後編
自分が信じる生き方を追求し「社長」を目指す。
第83回放送
株式会社ユニークポジション 代表取締役
本造 雅美さん
Profile
ほんぞう・まさみ/1969年、石川県小松市生まれ。小松高等学校を卒業後、福井大学工学部建築学科に進学。大学院修了後、1995年、『三谷産業株式会社』入社。建築設備に関わる事業部のIT推進を担当。2006年、『株式会社パークウェーブ』入社。ウェブサイトおよびシステム開発を手がける。2016年、『株式会社ユニークポジション』(石川県金沢市鞍月。システム開発、ウェブサイト開発)設立、代表取締役に就任。
Tad | 今回のゲストは先週に引き続きまして、『株式会社ユニークポジション』代表取締役、本造 雅美さんです。大学院を修了された後、『三谷産業株式会社』にご入社されたということだったんですけども… |
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原田 | 変な間が流れていますが、大丈夫ですか? Mitaniさん(笑) |
Tad | 大丈夫です(笑)。最初は建設系の事業部のIT推進の担当をされていたと? |
本造 | そうですね。最初は積算という見積もりを作るお仕事から、図面をたくさん見て学んで、設計のお仕事までをするという感じでした。 |
原田 | 元々建築学科にもいらっしゃいましたし、そちらが専門ですよね。 |
本造 | その流れだったんですが、設計という業務をやっている頃に、パソコンで図面を描きましょうというCADの流れがやってきまして。 |
Tad | Computer-Aided Designの略ですね。 |
本造 | はい。そこから徐々に「パソコンに絡むもの、インターネットに絡むものは本造が担当する」という流れが生まれまして、建築の方から少しずつITの方にシフトしていきました。 |
原田 | それについては本造さんの中では自然だったんですか? 元々そういうIT関連に興味はあったんですか? |
本造 | そうですね。中学生の頃には自宅にパソコンがありまして。 |
原田 | 結構早い段階ですね。 |
本造 | 父親がゲームをするためにパソコンを導入しておりまして、母親が仕事を持ち帰ってワープロでカタカタと書類を作っていたところを見ながら、「やってみたい」といって、中学生の頃にはブラインドタッチの練習をしていましたので、パソコンの時代が急激にやって来てもあまり戸惑わないところがありました。会社でも何か聞かれれば答えられるので、それで自然と質問が集まってきて、それが役割になっていったような感じですね。 |
Tad | そういうことだったんですか。 |
原田 | 「本造さんにお任せ」、というような感じでしょうか? |
本造 | あまりよくわからない分野になるので、パソコンにソフトを入れてほしいだとか、インターネットに繋いでというような、ある種のキーワードが入っているものは「本造に聞いたら分かるんじゃないか」という感じでした。 |
Tad | 1995年入社ですから、2、3年の間の出来事ですよね。「Windows95」が出てちょっとしか経ってないような時期ですね。 |
本造 | 10インチくらいの小さな画面でCADをしたり、CAD用に大きなモニターを買ってもブラウン管のタイプのものだったので、そういう時代に手描きの図面をやめてパソコンを使って描きましょうという流れになりましたので、そのサポートからです。 |
Tad | ところが2005年に『三谷産業株式会社』を退職されたわけなんですが、この時は何かあったんですか? |
本造 | システムだけをやっていたのが7、8年だったと思うんですが、いろんなことをさせていただいたというか、前例のない中で自分なりのやり方で進めさせてもらって一段落してきたというところで、この先の自分の仕事を考えた時に、「ずっと同じことをするのかな」と思ったんです。このままでいいのか、それとも思い切って変えていくかという悩みを持った時に、「変えていこう」と、新しいチャレンジをまたしようというところに踏み切ったという感じです。 |
Tad | なるほど。『三谷産業株式会社』のことが嫌いになったわけじゃなかったんですね? |
本造 | じゃないですね(笑) |
Tad | よかったです(笑)。そこはすごくよかったです。 |
原田 | そこに踏み切るっていうのは強い思いと言いますか、「こうするぞ」という想いがないとなかなか踏み切れないように思うんですが? |
