後編

橋を造ることにロマンを感じられる組織づくりを。

第168回放送

株式会社北都鉄工 経営企画室長

小池田康徳さん

Profile

こいけだ・やすのり/1991年、石川県金沢市生まれ。石川県立金沢二水高等学校を卒業後、関西学院大学商学部に進学。大学卒業後、関西の金融機関に入社。2020年4月、石川県にUターンし、家業である『株式会社北都鉄工』(創業は1934年。金沢市長田本町。橋梁、クレーンなどの大型の鉄の構造物の設計、製造、施工、メンテナンス事業を展開)に入社。現場での施工管理に従事した後、経営企画室長として、採用、広報、企画など次世代に向けた組織づくりに関する業務を担当している。2021年12月には「日本橋梁建設協会」の戦略広報ワーキンググループの委員に就任。将来の担い手の確保に向けて全国の橋梁メーカーと協業し、橋梁の魅力の発信に向けて尽力する。

株式会社北都鉄工Webサイト

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Tad 前回は、石川県で唯一、鉄の橋を造る会社である『株式会社北都鉄工』の小池田 康徳さんにお越しいただいたんですが、私もあれから橋を渡るときなどに「ああ、ここで分割されてるのね」などと思うようになりまして。
原田 視点が変わりましたね。
Tad 変わりました。今回も引き続き、小池田さんにお越しいただきまして、若い小池田さんの人となりにも迫ってみたいと思います。小池田さん、どうぞよろしくお願いいたします。
小池田 よろしくお願いします。
Tad ところで、プロフィールの最後に出てきた「日本橋梁建設協会」の戦略広報ワーキンググループの委員というのは、どんなお仕事になるんでしょうか?
小池田 「日本橋梁建設協会」は、全国の鉄の橋を造っている会社で構成されているんですが、業界が抱える共通の課題としまして、やはり「将来の担い手の確保」があり、いかに橋の魅力を伝えていくかというのが私たち橋梁の会社で働く者に課せられた命題だと思っています。もちろん当社でもSNSをやっていますが、各社で単独でやるよりも、協会として集まってやったほうがより多くの効果を得られるのではないかと、日々いろいろな発信をしております。
Tad 担い手の確保というのが全橋梁の業者さんの共通認識ということですが、一般に辛い仕事というイメージがあったりするんでしょうか?
小池田 逆にお聞きします。橋梁の仕事は建設業にあたりますが、「建設業」と聞いたときにどんなイメージを持たれますか?
Tad 重いものを持ったり、汗をかいたり……。
原田 大変な仕事ですよね。
小池田 一昔前は「建設業界は3Kである」と言われていました。つまり「きつい・危険・汚い」という3つの要素があるとされたわけです。そこは真正面から否定はできないんですが、建設業の本来の役割や、やっている仕事に対してそんなふうに言われてしまうのは違うんじゃないかと僕は思っています。橋に限らず、トンネルや道路というものは私たちの生活に必要なものです。そういうものを造っている仕事が「きつい・危険・汚い」で済まされてしまうのはちょっと違うんじゃないかなと。こんなにかっこよくて、こんなにやりがいのある仕事をしているのに、なぜわかってもらえないのかと感じます。
原田 実際に現場に出られて、小池田さんご自身も仕事内容や、やりがいの部分で感動なさったところもありましたか?
小池田 ありましたね。何十トン、何百トンもの鉄が日に日に橋の形に近づいていくのを見ていると「これってやっぱりすごい仕事だな」と感じましたし、橋を架けるといっても毎回何百人もの職人さんが入るわけではなくて、十何人ずつのチームでちょっとずつ橋を造っていくんです。これってすごいことをやっているよねと現場に入って気づきました。
金沢市内某所の高架橋を夜間工事で架けている瞬間。天候が悪い中でも職人さんはてきぱきと作業を進めている。
原田 そういう部分を見ると完成した時の感動もひとしおですよね。
小池田 この橋にはこんな苦労があったよねと後になって思い返すこともいっぱいあるんですが、やっぱり橋が架かった時に感じる感情はいつも一緒で、毎回「やってよかったな」と思いますね。
Tad 車で走っているとその橋を造った時の思い出が蘇ることもありますか?
小池田 間違いなく思い出しますね。「これ、うちで架けた橋だよね」って。あの時、こんなことがあったよねと、いまでも思いますね。
Tad 具体的にはどんなことを覚えていらっしゃいますか?
小池田 たとえば、この橋を架けているときにすごく雪が降って、工事をやってる傍らでも除雪作業をして大変だったよね、というようなこととか。いろんな問題や課題を乗り越えてみんなで架けた記憶はすごく強く残りますね。
原田 橋について熱い思いを語っている小池田さんですが、高校卒業後は関西学院大学の商学部に進まれました。後を継ぐぞという意識はこの時点ですでにあったんでしょうか?
小池田 ぼんやりとありました。ただ、いまこれだけ橋の話をさせていただきましたが、僕自身、文系で育ってきているので、もちろんまだまだわからないことはあるんです。当時、単純に数学が苦手だったということもありましたが、将来的にいずれ家業を継ぎたいなというのはぼんやりとあって、商学部に進むのが一番いいのかなと思っていました。
Tad 商学部はビジネスを学びたいということから選ばれたわけですか?
小池田 そうですね。
Tad ビジネスを学んだことがいま、活きていると感じますか?
小池田 その後に関西の金融機関で仕事をしていたということもありまして、お金の流れについても勉強させていただいたので、確かに実感することはあります。
原田 学生時代に夢中になったことや、楽しんでいらっしゃったことって何かありますか?
小池田 実は小学校三年生から高校を卒業するまで、剣道を十年間やっていました。なんで始めたかというと、小さい頃から家の中で新聞紙を丸めて棒を振り回していたらしく、親に「剣道をやりなさい」と首根っこをつかまれて道場に連れていかれたのが始まりでした。その後、大学進学するにあたって金沢を離れて関西に行くことになり、何か違うことに挑戦してみたいなということで出合ったのが、ストリートダンスでした。
原田 剣道と対極と言いますか、全然違うジャンルですね。
小池田 もともとあんまり人前ではあまり目立ちたがらない気質だったんですが、そこもちょっと変えたいなと思って。逆に360度、どこから見られてもいいくらいの感じでダンスをやってみようかなと。そこも自分のなかでは大きな一歩だったなと思います。やってみると、人に見てもらえる、評価してもらえる、歓声を浴びることができるというのがすごく気持ちいいなということに気づきまして、どんどんのめりこんでいきました。
