後編

金沢出身だからこその軽やかさで、地域に貢献する施策を実践。

第135回放送

株式会社みずほ銀行 金沢支店長

泉屋拓郎さん

Profile

いずみや・たくろう/1974年、石川県金沢市生まれ。金沢大学教育学部附属高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。1998年に『株式会社第一勧業銀行』(当時)に入行、その後、『株式会社みずほコーポレート銀行』ストラクチャードファイナンス営業部、クレジットエンジニアリング部などに所属。2012年、みずほフィナンシャルグループ従業員組合中央執行委員長を経て、『株式会社みずほ銀行』池袋第二部副部長、『株式会社みずほフィナンシャルグループ』取締役会室参事役を務める。2020年、『株式会社みずほ銀行』金沢支店長(金沢市上堤町)に就任。

インタビュー前編はこちら

Tad 今回のゲストは前回に引き続き、『株式会社みずほ銀行』金沢支店長の泉屋拓郎さんです。泉屋さんのような地元出身の支店長さんって、あんまりいらっしゃらないのかなと思います。
泉屋 そうですね。リスク管理の観点もあるのかもしれませんが、なかなか地元出身の支店長はいなくて、金沢出身の金沢支店長はわたしが初めてでございます。
原田 そのように希望を伝えていらっしゃったんですか?
泉屋 気持ちの中では常に希望はありました。なれたらいいなと常に思っていたんですが、まさかそれが叶うとは思っていませんでした。
Tad しかも金沢支店長として3年目に入られていますよね。これも実は異例ですよね。
泉屋 決まりはないんですが、例年2年で終わるパターンが多いんです。わたしの場合は3年目に入りましたので、またしっかり頑張っていきたいなと思っています。
原田 コロナ禍の中で赴任してこられてから、なかなか人と会うのも大変な状況が2年間はあったと思います。
泉屋 2020年に金沢に来たときはコロナ真っ只中で、今もそうですけどマスクをしながらでコミュニケーションがとりにくかったので、さらにもう1年、しっかりやるべきということなのではないかなと思っています。
Tad 金沢支店長に限らずですが、支店長さんって結構営業一筋みたいな方が多いイメージが自分の中にありました。でも泉屋さんのご経歴はちょっと変わってますよね。ストラクチャードファイナンス営業部とか、クレジットエンジニアリング部とか、これってどういうお仕事なんですか?
泉屋 ご融資というと、通常はお客様の信用力に基づいてするものですが、それ以外に債権の信用力やでキャッシュフローに基づいて融資をするのがストラクチャードファイナンス営業部です。常に世の中にどういうものがあるのかということを考えながら、新しい商品をどうやって生み出そうかということを日々やっていたので、通常の銀行員のキャリアとはちょっと違うかもしれないです。
Tad 支店営業とはちょっと違う感じですよね。むしろプラン設計とか企画が中心軸なのかなと思います。それから従業員組合の中央執行委員長、これもまた珍しい役職ですよね。
泉屋 『みずほ』には3万人弱の組合員がいるんですが、中央執行委員長というのは組合員をリードする役回りでございまして、その中で給料を上げる、ボーナスを上げるということだけではなく、職場環境をどうするか、労働時間をどう削減するかみたいなことを日夜考えていました。
Tad 働き方改革の先駆けのようなお役目でもあったんですね。
泉屋 はい。そういうことばかりずっと考えていました。そういう意味では特異な経歴かもしれません。
原田 銀行全体の職員のみなさんの幸せを考える、ということですよね。
泉屋 そうですね。何が幸せかというのは結構難しいところです。一生懸命働きたいという人もいれば、早く帰りたいという人もいて、いろいろな考え方があるんですが、組合なので、なんとかそれを一つにまとめて、しっかり経営に物申していくということが一つの役割だったので、そこが多様化している状況では難しかったなと思っています。
