前編

日本らしさ、金沢らしさを守り継ぐ料亭旅館。

第116回放送

株式会社金城樓 代表取締役社長

土屋兵衛さん

Profile

つちや・ひょうえ/1975年、石川県金沢市生まれ。明治大学商学部卒業後、1997年から東京銀座のフランス料理店『シェ・イノ』で、2000年から『東京吉兆銀座店』での修業を経て、2003年、『株式会社金城樓』(1890年創業 所在地:金沢市橋場町 料亭、旅館、コンベンションホール運営、ブライダルほか各種冠婚葬祭、おせち・ギフト商品・お弁当の製造販売、天ぷら屋『天金』を経営)に入社。2006年、専務取締役に就任、2012年、代表取締役社長に就任。

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Tad 原田さん、年の瀬ですが、お正月の準備ってもうされてますか?
原田 おせちの準備を始めてはいますけども。
Tad 原田さんは作られるのかなと思いました。
原田 そうですね、作ったりすることもありますし、豪華なおせちを買いたいなっていう気持ちもあります。
Tad 実は僕は今年、『金城樓』のおせちを頼んでみたんですよ。
原田 そうなんですか!
Tad ええ。特選和風おせちを。
原田 いいですね~。
Tad 金沢を代表する料亭旅館ですが、わたしも普段から県外のお客様のおもてなしなどで大変お世話になっておりまして。
原田 そうなんですね。
Tad 今回は社長をお招きしました。『株式会社金城樓』代表取締役社長の土屋兵衛さんです。本当に日頃大変お世話になっております。
土屋 こちらこそ本当にありがとうございます。
Tad おせち、どうぞよろしくお願いします(笑)。あらためて『金城樓』というと事業領域が幅広いですよね。今どんな全体像をお持ちですか?
土屋 料亭として加賀料理をお座敷で召し上がっていただくということがメインなんですが、実は地下にバンケットホールがありまして、そこで例えば会議やセミナーなどをして、大広間で食事をしていただくこともできます。こうしたコンベンション機能のある料亭というのは全国的にも珍しいようです。
原田 地下もあるんですね。外観の和の雰囲気からは今のお話の想像がつきません。
土屋 ちょうど創業100周年のタイミングで、そのような機能を兼ね備えた料亭にしていこうということで、『金城樓』の建て直しをさせていただきました。
金沢市の浅野川界隈にあり、趣のある佇まいの『金城樓』。
原田 ブライダルなども手掛けていらっしゃるんですね。最近では和の結婚式ブームもありましたが、ずいぶん前から取り組んでいらっしゃるんですか?
土屋 今のようにホテルやハウスウェディングといった婚礼式場がなかった時代、元々金沢では結婚式というものは金沢市内にある料亭のお座敷、あるいは自宅で行うというのがスタンダードだったんですよね。今でもお客様から『金城樓』で式を挙げたと声をかけていただくこともあります。
原田 そうですか。
土屋 「わたしらの親父はあんたんとこで結婚式したんやよ」というお客様がたくさんいらっしゃいますし、親子三代にわたって『金城樓』で結婚式をしてくださる方もいらっしゃって、ありがたいです。金沢の伝統的な婚礼様式・婚礼料理と、今の若い方の感性に合った和婚の要素を取り入れて、ブライダル事業をさせていただいています。
気品があり華やかな雰囲気の大広間「丹頂の間」は、婚礼にも最適。
Tad ブライダルって言葉にしちゃうと今っぽいですが、結婚式場としては以前からずっと?
土屋 他の金沢の料亭さんも昔はよくされていたと思いますよ。今は選択肢が増えましたが、せっかく金沢で婚礼をするのであれば、もちろんホテルやハウスウェディングもありますが、金沢らしさというところではぜひ料亭で、ということで、PRさせていただいております。
Tad 料亭や旅館業としても、金沢らしさの演出や金沢らしさを守るというところを大事にされているんですよね。
土屋 そうですね。例えば花嫁暖簾という文化は石川らしいものですし、お料理にしても鯛の唐蒸しのような、江戸時代から続く金沢ならではのお祝い料理もあります。そういう金沢ならではの儀式や伝統的な婚礼で出されるようなお料理というのは結構いろいろございまして、そういうものをしっかり残していくという役割も、わたしたちにあるのかなと思っています。
婚礼をはじめお祝いの席で定番の、金沢の郷土料理「鯛の唐蒸し」。
Tad お食事や宿泊のお客様でいうと県外の方もすごく多いんじゃないかと思います。コロナの時期は別にして、外国からのお客様も多いのかなと思うんですが、金沢らしさというのは、お客様にはどういうふうに感じていただいているんですか?
土屋 設えの部分ですね。Mitaniさんはよくご存じだと思うんですが、『金城樓』に入っていただくと、全て畳敷きになっています。そして、それぞれのお部屋に床の間があって掛物がお部屋に飾られています。こういった形は東京や大阪の中心部でもほとんどなくなってきているんですが、金沢にはまだそういうお店がたくさん残っているのが外国のお客様にとっては非常に魅力的に映るようですね。
『金城樓』でもっとも格式高い部屋のひとつ「鳳凰の間」。
Tad 特に宿泊は、海外や県外の方が多いんですよね?
土屋 旅館の部分でいえば、コロナ禍前は、半分は外国のお客様でございました。みなさんの日本国内での動きを見てみますと、まず東京に入って、東京は外資系ホテルがすごくたくさんできているので、そういう所に泊まって、金沢で初めて旅館のような場所に触れるという感じです。東京の都心部は日本ではあるけれども、伝統的な日本の様式みたいなものはなかなかないので、東京では有名なホテルに泊まって、新幹線で金沢に来て、初めて旅館や温泉の純和風のおもてなしに触れるというのが外国の人にとっては魅力的なのかなと思います。
Tad 日本に来て初めての純和風様式や日本らしさ・金沢らしさに触れるわけですね。