大学時代のダンスイベントでの一幕。中央の赤いキャップをかぶっている方が小池田さん。
Tad 大会にも出たり?
小池田 ダンスバトルの大会に出て優勝したこともあったんですが、一方で勉学が疎かになりまして、卒業がぎりぎりだったという話もあります(笑)。
原田 のめりこんでみたら面白いものに出合えて、それはそれで自分のなかの何かを増やしたというか、人前に出る勇気や見られることに対する感覚を身につけるうえでは、すごくよかったんでしょうね。
小池田 そうですね。なにより人前に出るのが苦にならなくなったというのがすごく大きいですね。
Tad 社長業は俳優業かもしれませんしね。
原田 社長業にはそんな要素があるんですか?
Tad あると思いますよ。私はよくわかりませんけど(笑)。
原田 はぐらかされますけどね、毎度(笑)。小池田さんは金融機関に入社された後に、石川県に2020年に戻っていらっしゃいましたが、前回のお話では、まずは現場にということでしたよね。
小池田 はい。とにかくどういうことをやっているかまったくわからなかったので、とりあえず橋がどうやって架かるのかを見て来いということで、現場へ。
Tad 現場で「こんなふうにやってるの?」といろんな衝撃を受けられたんでしょうね。
小池田 すごくありました。先程お話ししたように、大きな橋でも「現場ってこんなに人が少ないの?」というのがまず一番衝撃でしたし、実際に本当に橋ってどうやってできているのか、まったく想像もつかなかったなかで、毎日「これ測定して」だったり「こういう工程、管理で調整してきて」と言われたりして、日頃こういう仕事をしてるんだなと知ったり。それこそ現場で頑張ってるみなさんの気持ちの部分も含めて、すごく理解できた気がしました。
Tad 「測定してきて」と言われて、「わかりました」、「これ、あっちに置いてきて」と言われて「わかりました」と、そんなふうにやってたんですよね?
小池田 やってました。僕からすると、逆にありがたかったです。色眼鏡で見られていたかもしれないですが、そうやっていろんな仕事をさせていただいて、当時の現場監督にも頭が上がらないです。
原田 ちなみに、小池田さんが戻ってきてから携わられた橋で「ここ、実はこんなふうになってるんだよ」というような面白い橋ってありますか?
小池田 みなさんにお伝えしたい橋が一本あります。金沢城公園に一昨年、鼠多門ができましたが、あの門の前に鼠多門橋が架かっているのをご存知ですか?
Tad あの尾山神社の奥のほうにある?
小池田 そうです。あの橋、見た目は木材ですよね。
Tad え、木の橋じゃないんですか?
小池田 木の橋じゃないんです。実はあの橋、中は鉄の構造になってまして、その上に木のプレートを貼っているんですよ。
Tad それは気づかなかったです。伝統的な趣を残しつつ、強度や耐久性も十分に備えないといけないですよね。とりわけ道路の上にある橋ですから。
小池田 実際に江戸時代には本当に木の橋があそこにあったそうなんですが、実際にそれを再現するとなると構造上の問題でなかなか難しいので、中は鉄の構造にして、見た目の趣は木のままで再現したと聞いております。
原田 そういう意味では鉄の橋もいろいろな表情を持たせることができるんですね。
小池田 鉄がむき出しの橋もありますが、基本的には塗装されて、街の景観にマッチするような色が選ばれています。もちろん、うちで塗りたい色を選べるわけではないですが、景観に配慮して塗装されていますので、橋によっていろんな表情がみられるんじゃないかなと思います。
Tad 鼠多門も立派な橋ですもんね。シンボリックな建造物であればあるほど、そういうお仕事を受けるときは、やはり「やってやるぞ」と?
小池田 金沢城も兼六園も、いわゆる金沢のランドマークですよね。誰もが知るような観光スポットだと思いますが、そういうところで橋の仕事をやらせていただけるとなると、「これは、石川県で橋を造っている会社として、絶対にやらなくてはいけないだろう」というのが、当時の合言葉だったと聞いています。
Tad これからやってみたい仕事はありますか?
小池田 たとえばレインボーブリッジ、明石海峡大橋など、全国的に知名度のある橋、誰もが知るようなランドマークになってる長大橋などがありますが、橋梁メーカーの野望としましては、そういう橋にいつか携わりたいなと思っています。
世界で2番目に大きい吊り橋とされる「明石海峡大橋」。「いつかこんな長大橋に携われたら」と小池田さんは語る。
原田 野望ですか。
小池田 「大きいものにロマンを感じる」というと安直な言い方かもしれませんが、橋を手がけている会社として一番大きいものに挑戦していくというのは、通っていくべき道なのかなと思います。あのような大きな橋は一社単独で造れるものではないので、いろんな会社さんとJV(共同企業体)を組んで、というふうになると思います。JVに入れてもらうということがいいのかどうかは別にして、とにかく技術力を認めていただく、仲間に入れていただくというところがスタートだと思いますので、日々の仕事、ひとつひとつの橋を丁寧に造っていくことがまずは重要だなと思います。
Tad 前回のお話では、『株式会社北都鉄工』が造ったクレーンの品質の高さに気づいた方から「橋を造ってみてもいいんじゃない?」とチャンスを広げるような一言をいただいたということでしたが、いろんなことに丁寧に取り組んでこられたからこそ、そういった運命のようなものが生まれたわけですから、きっとこの先も同様のことがあるはずですよね。
小池田 ひとつひとつ丁寧にやっていくことによって、どこかで大きなターニングポイントを迎えられるんじゃないかなっていうのはあって、本当はそれをせめて自分から取りに行けたらいいのかもしれませんが、そういうタイミングもいつか来るのかなと思っています。
原田 ゆくゆくは経営者になられるでしょうから、気持ちや社内的に整えたいこともいろいろおありではないかと思います。
小池田 そうですね。橋のことを十分勉強してきたわけでもないですし、実務として十分やっているわけでもないので、そんな私自身ができると思っているのは、ひとりひとりの社員のパフォーマンスを上げていく仕組みづくり、働く環境、評価制度、研修制度を整えるといったことではないかと思っています。そういう点では、まだまだ自分のやれることはたくさんあるんじゃないかなと思います。
Tad みんなが橋を造ることによりロマンを感じ、みんなが達成感をさらに深く味わえる、そういう組織づくりをしていきたいと。
小池田 そうですね。毎日橋と向き合って仕事をしていると、そういった部分が薄れてしまいがちなので、SNSなどで自身が手掛けた仕事が形になっていることを社員のみなさんに見てもらいたいなと思いながら、日々取り組んでいます。