Tad そして、取締役会室参事役。これも気になるんですけど。
泉屋 取締役会室という職場、これは『みずほ』の中でもこの内容をよく知っている方っていうのはなかなかいないんですが、具体的に申し上げられることでいうと、取締役会の事務局の運営、議事のための事前準備であったり、役員の方のための事前説明であったり、そういうことによって経営や役員の皆様と直につながり、直接いろいろなお話を聞けるという特異な部署だったかと思います。
泉屋さんが以前勤務していた『みずほ銀行 大手町本店』。
Tad 一度東京に出てから石川県に戻ってこられて、あるいはグループ全体を見る立場で通常の支店営業とは違う視点をたくさん得てから出身地である金沢の支店長になられて、やはり何か感じるところはありましたでしょうか?
泉屋 高校を卒業して27年ぶりに金沢に戻ってきました。もちろん、それまでも盆、正月には戻ってきていたんですが、実際に働いてみたときに、改めて地元の良さというものを感じるというか、思っていた以上に地元の会社それぞれに技術があって、さらに体力があるということを実感しました。コロナで大変な時期に着任しましたので、企業は相当疲弊しているのではないかと思って来たんですが、実はそんなことはあんまりなくて、本当に大半の会社がしっかり内部留保もあって、ウィズコロナ、アフターコロナをどう過ごしていくかということを一生懸命考えているんだなということを痛感いたしました。
原田 石川県の県民性もよくご存じの上で支店長になられたわけですし、いろんな意味で利点も多かったのではないですか?
泉屋 英語はしゃべれないんですが、金沢弁には自信があって、これはいつか使えないかとずっと思っていました。それで金沢支店長になりまして、お客様とお話をすると、ついつい金沢弁が出たりするんですが、それは非常にお客様と近づくような、相手の気持ちもよくわかる感覚がありますね。
原田 きっと言葉ってすごく重要ですよね。会話のなかで、方言のみならず、もしかしたら「出身の中学校が一緒です」とか、そういう話も出ますでしょうし。
泉屋 お客様の中には「初めまして」と名刺交換をすると、実は「初めまして」ではなくて、小学校の時のPTA の会長さんだったりして「会長さんの話を体育座りで聞いてました」とお話ししたり。そういうことで一気に近づくこともあるんです。非常に毎日楽しく仕事をさせていただいているなと感じます。とても分かり合えるというか、どういうふうに考えていらっしゃるのかがよく伝わるような感覚があります。
Tad 前回も「『みずほ銀行 金沢支店』として北陸と全国、大都市、海外との架橋を目指しているんだ」というお話がありましたが、地元出身の人間ならではの思いがやはりおありですか?
泉屋 非常に誇り高い県民性や、質問が苦手な性質は感じますよね。自宅は横浜にありますが、横浜の小学校、中学校、高校とかは先生に「何か質問がある人」と言われると「はい!」なんてみんな手を挙げますが、わたしが石川県で過ごした学校生活の中で、わざわざ手を挙げるような人はいなかったような気がします。そういう感じで、目立つようなことをどちらかというと忌み嫌うような、自分から積極的に何かの話をするっていうことにおいては抑制するような、控えめなところがあるんじゃないかなというふうに思いますね。
Tad 「あいつはちゃべちゃべと、いらんことばっか言って」みたいな。
泉屋 「ちゃべちゃべと、いじっかしい」みたいなね(笑)。特に金沢市民にはそういう人はやっぱり嫌われるんですかね。
原田 ビジネスの場では、そこはやっぱりぐっといかなきゃいけないシーンが多いんじゃないかなって思いますけどね。
泉屋 せっかくいいものを持っているこの石川県の会社、金沢の会社を、どうやって全国、世界へ橋渡ししていくのかと…これは『三谷産業株式会社』の社長がおっしゃられた言葉ですが…今日はいらっしゃいませんけどもね。
原田 今日はいらっしゃいませんか?(笑)
Tad …聞いてみましょう(笑)。