土屋 「まさにこれだ!」という感じで、みなさん大変喜ばれます。
原田 そうでしょうね~。
土屋 「Ryokan」という言葉で通じますもんね。
Tad 国際語になっているんですね。
原田 創業から131年ということで土屋さんは五代目の主人にあたりますが、『金城樓』はもともとどのように創業されたんでしょうか?
土屋 創業した高祖父は富山県出身で、富山から金沢に出てきて、金沢の『つば甚』さんで板前をしていました。『つば甚』さんには大変お世話になって独立をさせていただくにあたり、『つば甚』さんは犀川のお店なので、浅野川口に行こうということで今の場所の隣でお店をやっていたそうです。
最初は『鍔福』というお店だったんですが、その隣、つまり今、『金城樓』のある場所に加賀八家の一つである前田対馬守(まえだつしまのかみ)家の最後のご当主が明治維新後に住んでいた邸宅があったんです。その邸宅を手放さなければいけないというときに、前田様から『鍔福』に話をいただいて邸宅を買い取らないかということになった結果、今の場所に『金城樓』があるというわけです。お庭は全部、前田様がお造りになったもので、かなり大きな邸宅だったと思うんですが、そのお庭をそのまま使わせていただいております。非常に幸運なことだったと思います。
原田 すごいご縁ですね。それによって邸宅自体も守られて、多くの人に見ていただくことができるようになったわけですよね。
Tad そうですね。未来に残ってくれたわけですよね。『金城樓』というお名前もそのころに?
土屋 はい。その時に前田様のお屋敷を買い取って、そこから『金城樓』でやろうということでスタートいたしました。
Tad わたしたちはとても歴史の重みのある場所を使わせていただいているんですね。
原田 元々は料亭としてスタートされて、今は旅館としても運営されていますが、旅館を始められたきかっけというのは?
土屋 東京オリンピックが開催された昭和39年に、今みたいに観光ブームのようなものがあって、その時まではずっと料亭としてやってきていたのですが、新しいビジネスとして旅館もやろうということで旅館業の許認可を得て、そこからですね。
原田 そうだったんですね。
Tad 観光や旅行というものがその時期に初めて全国的にも広がっていったんでしょうね。
原田 土屋さんご自身は、プロフィールを拝見しますと最初はフレンチの修業をなさっていたということですが、これは何かのご縁で?
土屋 自分が金沢の『金城樓』を引き継ぐ上では当然、和食の勉強をしなければならなかったのですが、いきなり和食にいくより、少しわがままを言わせてもらって、フレンチの世界を見てみたいなということで…
原田 なるほど。実際にフレンチの世界に入られてみて、いかがでしたか?
土屋 フレンチはやっぱり良いものだと思いますね。格好いいと思います。
原田 どういうところに感じますか?
土屋 和食もフレンチも、お客様には見えている部分と見えていない部分があると思うんですが、フレンチはお客様が見えている部分も見えていない部分も完全に男性だけが携わっている。完全に男性社会なんです。厨房も男性中心、サービスもソムリエ、ギャルソンも含めて男性です。和食は、厨房は男性中心ですが、サービスはほぼ仲居さんという女性の世界であり、また女将がいて、と、和食の華やかさというのもあると思うんですが、フレンチは男性だけの世界の中で、調理場とサービスがタッグを組んでお客様をおもてなしするという流れは本当に格好いいなと思います。
Tad 今の『金城樓』を経営される上で、フレンチの世界ではどのような学びがありましたか?
土屋 フレンチにはフレンチの成り立ちがあります。出汁を一つとるにしてもフレンチと和食では全然違う。フレンチにはフレンチの歴史や流れがあり、和食には和食の歴史や流れがある。それぞれにルーツや仕事の仕方の違いが学べたのはすごく為になったと思います。
原田 客観的に和食を見ることができたところもありますか?
土屋 フレンチの世界を経て和食を見つめると、全然違うなと思いました。フレンチの世界というのはわりと体育会系なんです。ラグビー部のような。
原田 ラグビー部?
土屋 和食は茶道部のような。そういう感じですかね。
原田 全然違いますね。
土屋 体育会系と文化系、そのくらいに違いを感じました。

ゲストが選んだ今回の一曲

エルトン・ジョン

「Your Song」

「僕が生まれるより前の曲なんですが、非常に思い出深い曲です。『エンジェル 僕の歌は君の歌』という織田裕二と和久井映見が出演している大好きな映画の挿入歌です」(土屋)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『株式会社金城樓』代表取締役社長の土屋兵衛さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 料亭というとわたしはガイドブックに載っていて観光客が行くところっていうイメージがあったんですが、まさにその金沢の伝統的な食文化が今も生きた形で体験できる場所なんだなと感じて、これは金沢に住む者として行かねばならないと思った次第です。
Tad 特に外国のお客様にとって初めて触れる日本らしさが『金城樓』で、そこにはつまり日本らしさ、金沢らしさがある、というお話もありました。やはり金沢に住んでいるわたしたちにとって、本来持っていた、知っているはずの金沢らしさや伝統的な金沢料理、はたまた金沢の結納、結婚という文化、そういったものを今は料亭が守っている。日本らしさや金沢らしさってなんだったっけ?という問いがすごく重要な時代に『金城樓』が果たされている役割の大きさを、あらためて感じることができました。

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