前編

時代のニーズを感じ取り発酵食のリーディングカンパニーへ。

第58回放送

株式会社ヤマト醤油味噌 営業部長

山本 耕平さん

Profile

やまもと・こうへい/1985年、石川県金沢市生まれ。2003年、石川県立金沢泉丘高等学校を卒業、神戸大学経営学部に進学。2008年、大学卒業後、『富永貿易株式会社』に入社。小売店向けの販売やセールスなどを担当。2010年、『株式会社ヤマト醬油味噌』(創業は1911年。金沢市大野町。醬油、味噌、だしなどの調味料、また甘酒の製造と販売など)に入社。2020年よりWeb小売店部門の営業部長として新商品のマーケティング、デザイン、輸出などの業務も兼任。

ヤマト醤油味噌Webサイト

Tad 原田さん、最近僕は甘酒にはまっているんです。
原田 たしか朝ごはんは甘酒を飲まれるんですよね。
Tad そうなんです。甘酒を飲んだり、今はペースト状のものも食べたりもしています。今回のゲストは、甘酒にハマるきっかけになった『株式会社ヤマト醤油味噌』の営業部長、山本耕平さんです。石川県内の高校生向けのイベントでご一緒させていただいて、1000人くらいの高校生向けにプレゼンテーションをしたんですが、山本さんのプレゼンテーションを横で聞いていて「いいなあ」と思い、甘酒を買うようになったんです。1000人の高校生以上に僕に刺さっていましたから(笑)
山本 正面を向いて一生懸命しゃべっているつもりが、実は幕の裏にいたTadさんに刺さっていたとは(笑)
Tad ところで『ヤマト醬油味噌』というと、「醤油屋さんかな?それとも味噌屋さんかな?」と思われそうですが、どんな商品展開をされているんでしょうか?
山本 たしかに社名に「醬油味噌」とありますが、最初は醬油からだったんです。創業は1911年で、初代は醤油を仕入れて販売していました。現社長は四代目ですが、初代、二代目、三代目、四代目とそれぞれに商品を広げてきております。
原田 最初から作っていたわけではないんですか?
山本 そうなんです。実は初代は船乗りで、仕入れて販売する運送業をやっていました。石川県の大野という町は400年くらい前からずっと醤油の産地だったんですが、実は北前船の寄港地でもあったので、大野町で作ったお醤油を仕入れて北海道まで売りに行っていたのが初代の仕事です。二代目は醤油醸造を実際に自分でも始めて、三代目は味噌作り、四代目となる当代は醤油と味噌をベースにしたつゆやドレッシングを作ったり、新しいところでいうと甘酒を作ったりし始めた人です。Tadさんにもご愛顧いただいている甘酒は四代目が作り始めました。
石川県金沢市大野にある『ヤマト醤油味噌』。ショップや発酵食を使用した料理を楽しめる食堂、キッチンスタジオがある『糀パーク』を併設している。
Tad 初代は船乗りだったんですね。醤油を貿易の商材として最初は北海道に売りに行っっていたわけですが、それをなぜ二代目の方は自分たちで作ってみようと決めたのでしょうか?
山本 そうですね。確かにメーカーにいきなり転身したというのは、すごく大きな転化だと思います。
原田 そうですよね。
山本 地域に醬油作りをしている親戚がいたり、近所の方がお醤油屋さんだったりするくらい、大野は本当にお醤油屋さんが多い町なんです。また、当時は製造方法を近い方から学んで始めていったそうで、それだけお醤油は身近な存在だったようです。ただ、やっぱり大きなチャレンジだったと思うんです。よくやったなと思いますね。
Tad 醬油作りがうまくいって、次にお味噌っていうふうに広げられたという話でしたが、お醤油とお味噌って作り方にどんな違いがあるんですか?
山本 同じ発酵食品なので、大きな違いでいうと、お醤油は液体が多くて、お味噌は液体が少ない、そして硬い状態ということ。原材料はそれぞれに共通するものがあって、それは糀です。お醤油の場合は、小麦と大豆から糀を作りまして、それに塩水を加えて発酵させた状態のものを「醤油もろみ」というんですが、シャバシャバの醤油もろみをギュッと絞って出てくるのが液体のお醤油です。逆に、お味噌のほうも糀を作るんですが、お味噌の場合は、蒸した大豆に米糀を加えて、そこに塩を加えて、固形のまま発酵させます。
Tad 醤油は塩水を加えていましたよね。
山本 そうです。お醤油は塩水を加えてシャバシャバにするんですが、お味噌の場合はお塩だけを加えて固形のまま発酵させて、絞らずにそのまま、固形のままいただきます。丸ごといただけるっていうのは、お味噌のいいところの一つです。
原田 原料はちょっと違うけど、ベースは糀なんですね。
山本 そうです。
Tad 糀菌は何種類かあったりするんですか?
山本 何千種類っていうレベルでいるらしいんです。
原田 そんなに?!
山本 受け売りの知識ではあるのですが、糀って1300年以上の歴史があって、お醤油を作るにはお醤油専用の糀というものがありますし、お味噌ならお味噌、日本酒なら日本酒、焼酎なら焼酎っていうふうに、それぞれの発酵食品を作るのに適したタイプの糀が枝分かれしていて、何千という種類になっているそうです。
原田 なるほど。
山本 各メーカーの糀というのは、昔は門外不出だったそうです。
原田 そうなんですか。いろいろな味噌や醬油を作っているところでは、それぞれに適した糀菌というものがあるんですか?
山本 はい。醸造の世界ではそれを「蔵つき」と言います。蔵に住んでいる、蔵にくっついているということで、「蔵つき」と言うんですけれども、うちもお味噌を作るところには蔵つきの酵母とか蔵つきの糀菌というのがいるみたいですし、それぞれの蔵特有の風味や味を作っているのが蔵つきだというふうに言われています。
Tad 同じ材料を使っていても、違う味に仕上がっていくんですね。
原田 守り神みたいですね、見えないけれども「いるんだよ」というような。
山本 蔵にいると「ああ、いま菌が働いているんだな」と感じます。鍛冶屋の小人みたいな感覚ですね。
Tad 三代目のお味噌から、山本さんのお父様、つまり四代目の方がつゆやドレッシング、オーガニック甘酒というふうに、お醤油やお味噌以外にも商品を展開されてきたんですね。
『ヤマト醤油味噌』の商品ラインナップの一部。
山本 三代目から四代目の段階で大きく商売が変わったという部分もあるそうです。もともとわたしの祖父にあたる三代目の頃は、業務用を多く扱っていたんだそうです。イメージがつくかどうかわかりませんが、例えば60リットルの醬油とか…