ゲストが選んだ今回の一曲

ゆず

「栄光の架橋」

「説明不要だと思いますが、橋を造る会社として絶対に外せない曲かと思います。橋が架かった後はこの曲が自然と脳内再生されます。いつか栄光の架橋なるものを実際に架けることができたらいいなと思っております」(小池田)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回は前回に引き続き、『株式会社北都鉄工』、経営企画室長の小池田 康徳さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 跡を継ぐことを意識しながら会社に入って、実際に橋を架ける様子を目の当たりにした時のインパクトや感動が、この仕事を多くの人に知ってもらいたい、思いを共有できる仲間と会社を作りたい、そういうことの原動力になったんだなということがよくわかりました。
Tad 小池田さんは経営企画室長でいらっしゃるわけですが、経営って何だと思いますか。
わかったようでわからない言葉なんですが、人によっては資源配分の問題だという人もいます。お金、人材、時間など、いろんな経営資源と呼ばれるものがありますが、それぞれが有限なので最適に配分しましょうという考え方を言っているわけです。たしかにそれも正しいんですが、おそらくどんな企業も、お金も時間も人材も情報も、認知も評判も、あらゆるものが足りていない状態です。その足りていないものをどう補うかが経営だと言われたほうがしっくりくるなと、僕はいつも思っています。小池田さんのお話からは、いまの自分たちに足りてないものを、努力や知恵で必ず補って、いつか必ず日本を代表する橋を架けるんだという気概を感じます。足りないものを必死で補うというプロセスそのものが、もしかしたら経営者としての成長そのものなのかもしれないなと、まっすぐな小池田さんを見てあらためて感じましたし、自分も頑張らないといけないなと思いました。

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