前編
イノベーティブな日本料理で海外でも活躍。
第86回放送
日本料理 銭屋 主人
髙木慎一朗さん
Profile
たかぎ・しんいちろう/1970年、石川県金沢市生まれ。1986年、石川県立金沢泉丘高等学校入学後、アメリカに一年間留学。日本大学卒業後、『株式会社京都吉兆』入社。日本料理の修業の後、1996年、金沢に戻り、『日本料理 銭屋』(創業は1970年。片町の店舗のほか、ひがし茶屋街『十月亭』も経営)2代目主人に。日本料理のデモンストレーションや講演会、晩餐会を担当するなど世界各国で活動の場を広げる。
Tad | 今回は、金沢、そして石川を代表する料亭の主人であり、海外でもその名を轟かせている方をご紹介します。『日本料理 銭屋』主人、髙木慎一朗さんです。『銭屋』と言えば、石川県内の方なら誰もがご存じだと思います。 |
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原田 | そうですね。 |
Tad | 髙木さんは2代目でいらっしゃるんですよね。 |
髙木 | そうです。創業は1970年、私が生まれた年になります。 |
原田 | 髙木さんと共にお店があるということですね。 |
髙木 | そういうことなんですよ。 |
Tad | 料亭というと金沢にも結構あると思いますが、『銭屋』はほかの料亭と違ってどんな特徴があると思われますか? |
髙木 | もちろん、料亭という定義は非常に難しくて、お座敷があって、庭があって、とよく言いますが、基本的にはお座敷に芸妓さんが入って、踊ってもらうようなスペースがあるということが一つの目安にはなっています。そういう中で私どもは、創業時はカウンターだけの店だったので、未だに7席だけのカウンターがありまして、あとはお座敷6部屋で営業しております。 |
原田 | なるほど。カウンター席というのは、お客様が料理人の方を目の前にされるわけですよね? |
Tad | まさに髙木さんが目の前に立たれて。 |
髙木 | はい。私が金沢にいる限りは、普段はカウンターに立っています。 |
原田 | オーナーシェフでいらっしゃるんですものね! |
髙木 | こう見えてちょっと料理はできますので(笑)。 |
原田 | いや、ちょっとどころか! そうなると目の前で包丁さばきを見ながらお料理をいただくことができるということですよね。 |
髙木 | そうなんです。1970年に父が創業したときはカウンターだけの店でしたので、いわばカウンターはうちのルーツですから、ここだけはずっと守っていきたいなと思っています。 |
Tad | 本当にたまにお邪魔するんですが、日本料理と言ってもクリームチーズが使われていたり、キャビアがのっていたりと、今まで日本料理として食べたことのない組み合わせのものを出していらっしゃる。伝統的な調理法のお料理もあるんですが、ひとひねりされているお料理が出てきたりもします。自分からすると、そういうところも『銭屋』の特徴の一つかなと思ったりしますが。 |
髙木 | 今、キャビアとおっしゃいましたが、実は日本料理においてキャビアやフォアグラを使い始めたのは1970年代からなんです。 |
原田 | ちょうど『銭屋』の歴史と重なりますね。 |
髙木 | そうなんです。意外と日本料理のフォーマットというのは新しい食材、特に西洋の食材を取り入れやすいんですよね。 |
原田 | 意外ですね。 |
髙木 | キャビアやフォアグラというのは、例えば私が修業した『京都吉兆』では1970年代から定番の献立になっています。実はそれらの素材を使い始めて、既に50年経っているんですよ。ただ、それを古く見せるか、新しく見せるかというのはプレゼンテーションの問題です。 |
原田 | プレゼンテーション? |
髙木 | 盛り付けとか、器とのバランスだとか。 |
原田 | 盛り付けとおっしゃいましたが、最近の料理の世界ではいろんなスタイルが出てきていますよね。 |
髙木 | そうですね。例えば、小さい頃、僕らが外食するといえば今ほどたくさんの選択肢はなかったですよね。タイ料理とかインド料理に行こうというのは、なかったですよね。でも今はもう当たり前のように、すぐそばにちゃんとした技術を持ったイタリアンやフレンチのシェフがいます。そんな中でお客様の目も非常に多様化に慣れてしまっている。ですから、我々も当然、それに合わせたプレゼンテーションや料理を考えていく必要があるというのが、昔と今の一番の違いかと思います。 |
Tad | 新しい食材を投入してみるというのは、どういうきっかけで起こるんですか? |
髙木 | ほかのレストランに食べに行った時に「あれ、これは何?」とか「この組み合わせ、面白いね」というアイデアを、まずは持って帰って、自分の店で真似するところから始まります。 |
Tad | それは必ずしも日本料理じゃなくて? |
髙木 | どちらかというと、プライベートで食べに行く時は、ほとんど日本料理ではないかもしれないです。 |
原田 | あ、そうなんですね。 |
髙木 | どちらかというと、西洋料理だとか中華料理が多いですよね |
原田 | そこにヒントが? |
