー』ですね。 |
原田 | そうですよね。 |
南 | ありがとうございます。 |
Tad | まずは『チャンピオンカレー』の成り立ちや、金沢カレーってどうやって生まれたのかというところをお伺いできれば。 |
南 | もともと、1961年に私の祖父である田中吉和が、『洋食タナカ』という1店舗きりの小さな洋食店をオープンさせたんです。当時通ってくださっていたお客様に共同経営にしようと持ち掛けられて、『ターバンカレー』と名前を変えて新装オープンしました。ですが、この共同経営があまりうまくいかなかった面もあったのか、2年後の1974年に、分離独立しまして、野々市に移転してきました。 |
原田 | 原田:そうだったんですね。 |
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南 | 金沢カレーと言えば『チャンピオンカレー』だよねと言っていただくのですが、実は本店は野々市なんです。20年ほど『タナカのターバン』という名前で営業していたのですが、別れた方の『ターバンカレー』さんが私たちより先に商標を取得されまして、こちらの店名を変えてほしいという通達をいただいたので、1996年に『カレーのチャンピオン』に変えました。法人名が『チャンピオンカレー』です。 |
Tad | なるほど。金沢カレーには定義がいくつかあるようですが、南社長から見てこれが金沢カレーだ、という決まりはありますか? |
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南 | そこなんですが、金沢カレーという名称も含めて、私たちの預かり知らぬところで定義がまとまった経緯がありまして。金沢カレーと言われ始めたのは2008年から10年代ぐらいだと思います。当初は金沢カレーと聞いて、私たち野々市の店なんですけど……みたいな居心地の悪さのようなものを感じました。一般的に言われている定義は、ステンレスの船皿に盛る、ご飯が見えないようにルーがかかっている、キャベツが盛られている、カレーの上にカツをのせる、カツの上にソースがかかるあたりでしょうか。あとはフォークで食べるという方もいらっしゃれば、先割れスプーンでなければ、という話もあったりして、ちょっとあいまいな形にはなっているかなと思います。 |
Tad | 野々市のお店で出されていたカレーは『洋食タナカ』時代のカレーと似たものだったのですか? |
南 | そうですね。金沢カレーの成り立ちの話をさせていただきますと、うちの祖父が『洋食タナカ』から独立した当初は、エビフライ定食だとかピラフといったカレー以外のメニューもあったんです。ところが、今の金沢カレーのもとになるレシピを作って提供し始めたあたりから、ほぼカレーしか売れない店になっていった。最高に売り上げた時期には店の名前も『カレーライスのタナカ』って書いてあったそうです。徐々にカレー専門店になっていったんです。 |
原田 | みんながそれを頼むってことですよね。人気メニューですね。 |
南 | その当時『洋食のタナカ』で人気を集めていた2大メニューが、カレーととんかつ定食だったので、だったらとんかつをカレーに乗せちゃえと言ってできたのが今のスタイルの源流です。この話は一時期うちにもいらっしゃった方に伺いました。創業家である祖父がそんなに昔語りをしない人だったので、実は僕もよく知らなかったんです。『洋食のタナカ』の時代って母が幼稚園の頃の話なので、当然僕が知る由もなく。ですので、関係者に話を聞きに行ったり、残された資料を読んだりして、こういうことなんだって理解していきました。 |
Tad | 今や日本全国に34店舗を構える『チャンピオンカレー』ですが、一日の来客数は4000人を超えるとか? |
南 | そうですね。全店合わせるとそれくらいじゃないかと。 |
Tad | 一日に4000人の方が『チャンピオンカレー』を食べている! |
原田 | 結構なスピードで回転していかないと成立しない数ですよね。 |
南 | うちの、というより金沢カレー全体の特徴かもしれないのですが、オーダーを受けてからお客様にお出しするのが非常に早い。うちは特に早いと思います。特に看板メニューのLカツは来客のピークの方が早いほどです。アイドルタイムでは1枚ずつ揚げますが、ピークタイムはお客様がお見えになった瞬間から揚げ始めるので。7割以上がLカツを注文されるので、どんどん揚げてもすぐに次の注文が入るため、来店されたらその人数分のカツをすぐさま揚げていくというスタイルでもロスが出ないんです。状況にもよりますが、最短で「発券機でチケットを買って出したら交換でカレーが出てきた」という話を聞いたことがありますね。 |
