前編

クレーンや橋梁などの大型鋼構造物を製造する『北都鉄工』。

第167回放送

株式会社北都鉄工 経営企画室長

小池田康徳さん

Profile

こいけだ・やすのり/1991年、石川県金沢市生まれ。石川県立金沢二水高等学校を卒業後、関西学院大学商学部に進学。大学卒業後、関西の金融機関に入社。2020年4月、石川県にUターンし、家業である『株式会社北都鉄工』(創業は1934年。金沢市長田本町。橋梁、クレーンなどの大型の鉄の構造物の設計、製造、施工、メンテナンス事業を展開)に入社。現場での施工管理に従事した後、経営企画室長として、採用、広報、企画など次世代に向けた組織づくりに関する業務を担当している。2021年12月には「日本橋梁建設協会」の戦略広報ワーキンググループの委員に就任。将来の担い手の確保に向けて全国の橋梁メーカーと協業し、橋梁の魅力の発信に向けて尽力する。

株式会社北都鉄工Webサイト

インタビュー後編はこちら

Tad 2022年11月19日に海側環状の大河端―福久間にたくさんの橋が架かりまして、やっとつながったなという感じですよね。金沢には犀川や浅野川が流れていますし、能登にも加賀にもたくさんの川や橋があります。こういう橋って、どこの会社が造っていると思いますか?
原田 ちょっと考えたこともなかったですね。
Tad そして、その橋は何でできていると思いますか?
原田 硬いものですよね。
Tad 今回は、石川県で唯一鉄の橋を造る会社、『株式会社北都鉄工』、経営企画室長の小池田 康徳さんにお越しいただいております。お会いするのは実は二回目ですね。
小池田 そうですね。
Tad 最初にお会いしたときにぜひラジオに出てくださいとお願いしました。
原田 いきなりスカウトされて。
小池田 即答させていただきました。
Tad ありがとうございます。『株式会社北都鉄工』さんは橋梁やクレーンを造っているとのことですが、あらためてどんな会社なんでしょうか?
小池田 当社は創業して88年になりますが、創業当時から溶接技術がずっと会社の中心にありました。鉄を溶接して物を造るということをずっと継続しているんですが、現在はその溶接技術で橋梁や橋、クレーンなど、とにかく大きな鉄のものを造って世に送り出しています。
Tad たとえばどんな橋を造ってこられたんですか?
小池田 先ほどもお話にありましたとおり、先頃開通した海側環状の大河端-福久間に何本も橋が架かっていますが、当社はそこで3本の橋を架けさせていただきました。
海側環状延伸部に架かる千田高架橋。石川県道200号向粟崎安江町線と立体交差している。
原田 県内では唯一の鉄の橋を造る会社ということですよね。
Tad 「鉄工」と社名にも入っていますが、最初は橋の事業じゃなくて鉄工所という感じだったんでしょうか?
小池田 そうですね。創業間もないころは公園の遊具を造っていたと聞いています。当時造った遊具が入っている遊園地は、もしかしたら今はないかもしれませんが。
原田 遊具から、なぜクレーンや橋に移っていったのでしょうか?
小池田 いろんなところに遊具を納めていたと聞いているんですが、そのなかで鉄の材料の仕入れ先から「今後はこういうものを造っていったらどうか」と紹介されたのが、クレーンでした。
原田 クレーンというと、どういうタイプのものになりますか?
小池田 工場に入っている天井クレーンというものになりまして、工場で造った製品や、人の手で運べないようなものを吊り上げて、所定の位置まで持っていく、そういった役割の設備になります。
Tad 工場で上から吊ってある備え付けのものをスライドさせて、所定の位置でゲームセンターのクレーンゲームみたいに操作して重たい物を吊り上げて、別の場所にまた移動させる、みたいなものですよね。遊具に比べると、すごく規模の大きなものになりますよね。
小池田 そうですね。たぶん、当時は社運を賭けた事業シフトだったんだと思います。
Tad 遊具ももちろん、安全性も含めて品質がすごく大事なんでしょうけれど、さらに重量物を扱うとなると、耐久性とか操作感とか、いろんな課題があると思います。それを造ってみないかとお声がけをいただいて造り始めたと。
小池田 そうなんです。
Tad その段階ではまだ橋を造るところには至ってないんですね。
小池田 はい。その後、たくさんのクレーンを造らせていただきました。クレーンには銘板というものがついていて、そのクレーンで何トンのものを吊りあげることができるのか、どこの会社が造ったかがわかるんです。つまり、漏れなく当社の名前がそこに載るわけです。おそらく、県の方だったと思うんですが、クレーンの我々の溶接技術などをご覧になって、その技術を活かして今度は橋を造ってみないかと。そういうお話をいただいて橋梁事業に踏みこんでいったと聞いております。
原田 当時も石川県には橋があったと思うんですが、橋を造る会社って他にはなかったんでしょうか?
小池田 なくはなかったと思いますが、我々の技術力を認めていただいて、やってみないかとお声がけをいただいたことが当時うれしくて、おそらくそこからこの世界に入っていったのかなと思います。
Tad クレーンはなんとなくイメージができますが、橋ってどうやって造るんですか?
小池田 橋にはいろんな構造がありまして、断面がアルファベットの大文字の「I」や漢字の「口」の字みたいな形になるんです。一枚の鉄板から切り出して溶接して、そういった形状にもっていきます。
原田 それを現場で組み立てて橋にするということですか?
小池田 はい。連結は溶接じゃなくてボルトになるんですが。
原田 大河端の橋はそんな工程で造られたんですね。結構長い期間がかかりますね。
小池田 もちろん橋の大きさにもよりますが、設計から実際に現場に架かるまで、大河橋の橋で3、4年くらいかかったかと思います。
Tad 先ほど会社のご紹介で、クレーンなどの大型の鉄の構造物の設計、製造、施工、そしてメンテナンスをされているということでしたが、設計はどういうものを?
小池田 いわゆる実施設計の形になりますが、当社がお仕事をいただいた段階では、どこにどういう橋を架けるのか、実は決まっているんです。そこで実際に構造計算などをしてそれを照査します。これは当社の設計部門の役割になります。
Tad 工程を設計することもなさっているんでしょうか? どこから運んで、どの部位から組み立てをしていくとかいうことも?
小池田 それも当社がやっております。
原田 県内の橋の話が先程ありましたが、県外でもお仕事をされているんでしょうか?
小池田 県外でも橋を何本も成功させた実績があります。当社の商圏としましては、だいたい北関東から関西方面までとなっていまして、その間で何本も橋を架けさせていただいております。
原田 そうなんですね。でも、それって白山市にある工場で鉄のパーツを造って運んでいくんですよね? 結構大変な作業ですよね。