髙木 | 海外の料理や食品からヒントを得て、まず一回調理場で真似してみるんです。もちろん、そのまま使うわけにはいきませんから、組み合わせや味のバランスを一回真似して作ってみることで理解を深めます。その上で、うちの料理のどこに組み入れるかということを考えるわけですが、必ずしも献立に入れるかというと、入れることはないんです。頭の中のどこかに一旦は置いておいて、いいなと思った時に使うわけです。 |
原田 | 髙木さはんは2代目でいらっしゃいますが、お父様が創業されて、ちょうど髙木さんが生まれた1970年頃から新しい素材を使い始めたということですよね。やはりお父様もいろいろチャレンジをされていたんでしょうか? |
髙木 | 今思うと、最初のほうはかなり危なっかしいことをやっていたみたいですね。 |
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原田 | 危なっかしいとは? |
髙木 | これはわたしの表現ではなくて、父の代からのお客様の表現なんですが、「ずいぶんと危なっかしい料理を出していたぞ」と、そんなふうに表現をされる方が古いお客様でいらっしゃいますね。 |
原田 | それは、お父様はいろいろトライをされていたということですか? |
髙木 | そうですね、たとえば昭和40年代にパパイヤを使っていたりとか。 |
原田 | 果物の? |
髙木 | マンゴーを使ったりとか、あんまりまだ普通のご家庭でも馴染みのない頃ですが。 |
原田 | 絶対、当時は食べたことないと思いますよ。 |
髙木 | お客様にお出しした時に「何これ?」というところから始まっていたらしいですね。今、よく石焼料理ってどこの料理屋でも出しますよね。昔の父が載っていた料理雑誌なんかを見てみると、フォアグラなんかを石焼にしているんですよ。よくやるなとは思いますよね。普通の人はおっかなくてやらないですよ。 |
Tad | そういう遺伝子が高木さんにも受け継がれて… |
髙木 | そうですね。あともう一つ、修業先だった『京都吉兆』も、すぐ新しいものを取り入れようとする姿勢のお店でしたので、その影響も間違いなくあると思います。 |
Tad | 髙木さんといえば海外でのチャレンジもすごく積極的にされていらっしゃいますが、海外ではどういう活動をされているのか、教えていただいてもよろしいでしょうか? |
髙木 | 私が主体的にやっているというよりは、お声がけいただいて行くというケースが多いんですが、いろんな国のレストランやホテルから呼んでいただいて、『銭屋フェア』もしくは『髙木フェア』とでも言いますか、そういうことを3、4日間に亘って、現地のキッチンで現地のシェフと一緒に懐石料理を作るようなイベントをやっております。 |
Tad | 現地の方というのは日本料理を知らないわけですよね? |
髙木 | 初めて作る人ばかりです。でも「こうやるんだよ」という手順を全部説明して、もちろん任せっきりにはしませんが、ちゃんと横について見ていると、彼らは上手にやってくれます。 |
原田 | 食材はその国の魚とか新鮮な現地のものを使うわけですよね? |
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髙木 | これはイベントのコンセプトによって違います。例えば、2009年の「香港国際映画祭」の晩餐会に私がゲストシェフとして呼ばれた時は、なるべく香港で食材を揃えてほしいと伝えられました。 |
原田 | そういうオーダーが? |
髙木 | はい。かつおと昆布や、調味料は日本から持ち込んでもいいかということを、オーガナイザーと確認して、野菜、魚、肉といったいわゆる生鮮食品のほとんどは現地で調達しました。 |
Tad | 現地で調達した食材でも、狙い通りの味が出せるものですか? |
髙木 | 逆に驚きの味になる、ということもありますよ。これはうまいなとか。 |
Tad | 想像もしなかったような? |
髙木 | はい。逆に「これはまずい、なんとかしなきゃ」というのもありますが。ローカルな素材を使うというのは非常にリスキーではあるんですが、逆にそういう時こそ、腕が試されている気がして、わくわくしますね。同行しているアシスタントは青ざめていますけどね。 |
原田 | ひやひやして(笑)。 |
Tad | 世界各地に呼ばれて晩餐会を担当されたり、料理のデモンストレーションをされたりということですが、年間どのくらい行かれましたか? |
髙木 | 直近の2019年ですと、渡航回数だけで26回でしたね。 |
Tad | え! 並みのビジネスマンより断然多いと思いますよ。 |
髙木 | 現地一泊というのも結構あります。現地のキッチンとか設備だけをチェックして献立だけ用意して帰ってくるとか。そういうことも当然ありますし、あとは現地の食材を使う場合、どうしても事前に一回行って、どういうものがあるのか確認して、当然テイスティングも必要ですから、それはイベントごとに違います。 |
Tad | 高校の時に交換学生としてアメリカに行かれたそうですが、元々海外志向ではあったんですか? |
髙木 | そうですね。小さい頃からそれはありましたね。ですから高校一年の時に両親にお願いして、アメリカに行かせてもらったんです。 |
