後編
子どもたちに「ノー」と言わない環境づくりに取り組む、その想いとは―――。
第148回放送
パトリ合同会社 代表
南手骨太さん

Profile
なんて・こった/1969年、石川県金沢市生まれ。高岡中学校在学中に高峰賞(※)を受賞。金沢大学附属高等学校から1988年、東京大学工学部に進学。1992年、『三菱商事株式会社』に入社、都市開発を担当。1996年に教育業界に転身。1999年に金沢に戻り、フリースクールを立ち上げる。2011年、『パトリ合同会社』(金沢市保古)を設立。小中学生のフリースクール、通信制の高校、大学、放課後等デイサービス、学習塾、ICT事業などを展開。
※高峰賞:金沢市内の各中学校(国・公・私立)に在籍し、特に理科、数学に興味・関心が強く、且つ、優秀であり研究意欲に富む生徒に授与される(金沢市ホームページより)。
パトリ合同会社 Webサイト
Tad | 今回のゲストは、前回に引き続き『パトリ合同会社』代表の南手 英克さんです。南に手、骨に太いと書いて通称「南手骨太(なんてこった)」さんということですが、こちらが本名というわけではないですよね?(笑) |
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南手 | ほぼこれで通じてます(笑)。 |
Tad | 「南手(みなみて)さん」というのが子どもたちからすると読みにくいから「なんてこった」から「こったさん」と呼ばれている、ということでした。ところで、中学在学中に高峰賞を受賞なさったということですが、すごいですね。 |
原田 | ねぇ! |
南手 | ……リアクションに困ります(笑)。 |
原田 | 得意だった科目は? |
南手 | 数学、理科は好きでした。 |
原田 | こういう賞をとる方ってきっと頭がいいんだろうなと、一人の親としてスイッチが入っちゃうんですけど。 |
南手 | 図鑑が身近にあったり、はんだごてを親が買ってきてくれたりはしましたね。そういう意味では、自分の興味のあるものを親がノーと言わずに好きにやらせてもらえた環境は大きいと思いますね。 |
Tad | なるほど。そういう原体験みたいなところが今の授業にもつながっているんでしょうか? |
南手 | そうですね。逆に好きじゃないこと、全然興味がわかないことは本当に手がつけられないような、偏っている子どもでした。 |
Tad | こったさんご自身がそうだったから、自然と今の子どもたちにもそうしてあげたいと思われるんですかね。 |
南手 | そうですね。 |