本造 | そうですね。自分が今、なぜ仕事を変えようとしているのか、変わった時にどうなったら自分は満足するのか、自分が描く未来にチャレンジしていけるのかということを考えた時に、「社長になる」というのが自分の気持ちを満足させる姿であるというふうに行き着きまして、「社長になる」には『三谷産業株式会社』では無理だなということです(笑) |
原田 | 大きな会社ですから(笑) |
本造 | 「社長」に転職するという感じでしょうか。自分なりのやり方、自分が信じている方向性に進むとか、自分が信じているやり方をする、自分が信じる方法で組織を作り、従業員の方に働いてもらって、幸せにしていきたい。そうした自分の思い描くものを自分の力でやっていくというところに最終的に納得するんだろうと思いました。それを表現したら「社長」になっちゃったんですね。 |
Tad | なるほど。でも最初は社長にいきなりなった訳じゃなくて、『株式会社パークウェーブ』に入社されていますが、ここではどんなことをなさったんですか? |
本造 | 社長になると誓って飛び出したものの、やっぱりそんなに甘いものではないということと、建築系の仕事から完全なるIT業への転向になりますから、やはり起業するのは難しいということで、IT業の修業をするために『株式会社パークウェーブ』に入れていただいたというわけです。 |
Tad | 2016年3月に『株式会社ユニークポジション』を設立されていますが、ここは何か転機があったんでしょうか? |
本造 | ここは、私の中でかなり驚きの提案だったんですが、『株式会社パークウェーブ』の社長から「システム系の事業を譲るので、自分でやったら良いんじゃない?」という話が急にやって来たんです。すごく驚いたんですが。ずっと社長になりたいと思って何年も過ごして、この時点でもう10年経っていて、「いつになったら社長になれるんだろう、自分の中でまだ足りないものがあるんだな」と思ってる中で湧いてきた話なので、「本当の話なのかな?」とも思いつつ、心の中では「ついに来た!」と。かなりびっくりしたんですが、この話に乗らないという選択は私の中にはないので、即答してもよかったんですが、「考えます」と(笑) |
Tad | そういう経緯があって、引き継いだ事業を『株式会社ユニークポジション』として会社設立されるわけですが、社名もすごく、まさに「ユニーク」なんですが、ここにはどのような思いが込められていますか? |
本造 | 会社の名前を付けるってやっぱりすごく大事なところだとは思うので、自分たちがやっているものを示す、それこそ、自分が社長になりたくて自分がやっと夢を叶えるという中で、自分を示すものというふうに考えていきました。でも、会社が自分で終わるわけではなくて、次の世代、さらに次の世代、というふうに世の中の動きにも対応しながら続いていくものとすると、あまり自分に偏っても…ということもあって、自分の考え方を表しつつ永久的に、と言いますか、事業の内容がもし変わったとしても同じ考え方・スタンスで受け取られるもの、という観点で付けました。いろんな単語を思いつく限りメモしていきまして、ある日突然、「ユニークポジション…ぴったりじゃない?」みたいな感じで。 |
Tad | 「〇〇システム」とか「□□ウェブ」とか、そういうのではなく、「ユニークポジション」だと? |
本造 | そうですね、はい。 |
原田 | ある意味、「どんな会社だろう?」と、名前を聞いた方も興味を持ちますよね。 |
本造 | 「ユニーク」という言葉はわりと「面白い」というニュアンスで受け取られるので、「面白いことやりたいの?」みたいに言われたりはするんですが、「ユニーク」って本来は「同じものがない、唯一の」という意味合いもあるので、お客様にとって特別で、私たちしかいないというところの「ポジション」、そんな立ち位置に行きましょうということを表しています。 |
Tad | そういう意味では、ウェブサイトの制作やシステム開発だけがお仕事じゃないんだよ、というお考えもあるのかなと思うんですが、最近は『株式会社ユニークポジション』としてチャレンジしたいことはありますか? |