Tad | 海外に実際行ってみられて衝撃があったんでしょうね。 |
髙木 | 英語を話せないのにどうやって生活していけばいいんだろう、行けば何とかなるだろうと。でも、なんともならなかったですけどね。異文化と言いますか、生まれ育った国ではないところで暮らすというのは大事だなと思いましたね。自分の考えや価値観とはまったく違う人たちと、当然、真正面からぶつかるわけですから、「日本ではこうだったから」、「金沢ではこうだったから」というのはまったく通用しないわけです。そういうところで散々揉まれたというのは、もしかしたら今日まで役に立っているかもしれません。 |
Tad | お仕事で海外と接点ができ始めるのは、どういうきっかけがあったんでしょうか? |
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髙木 | そのきっかけは2007年にニューヨークで行われた能登町のいしりを販売するプロモーションに私が参加することになって、そこからいろんな話がくっついたり外れたりして、2008年に、ニューヨークにある総領事公邸のディナー担当をしたことから始まっています。 |
Tad | 海外でディナーを担当されることになって、現地の方々がお客様となって召し上がりに来られるわけですよね。 |
髙木 | そうですね、その時はホストが当時の櫻井大使で、櫻井さんというのは米国三菱商事の社長から、民間人で初めて大使になった方です。その方がホストになってくれて、NYの食の業界で言うお国のリーダー、『ザガット・サーベイ』の創業者であるとか、「ジェームズ・ビアード ファウンデーション」というアメリカ料理界のアカデミー賞を決めるような団体があるんですが、そのチェアマンだったり、当時の三ツ星シェフはほとんど来ていたんじゃないでしょうか。13名だけのディナーでした。 |
Tad | 当時は、懐石料理や日本料理の考え方というのは、コンセプトとして参加者のみなさんはご理解くださっていたんでしょうか? |
髙木 | いや、コンセプトとしてご理解いただく前に、とりあえず体験してもらって、度肝を抜いてやりたいなというのが当時の私の思いでした。懐石料理を紹介する時に茶道がどうのこうのとか、本膳料理がどうのこうのと言われても、日本人だってわからないですよ。そうじゃなくて、とにかく体験して「ワオ!」と言わせれば勝ちだと思って、それだけを狙って献立を考えたり、器を持って行ったりしました。 |
Tad | その場はうまくいったんですか? |
髙木 | 予想以上でしたね。ディナーが終わった後にみなさんと懇談したんですが、明日ぜひうちのレストランに来てくれ、明日のランチに来てくれ、ディナーに来てくれと、そこにいたシェフ全員からご招待いただいて、結局帰国を二日間遅らせました。大使から「そういう招待に行かないのは失礼だ」と、「日本人として、ぜひ受けるべきだ」と言われて。 |
Tad | そこが髙木さんの海外への第一歩として始まったわけですね。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
Otis Redding
「The Dock Of The Bay」
「何もかも留学に引っ掛けるわけではないんですが、とにかく英語にちょっと耳を慣れさせようと、いわゆるアメリカやイギリスのロックをいろいろ聴いていたんですが、当時はリズム・アンド・ブルースってあんまり聴いたことがなかったんですよ。それがある時、深夜にラジオをつけたらこれがいきなりかかって、ええ!!?ってなっちゃったんですね。Otis Reddingはどういう人なのか、リズム・アンド・ブルースは何なのか、一切分からないけれど、なんだか魂を抜かれたみたいなその瞬間の想いが、いまだに残っています」
トークを終えてAfter talk
Tad | 今回はゲストに『日本料理 銭屋』主人、髙木 慎一朗さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。 |
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原田 | はい、最後のお話に出たニューヨークでの晩餐会で「これが日本料理なんだ」と驚かせるんだと、すごくわくわくした顔でおっしゃっていましたが、きっとこの特別な場でなくても、髙木さんは日々、お客様の前にそういう想いで立って包丁を握っていらっしゃるんだろうなというのが伝わってきました。 |
Tad | 日本料理というのは、実は海外の食材を組み合わせやすいというふうにおっしゃっていたのが印象的でした。日本料理としての約束事を守りつつ新しい食材、新しい食器の使い方、新しい調理法などをいろいろ試していくという、すごく繊細な仕事であるふうにも思えるんですが、何かの拍子でバランスが崩れると、多国籍料理とかフュージョン料理になっちゃうと思うんですよね。やはり日本料理としてのイノベーションを続けていらっしゃるからこそ、『銭屋』や髙木さんの作る料理が評価されているのだろうなというふうに思いました。アイデンティティに異質のものを食い込ませるということのバランスを勉強させていただけるような気がします。 |