Tad | ご経歴では、東大工学部を卒業された後、『三菱商事株式会社』に入社されて、都市開発のご担当だったということですが、どういうお仕事をされていたんですか? |
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南手 | 『三菱商事株式会社』の本社ビルが今、新しくなったんですが、旧社屋をいったん品川に移転して、それでまた立て替えてという、その時のシミュレーションみたいなことをやっていました。 |
Tad | 4年くらい勤められた後に退社されて、教育業界に転身されたということですが、これはどういうきっかけで? |
南手 | まず1人目の子どもができて、「この子が大きくなった時に世の中はどうなってるんだろう?」ってちょっと思ったんです。というのは、バブルがはじけて、たとえば銀行の頭取さんだとか中央のお役人だとかがニュースを賑わせていましたが、そういう「偉い人たち」ってみんな、東大卒だったんですよ。本来なら国のお金をたくさん使って勉強させてもらって、これから国にお返ししなきゃいけない立場の人たちなのに、彼らはどちらかというとその立場を利用して私利私欲を肥やしていたわけです。その時に、自分の子が大きくなってそういう世界に出ていったら、これはまずいんじゃないか、「日本はこのままじゃおかしくなってしまうな」と思ったんです。それで、世の中を変えるにはどうしたらいいかと考えたときに、自分に合っているのは教育を通じて人間を育てていくことかな、と思ったのがきっかけでした。 |
Tad | それまで教育に携わられたことは? |
南手 | 一切なくて、それを上司に相談したら、何でもやっている会社なので、会社中を調べてくれて「そういう部署があるか探してみたけど、なかった」ということで、「じゃあ外に出ます」という感じで会社を辞めたんです。そこからはフリーで教育について考えるという感じです。 |
Tad | フリースクールの事業をされたのは、何かきっかけがあったんでしょうか? |
南手 | 会社を辞めてどうするか考えたときに、当時あんまりなかったんですが、ネットで調べたら神戸に面白い教育をやってる会社があるというので、そこにボランティアでいいから使ってくれと頼みに行ったら、「いいよ」というので家族で移り住んで、神戸で教育活動を始めたんですが、そこにたまたま関西でフリースクールの集まりがあるという案内が来て、行ってみたんです。すると、そこにはフリースクールを主催している人とか通っている生徒が100人くらい来ていたんです。それまでフリースクールって全く知らなかったんですけど、「なんだこの世界は」と。そこがフリースクールを知ったきっかけです。 |
原田 | そこにいらしている方たちからノウハウなどを共有してもらったり? |
南手 | そうです。それが1997年だったんですが、NHK特集でアメリカのフリースクールの番組があって、会場でその映像を流していたんです。それを見たときに「こういう学校があるんだ」と衝撃を受けました。これこそ日本に必要だよねと思ったので、だったらやろうと。 |
Tad | それが前回おっしゃっていた、校則やルールをみんなで、生徒を含めて1票で決める民主的なスタイルの学校ですね? |
南手 | そうです。 |
Tad | やることも勉強することもみんなで、自分で決めていくと。 |
原田 | それを自分でやっていこうとなると、また大変な部分があったんじゃないかなと思いますが? |
南手 | でも、「こんなことをしたい」と発信していると「一緒にやろう」と仲間ができたりもしました。まず神戸で始めたんですが、その後、石川に戻ってきて、またこちらで同じく「やろう」という志のある人と出会って、それで一緒にスタートしたのが1999年でした。 |
Tad | フリースクールとしては石川県で1軒目ですよね? |
南手 | そうですね。 |
原田 | ニーズはあったわけですよね。 |
南手 | ニーズはあるんですけど……掘り起こせなかったんですよ。 |
原田 | 当時はフリースクールというもの自体がほとんど認知されてないような状況ですよね。そのなかでコツコツと活動されて、だんだんと法律の改正などもあり、最近ではずいぶん理解されるようになったと。 |