原田 60リットル!?
Tad ボトルのサイズが想像できないですね(笑)
山本 今、スーパーで一般的に売っているのが1リットルなので、60リットルとなると、担ぐと80キロを超えているわけです。
Tad 容器も含めて?
山本 はい。その80キロを超えているような大桶を担いで、三代目はいろいろな酒販店さんを回っていたそうです。当時、お醤油というのは小分けされているものじゃなくて、そういった大きな容器で酒屋さんに納めて、酒屋さんが小分けにして、量り売りをしていたんですね。
原田 そうなんですね。
山本 そんな時代があったんです。その時代からすると、四代目の時代というのは一気にスーパーマーケットですとか、百貨店がわっと広がった時代ですから、一気に小量化の時代になってきました。今までやっていた商売とまったく別の、手詰めをして、小さい瓶に詰めたものを売る時代に変わっていたんですね。だから、業務用マーケットから一気に小売り用のマーケットに変わったというのが四代目の時代です。
Tad 直接自分たちがお客さまのニーズを嗅ぎとって、商品展開をされていくっていう流れの中に、つゆやドレッシングがあったわけですね。
山本 そうですね。醤油も味噌もそうです。四代目は百貨店に販売に行ったそうですが、そこでこだわりをお持ちのお客さまに出会って、「あなたのところはこういうものは作れないの?」という話を結構よくいただいたそうなんです。四代目はアメリカが大好きで、自身も学生時代にアメリカに留学していました。本当に海外が大好きなんです。海外に行くと逆に日本食品のオーガニックというものがすごく一般的になっているんですが、オーガニックの日本食品を海外で広めていらっしゃる第一人者の方に社長が会いに行ったらしくて、そしたらその方に「醤油・味噌を作っていらっしゃるなら、その工場を使って甘酒を作ったらいいんじゃないか」とアドバイスをいただいたりして、いろんなアイデアをいただいて、商品作りをしてきたそうです。
Tad なるほど。海外でそういう気づきを得たと?
山本 そうですね。
Tad 確かにアメリカに行くと、日本食って健康食というイメージで好まれていますよね。発酵食品もすごく多いですね。
山本 そうですね。わたしのプロフィールで貿易についてもご紹介いただきましたが、実はドイツにも醤油があって、現地では結構オーガニック醤油をご愛顧いただいているんです。ドイツの方って醤油をよく使うんですよ。
Tad え!?
原田 料理に使うんですか? 家庭でですか?
山本 一般家庭でもそうですし、業務用でも使います。ドイツにお豆腐屋さんがあるんですよ。
原田 ええ!?
山本 日本で修業した方がドイツでお豆腐屋さんを立ち上げまして。びっくりするのが、豆腐がソーセージの形をしているんですよ。
Tad ええ!?
山本 ベジタリアンソーセージということです。
Tad なるほど。
山本 いろんな味付けをされているので、その自然な味付けの中に、うちの醤油を選んでいただきました。海外の方というのはあまり先入感がないというか、自由ですから。社長がヒントを言っていただいた方は日本のオーガニックの大家ですが、その方も海外の方に認められる日本食品を広げていこうと、「日本の文化の中にいいものが残っているから、それを活かしてモノづくりをしていったらいいんだよ」と応援してくださったのかなと思います。
Tad 北陸新幹線が開通して県外のお客さまも増えたと思いますし、海外のお客さまも一時増えましたよね。反応はいかがですか?
山本 海外の方というと、フランスの方やアメリカの方もそうですが、シェフを中心に接客することが多いんです。すごく反応がダイレクトで、接客していてこんなにおもしろいことはないって思いますね。普通、醤油は火入れをするんですが、我が社の醤油は生の醤油で一切加熱していないので、香りがちょっと違うんです。それは、シェフの方に味見していただくと、ぱっと顔が明るくなる瞬間があるというか、ほかのとは違うなという感じが表情に現れてくるので、接客していてすごく楽しいですね。
Tad 日本の方でも県外の方が北陸新幹線で金沢に来たら、大野で「ヤマト醤油味噌」の「糀パーク」に足を運びたいという方もいらっしゃると思います。今でこそ発酵食ブームみたいな世の中になっている状態ですが、潮目が変わったような実感というのは、ここ数年ですよね。
山本 そうですね。本当に、僕も入社する前のマーケットの状況がどうだったかはわからないですが、一つ転機があったのは、原田さんもお使いになっているという塩糀です。
幅広い料理に万能に使える発酵調味料の「塩糀」。
原田 はい、必ず冷蔵庫に入っています。
山本 塩糀のブームがありましたよね。2011年のことなんですが、2011年にブームになる前に社長が「うちは塩糀を作るぞ」っと言った瞬間があるんです。当時、「我が社は醤油屋さんなのか、味噌屋さんなのか、はたまた出汁屋さん?甘酒屋さん?」と、自分たちでも何屋さんなんだろうと自社をどう定義していこうかというふうに迷いを感じていた時期がありました。その時に醤油にも味噌にも甘酒にも、根本には糀を使っているということに気づいたんです。その糀をしっかりと打ち出していこうという時に、看板商品を作らないとということで、そこから塩糀を自社で作り始めました。それは2011年の早い時期だったんですが、それからあれよあれよと塩糀ブームが来て、びっくりしました。それまで発酵食品ってなかなか注目されていませんでした。というのも、あって当たり前のものだったからです。
原田 そうですね。身近すぎて、かえって注目されにくかったところがありますよね。
山本 お味噌汁は毎日食べるし、お醤油もかけるし、それが取り立てて特別なものじゃないって多くの皆さんが思っていたと思うんです。それが塩糀で「肉がこんなにおいしくなる」ということに驚きがあったと思います。
原田 そうなんです!びっくりでした、本当に。やわらかくもなるし、味わいも深くなりますよね。
山本 例えばお弁当だと、どうしても冷めちゃいますから、お肉がしっとりとしていないといけない。それが塩糀を使うことで冷えていてもしっとりとして美味しいっていうことがすごくウケたみたいです。
原田 それから発酵食を意識しはじめました。「こんな身近にこんなものが!」って気づかされました。
Tad シンボリックなものを見つけられたことが後の展開にも繋がっていくんですね。