南 | カレーチェーン店は「オーダーが入ってから一食ずつ温めます」という店と、回転率の良さを競争力にしていく業態が多いかなという印象ですね。 |
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Tad | なるほど。今、34店舗を抱えておられますが、どんなふうに今の店舗数に成長してきたのかを伺いたいのですが。 |
南 | まずカレー業界は市場規模で800億くらいです。ファーストフード全体で3兆円程度なので、非常に小さい業界なのですが、その中でも全国的にみてもカレー専門店って少ないはずなんです。石川県は非常に特殊なエリアで、カレー専門店が多いのですが、元々多店舗展開するという意識が生まれにくい業界だと思います。うちに関しても初めから多店舗展開を目指したわけではなく、常連さんや出入りの業者さん、あとは脱サラの方からうちもやりたいという声があがり、祖父が応じて、のれん分けしていったのが多店舗化の始まりですね。以降は、2006年、父の代に今うち一番の競争力にもなっている白山工場をかなりの資金を使って建てたのがターニングポイントです。生産を一括して請け負い、品質の安定化には寄与しながらも償却負担がかなり大きかったものですから、多店舗化してやっていかないといけないという状況もありました。以降、フランチャイズ化を意識し、募集を強めていった経緯があります。 |
Tad | 最初はお客さんや直接声をかけられるような方からのオファーに応え、のれん分けしていたのが、後々の工場建設など色々な事情の変化によって、フランチャイズを積極的に進められたのですね。 |
南 | 今、うちは業界でいうと5位くらいですかね。1位には圧倒的に強い『CoCo壱番屋』さんがいらっしゃいますので、そういう意味では店数を増やすようなフェーズではないのかなと。店舗数を増やすより、既存の34店舗をどう強くするのかが今の課題ですね。 |
Tad | 南さんが『チャンピオンカレー』に入社をされたのが2013年。2006年に工場ができ、経営的に少し問題を抱え、その状態からしばらくして入社されていますが、ご自身の目に会社はどう映りましたか。 |
南 | 元々、僕が会社に戻るきっかけというのが、徐々に店舗も増え、供給量が上がっていき、拡大路線を取り会社を広げていこうという時期でした。その中で、組織化だったり、システム化だったりという足元の部分での課題みたいなものが蓄積していったという事情があったんです。縦に伸びた後は横に伸び、を繰り返す人間の成長のようなもので、父が背丈を伸ばしそれが落ち着くと、横に伸びるための課題を整理しなくてはならなくて。能力的にも僕がやったほうがいいだろうということで、最初の2,3年は管理会計や事務負担の多い部分にシステムを導入するなどの改善をしていました。 |
Tad | 商売の規模を広げることと、社内の体制を整えることを両立させていくのはすごく大変だったと思います。続きはまた後編で、お話をお聞きしたいと思います。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
GRAPEVINE
「IPA」
「歌い出しの、《いつ消え失せるとも知らずここまで来た》っていう部分にそうだよなあ、と共感を覚えます。飲食は水商売と言われることもあり、売り上げも当然決まったものが入ってくるわけではないですし、特に先行きが見通しにくい業界だと思います。よくここまで来たなという、そんな気持ちになります」
トークを終えてAfter talk
Tad | 今回はゲストに『株式会社チャンピオンカレー』代表取締役社長の南恵太さんをお迎えしました。淡々と冷静に語られていて、話すことを整理整頓してきていただいた感じですね。 |
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原田 | きちんと創業の頃からを振り返られて、そのうえで冷静に先を見据えていらっしゃるんだろうなという印象でしたね。今日の番組を通じて何か学んだことや気づいたことはありますか? |
Tad | 客観視、そして俯瞰する力。これを感じたんですけど、3代目として自分の会社に戻ってきた時に、会社の状態を冷静に捉えて何をすべきかを見極めてこられたんだなと感じました。 |