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本造 | 前回、文化・工芸・芸術関係のお客様が多いというお話をさせていただきましたが、そういったところでいろいろ抱えていらっしゃる悩みのようなものが集まってきているので、個々にお話を聞いていると点の状態ですが、ある程度集まってきているので、点が繋がって、その先で何か共通のサービスを展開することができるんじゃないかなと思っています。 |
原田 | 点を線にして、ゆくゆくは面になれば、ということですよね? |
本造 | そうですね。 |
Tad | 工芸だったり美術に関わる方々の情報発信、情報共有の面で共通する課題や悩みがあるんですね。 |
本造 | そういうふうに今、受け取っていますので、そこを解決できるものを考えています。あまり技術的に難しいことには取り組まないようにしているんですが、その分、今詳しくお話すると他社でもできてしまうかもしれないので、あまり細かく話せないんですが。 |
Tad | 企業秘密ということですね(笑) |
原田 | 文化的なものとITを結び付けるというスタンスでいろいろやっていきたいということですね。 |
本造 | 『株式会社ユニークポジション』はいろいろなお客様のご要望や問題を解決していくというところではシステムに限らないというのがいいなと思っています。どのように広がってもいいと思っているんですが、文化とITということに関しては、私が取り組みたいと思っている分野でもあるので、会社としてももちろん、私個人は、ここにこだわりたいし、結果を出していきたいなと思っています。 |
Tad | なるほど。文化とITの交差点みたいなところには、他にはどんなものがあるんでしょうか? |
本造 | 今、eスポーツという、ゲームですが文化として扱われているものがあるので、eスポーツにも私は取り組むべき「文化とITが融合しているもの」だと思っています。個人的にですが、『一般社団法人石川eスポーツ協会』に所属しておりまして、イベントのサポートなどをさせていただいております。 |
Tad | eスポーツの大会とか? |
本造 | そうですね、大会とかもっと小規模で、例えば公民館で興味のある子どもたちに「ぷよぷよ」(註:ゲームの名称)のやり方、例えば「こういうふうになったら得点になるんだよ」、「こういうふうに積んでいくといいんだよ」っていうことを教える教室、と言いますか「体験会プラスα」みたいなものを開催させていただいたりしています。 |
Tad | なるほど。次世代の、また違った文化の形が作られていくような感じがしますね。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
DREAMS COME TRUE feat. FUZZY CONTROL
「その先へ」
「ドリカムのヴォーカルの吉田美和さんは、私の憧れの人なんです。この曲は、苦しいこともあるけど、それも踏まえて前に進みましょうというメッセージが込められた曲なんですが、私の心構え、ポリシーみたいなものと一致しているんです。苦しい時、先がはっきり見えない時こそ前に進むというふうに思っているので、この曲を聴いた時にぴったりというか私の気持ちを表現した曲だと衝撃を受けて、今もやっぱり元気を出したい時に聴くんですが、今は特にこういう状況ですので、そのメッセージをみなさんにお伝えしたくて選ばせていただきました」
トークを終えてAfter talk
Tad | 今回は前回に引き続き、ゲストに『株式会社ユニークポジション』代表取締役社長、本造 雅美さんをお迎えしましたが、いかがでしたか、原田さん。 |
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原田 | 本造さんは理系でいらっしゃるからか、すごく冷静で考え方も論理的なんですが、心にものすごい情熱を秘めてる方だなと感じて、ITの向こうにはやっぱり人がいるんだなということを実感させてくれました。Mitaniさんはいかがでしたか? |
Tad | 自分の信じる方法で、自分の信じる組織の在り方で、自分の信じる仕事を作って、従業員の方々を幸せにするという生き方を考えて、行き着いたのが「社長になること」だったというお話でしたが、金沢という街で、文化、芸術、工芸に関わるようなウェブ制作や情報発信に多く携わる中で、一つ一つの課題を解決していきながら見えてきた新しいサービスとか新しい事業の種――これは企業秘密だということであまり多くは教えていただけませんでしたけれども、本造さんが向かわれるその先というのがとても楽しみだなと思いました。 |