小池田 どうしてもトレーラーに載せられる大きさや重量が決まっていますので、トレーラーに乗るサイズのブロックを造って、それを何回も現場に送り出して現場で連結しています。特に大きな橋になると数十ブロックも白山市から関西や関東に送り出さなければならないので、これはこれで大変ですね。
断面が「口」の字の橋梁の1ブロック。数十ブロックが連結されて1つの橋になる。
Tad 設計外観とか形状デザインをされている方々は別にいるけれど、そういう方々はどういうふうに分解して運搬すればいいというところはあまり気にしなかったり、ある意味無茶を言ったりということもあると思いますし、そのあたりの最後の調整をしながら、ものづくりの観点で設計しているということですよね。
小池田 あまり大きな声では言えないですが(笑)、そういうことになりますでしょうか。
原田 家業ということですが、橋を造ることに関しては入社されてから知ったことがやはり多かったですか?
小池田 はい。正直、私も橋を造ることに関しては全然知りませんでした。原田さんがおっしゃった通り、家業でありながら、橋が何でできているのか正直知りませんでしたし、もっと言えば建設業、製造業ってどういう仕事を実際にやっているかということは想像もつかなかったので、会社に入ってからの発見はすごく多かったですね。
Tad 現在は経営企画室長でいらっしゃいますが、以前は現場を見ることもあったんですか?
小池田 会社に戻ってからはまず現場に行ってこいと言われました。どうやって橋を架けているのか、まずは勉強をということで、この間開通した大河端―福久間の現場にいました。ずっと文系で育ってきたので、実際にそこで橋が架かっていく様子や現場の雰囲気などを見て、知らないことがいっぱいあったなと気づかされました。
原田 小池田さんもみんなもこれまで知らなかったことを現場でご覧になって、お仕事の魅力をあらためて実感されたんじゃないですか?
小池田 そうですね。この仕事に携わるまでは、橋を造るという仕事を知らない人と同じ過程をたどってきているので、だからこそ、橋を造るってこういうところが魅力なんだと多くの人に伝えられるんじゃないかなと思います。
Tad 採用や広報といった次世代の組織づくりに関する業務ということですが、具体的にはどういうことをされているんですか?
小池田 仕事のウェイトとして一番重いのは採用活動になりまして、「広報」も担当していますが、実は広報を通じてものを売りたいわけじゃなくて、会社のことを知ってもらう、いわゆる「採用広報」と呼ばれるものになります。いかに学生さんに会社のことを知ってもらうかという意味での広報なので、そこは表裏一体なのかなと思って取り組んでいます。
Tad やはり学生さんにどうやって会社のことを知ってもらうかというのは工夫をしないといけませんよね。
小池田 はい。日々模索しております。
原田 学生さんのなかにも橋のことを知らないっていう方は多いですよね。どういう切り口でPRするんですか?
小池田 たとえば合同説明会などに出展して学生さんにブースに来ていただいて説明をします。その時に第一声で「今日、ここに来るまでに橋を渡ってきましたか?」と聞くようにしています。
原田 なるほど。
小池田 実は橋というものは生活に密接する、なくてはならないものですが、逆に言うと「橋ってどういうもの?」なんて考えたことがないと思うんですよね。
原田 そうですね。
小池田 そこで「やっぱり橋は毎日使っている大事なものなんだ」ということに、まず気づいてもらうというのが最初の大事なことなのかなと思いまして。
Tad そう言われると「何本通ったかな?」って考えちゃいますね。
原田 道路とつながっているからそんなに意識しないで通っているけど、風の強い日なんかはちょっと揺れたりして「あ、ここ橋だった」って気づくこともありますよね。
小池田 確かにそうですね! 川の上だけじゃなくて、バイパスの高架橋も橋の一種ですし、そんなふうに考えてみると、みなさん毎日何かしらの橋を渡っているんじゃないかなと思います。
Tad もちろん、歩いて渡るような橋も?
小池田 歩道橋も当社で手掛けております。
Tad そうですか!
原田 それこそ鉄の橋ですよね。
Tad 橋がなかったころとか、長い橋や大きい橋を架けづらかった時代とかもあると思うんですが、「いつか渡れたらいいのにな」と思っていたところに1本ずつ橋が架かって、海側環状もそうやってやっと開通したわけですよね。そうして人々の生活のなかに橋の存在が溶けこんでしまって、いまや特に意識しなくても橋を渡っているという状況になっています。これはある意味で、豊かな未来を我々が獲得してきたということになると思うんですが、でもやっぱり会社として、「我々がやったんですよ」と言いたいですよね。
小池田 それも知っていただければいいなって思いますね。
Tad ウェブサイトも面白いですよね。「そうだ 北都、行こう。」ってちょっと聞いたことのあるようなキャッチコピーが(笑)。
「そうだ 北都、行こう。」というキャッチコピーは、候補に挙がった瞬間、即決だったそう。
原田 聞いたことありますね(笑)。それは採用のための?
小池田 そうです。
原田 SNSとかいろんなものを通じて発信していらっしゃるんですか?
小池田 そうですね。Instagram、Twitter、Facebook、どれもここ1年のうちに始めたものです。学生さんももちろんそうですが、石川県の多くの事業者の方にも見ていただいていると思います。実際に「インスタ見たよ」「Twitter見てるよ」とお声かけいただくこともあります。愚直に続けていくしかないかなと思っております。
Tad いま働いている社員のみなさんにとっても「自分たちの仕事ってこんなに社会的意義があったんだ」とあらためて実感できる時間にもなりますよね。
小池田 自分たちの造ったものをインスタなりに載せると、社員ももちろん見ているようで、「こんな形になったんだな」と感慨深く見てくれてるのかなと思います。
Tad そうなんですよね。石川県の会社が石川県の鉄の橋を造っているんだっていうことを、今回のラジオをお聞きのみなさんもよくわかったと思います。リスナーのみなさん、『株式会社北都鉄工』という会社が造っていますから。
原田 これからは橋を渡る時に「北都鉄工さんが造ったんだ」と思いながら通ります(笑)。
小池田 ありがとうございます!
Tad まだ見ぬ学生さんや社員のみなさんなど、いろんな方に対して、『株式会社北都鉄工』の仕事のよさや面白さなど、一言いただけますか。
小池田 石川県で橋を造りたいと思ったら正直、ウチ一択かなと思っています。培ってきた溶接技術や、お客さんからいただいている信用・信頼は不動のものといいますか、そんなに胡坐をかいちゃいけないと思いますが、そこに誇りと自負を持ってやっているので、石川県の未来の道路を造りたいという方、ぜひとも当社のホームページを見ていただいて、ご連絡いただければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