Tad | なかなか異色のご経歴だと言ってもいいくらいに、すごい華麗な転身をされましたよね。『三菱商事株式会社』にお勤めになられて、バブルの世の中を見て「このままじゃいけないぞ」というところから教育事業に身を投じるというのは、なかなか普通の人ではできないと思います。 |
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南手 | 自分では、変わり者だと思うんです。こうだと思ったらやらざるをえないというか。後先を考えると賢明な選択ではないと思うんですけど。 |
Tad | いや、必ずしも賢明かどうかということではないとは思うんです。使命感というか。 |
南手 | そうですね。小さいころから妙な正義感というのはあって、多分そういうのが自分を突き動かしたんじゃないかなと。 |
Tad | ご家族から反対されました? |
南手 | ラッキーなことにうちは奥さんが中学からの同級生なので理解がありました。「三菱商事」の同期に聞いてみると、彼らは社内結婚や、商社マンになってから結婚していて、僕みたいな転身は奥さんには大概許してもらえないみたいです(笑)。 |
原田 | 奥様もこったさんのことをよくご存じですし、「そうだよね、じゃあ頑張ろう」と? |
南手 | そんなふうに積極的に応援してくれたかどうかはちょっと微妙…… |
Tad&原田 | (笑) |
Tad | 今は事業も軌道に乗っていて、フリースクール以外でも通信制高校や放課後等デイサービスなどいろいろ展開されていますが、こったさんとして最近新たにチャレンジしていることはありますか? |
南手 | カンボジアにできた学校のお手伝いをしています。日本人がカンボジアに幼稚園・小学校・中学校を作って、そのカリキュラムを作るというご縁がありまして。それは本当に自分がもともとやりたかった、自分の利益だとか国益ですらない「地球全体の利益を考える人材を育てる」という目的のもとに設立された学校で、その思いに感銘を受けて、お手伝いをさせていただいてます。 |
Tad | お手伝いというと、具体的にカリキュラム作りを手伝っているということですか? |
南手 | そうですね。カリキュラム作りと、今は現地のIT周り、出欠の管理だとか費用の請求だとかのDX関係のプログラムを作ったりしています。 |
Tad | 学校周りに必要なデジタルツールの導入や開発という感じですか? |
南手 | そうですね。 |
原田 | その学校ってどんなことを学ぶところなんですか? |
南手 | いわゆるインターナショナルスクールなんですが、カンボジア政府公認の学校で、カンボジアでの卒業資格が取れます。政府とも非常に密接にやっています。本来なら日本で、リーダーを育てるようなちょっと先進的な教育をやれればよかったんですが、なかなか日本では難しいということで。カンボジアも、元ポルポト政権で知識人がみんな殺されてしまって教育は壊滅的だったんですが、そういうなかで日本の学校が受け入れられています。非常にダイナミックで面白いなと思って。 |
原田 | 地球の利益になることって、どういうことなんでしょう? |
南手 | 先ほどもちょっと例に挙げましたが、ある程度の地位になったら自分の利益を考えることに走る人が出てもしょうがないんですが、そうではなく、もうちょっと広い範囲で、みんなのこと、地球全体のことを考えないと今後立ち行かなくなっていくだろうと思うんです。そういうことを考えられる人材を育てようということに、真剣に取り組んでいる学校です。 |
Tad | 外国にある、日本語で学ぶインターナショナルスクールというのが、日本人としてはちょっとうれしいところですよね。 |
南手 | そうですね。 |
Tad | そういうところを卒業した方々が、ネイティブではないかもしれないけれど日本語のわかる方々として、日本とも手を組みながら、もしかしたら一緒に地球規模の課題を解決してくれるかもしれない。 |
南手 | はい。将来卒業した後で日本にやってきて、日本でさらに高校・大学の勉強をしたり、日本で働いて得た技術やノウハウを地元に持ち帰ったりして、そんな形でうまく交流できればいいなと。 |
Tad | こったさんがそこから「パトリ」の事業にフィードバックすることもあるんでしょうか? |
南手 | そうですね……2年半前から現地に行こうと思って、子ども4人と一緒に計画していたんですが、飛行機がコロナでキャンセルになって、それから行けてないんです。本当に向こうは教育環境もそれほど豊かではないところにできたので大歓迎されていますし、そこで貪欲に学んだ子たちが育ってるという姿を早く見てみたいなぁと思っています。 |
原田 | そういう思いを同じくする方とつながって、こったさんはこれからも教育のために邁進されると。 |
南手 | そのつもりでいます。 |
Tad | 今後に向けての抱負をぜひお聞かせいただければと思います。 |
南手 | 同業の通信制高校や放課後等デイサービスというのは、横展開をして事業の規模を拡大していくものなんですが、僕はなぜかその気が起こらなくて、今来てくれている子どもたちへの対応もまだ完璧とは言えないので、ここをもうちょっと極めていきたいなと思っています。そして、少しでも子どもたちがプラスに成長してくれるようなものをまずは確立していきたいですね。ですから、そんなに規模は大きくしないだろうと思います。だけど、このノウハウをもとに、もうちょっと全国で多くの子どもたちが成長できるような仕掛けを考えたいなと思っています。 |
Tad | 自社としての横展開ではなくて、全国の同じような取り組みをされている方々と手を組みながら? |
南手 | そうですね。 |

ゲストが選んだ今回の一曲
U.S.A. For Africa
「We Are The World」
「名だたるアーティストが協力して歌って、それで世界を救おうというプロジェクト。これを実現したというのがすごいなと思います。多くの人たちに感動を与え、チャリティーでアフリカの人たちに多くのお金を寄付することができたという意味では、本当にものすごい事例だなと思います」(南手)

トークを終えてAfter talk


Tad | 今回はゲストに、『パトリ合同会社』代表の南手 英克さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。 |
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原田 | こったさんは、わが子が成長したとき社会はどうなっているんだろうという思いから事業をスタートされたということなんですが、今では地球規模で人を育てることを考えていらっしゃるって、素晴らしいなと思いました。わたしも子どものテストの点ばっかり見ていてはいけないなと反省しました(笑)。 |
Tad | きっかけのお話は印象的でしたね。日本が、日本人がこのままじゃいけないと、いてもたってもいられなくなって、実際に実行に移されていったというのが本当にすごいことで、それまでのご経歴とは全く違う分野でも果敢に取り組まれましたよね。こったさんご自身は「変わり者だからできた」とやや謙遜気味におっしゃっていましたが、たとえ奇人変人と言われたとしても、奇人とは「奇跡を起こす人」、変人とは「変化を起こす人」のことなんだろうなと思います。 |