ゲストが選んだ今回の一曲

星野 源

「Family Song」

「わたし自身が社長の息子という立場でもありますし、わたしの弟もしっかり者で内側を守ってくれているんです。そんなふうに家族でたくさんの社員さんに囲まれてお仕事をしているということもあって、うちの父もよく“Family Business”ではなくて“Family in business”だと言っています。家族で仕事ができるということは決して当たり前のことじゃないよね、と考えた時に、なんとなくこの曲が浮かびました」

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『ヤマト醤油味噌』営業部長の山本 耕平さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか?
原田 わたしは家で塩糀を作るんですが、味噌や醤油よりも手軽に作れますし、育てている感じもして、微生物のパワーをすごく感じるんです。だから、この塩糀ブームが発酵食のすごさを改めてわたしたちに知らせてくれたんだなと思いました。
Tad そうですね。60リットルのお醤油をお店で量り売りしていた時代から、スーパーマーケットができて、小容量のボトル販売が主流になって、ただ単に売り方や売る量が変わっただけじゃなくて、お客さまの声を聴けるきっかけもできたと。ニーズをうまく感じ取って、ドレッシング、オーガニック味噌、麺つゆのような、これまでになかった、強みを活かせる商品開発ができたという話がすごくおもしろかったですし、多角化が進み、何が本業なのか分かりにくくなってきたから、みんなで何屋さんなのか会議をしたという話の中から塩糀という「ヤマト醤油味噌」のすべての商品の基本にある糀を最前面に押し出したヒット商品が生まれて、今では、醤油屋さん、味噌屋さんという枠を超えた「発酵食美人」を作る会社として発展されています。時代や外部環境の変化によって自らを変化させて、自ら起こした変化によってさらに自分たちが進化していく、それがいつの間にか自分たちに時代のほうが追いついていくっていうことだったのかなと思いました。『株式会社ヤマト醤油味噌』が、これからも発酵食時代のリーディングカンパニーであり続けてほしいと思いました。

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