ゲストが選んだ今回の一曲

ポルノグラフィティ

「サウダージ」

「幼少の頃、母親がポルノグラフィティさんのファンクラブに入っておりまして、車の中でよくかかっていました。最近ふとそのことを思い返しまして、ぜひこのラジオでも流していただけたらなと思い、選曲させていただきました」(小池田)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『株式会社北都鉄工』、経営企画室長の小池田 康徳さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 本当に橋を渡らない日はないほどお世話になっているのに、どこの会社が造っているのか知らなかったというのが一番大きな気づきでもありましたし、橋の見方が変わった気がします。いつもは上を通るばかりですが、橋をちょっとほかの角度から、たとえば下から見てどんな構造なのかとか、あの鉄のパーツは『株式会社北都鉄工』が造ってたんだなとか、そういう視点で橋を見てみたいなと思いました。
Tad 僕もそんな感じで橋をあらためて見てみたいなと思いました。溶接を生業とする鉄工所に始まって、公園遊具、アトラクションの製造、そこから仕入れ先に「クレーンを造ってみないか」と言われ、その品質の高さを知った県の方から「橋を造ってみないか」と言われ……そんなふうに言われたからといって「造ってみよう」と思えちゃうものなのかなと思いますよね。でも、これってすごいことだと思いますし、そこには経営陣の思いとか、社員のみなさんの好奇心や能力を信じる心があったんだろうなと想像します。小池田さんご自身が、いま広報に取り組まれているということですが、大きな仕事を受けるときのわくわく感や、橋が開通するときの達成感といった様々な感情が、多くの橋をつなげているんでしょうね。たくさんの若い人たちにもこの会社のことを知ってもらえたらいいなと思いました。

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