泉屋 三谷社長からの「石川県の代理店」という言葉をお聞きしたとき、非常にいいなと思いました。代理店って、ものを売り、仕入れるというところでもあると思いますが、石川県のいいところを打ち出していって、それ以上に東京や世界のいいものを取り入れる、そこの橋渡しをしっかりやることが必要なんじゃないかと。先ほどお話しした県民性のことは、わたしが金沢出身だから言えると思うんですね。他県の方から言われると、石川県民はみんな怒ると思うんですけど、わたしはここまでしっかりと金沢で育ててもらったので、その中で共感を得ながら、なんとか結び付けていきましょう、というようなお話をしています。
Tad なるほど。三谷社長のお言葉で。
原田 「石川県の代理店」と。
泉屋 はい。とてもいい言葉でした。
Tad ちょっと恥ずかしいような気持ちもありますけど(笑)。泉屋さんの目から見て、全国や世界に対する石川県の代理店として活動したいと思えるくらいに、石川県っていい会社が集まっていますか?
泉屋 いいですね。本当に技術があって。例えば下請けさんとかも、単に大企業の言ったことをそのまま請けてという会社ではなくて、それぞれ自分たちの技術を持ち、ニッチなところでナンバーワンの会社が非常に多くございます。それは石川県に限らず、富山や福井もそうなんですが、そういうところをもっと打ち出してもいいのではないかなと思ってます。
Tad 「自分の仕事にしていく」ことができているっていうことですかね。
泉屋 そうですね。そこは受け身じゃなくてポジティブにとらえて、日々技術開発をしているという会社が非常に多いですね。
原田 泉屋さんの金沢での3年目のミッションとして、そうしたところとつながっていくことも考えていらっしゃるんでしょうか?
泉屋 この2年間でも、東京のスタートアップ企業と金沢の企業を結ぶピッチイベントということで、つなげるような取り組みも行ってきました。そこではただ企業をつなげるだけではなくて、東京の最先端のイノベーション企業のアイデアを石川県の企業に聞いてもらって、それで化学反応を起こせないかと。これはそのまま使えないけども自分の会社だったらこういうふうに使えるんじゃないかと思ってもらえるような。そういう化学反応を起こしたくてイベントをやってきましたが、引き続き今年度もイノベーションを起こすような取り組みをしっかりやっていきたいと思っています。
Tad 3年目がもしかしたら最後の1年になるかもしれないということで、仕事面以外では悔いのないようにされていることなどはございますか?
泉屋 去年から鼓を習い始めまして、他のいろんな支店長さんも同じようにいろいろなお声掛けがあると思うんですが、わたしも何かやろうと思って、たまたまお誘いがあったのが鼓だったので、それを週に一回。週に一回じゃなかなかうまくならないんですけど。
原田 音を出すのってけっこう難しいんじゃないですか?
泉屋 なかなかいい音が鳴らなくて、先生にいつも怒られているんですが、そういうことを通して、金沢のカルチャーをしっかり身につけたいと思っています。高校時代は伝統文化に絡むことなんてやってなかったので、大人になってはじめて体験できることもいっぱいあるので、そういうことをしっかり積極的にやっていきたいなと思います。
『株式会社みずほ銀行』池袋第二部副部長時代の泉屋さん(写真左)。写真はベトナムでの一枚。

ゲストが選んだ今回の一曲

ウィル・スミス

「Friend Like Me」

「映画『アラジン』の劇中歌なんですが、娘が演劇部にいまして、この曲でよく踊ってまして、一生懸命頑張っている娘の姿を見ると自分も力が湧いてきます。元気の出る曲なので、みなさんに聴いていただけたらなと思って選曲しました」(泉屋)

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『株式会社みずほ銀行』金沢支店長の泉屋拓郎さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 地元出身だからこそ、石川の潜在能力をどうやってもっと知ってもらうかという泉屋さんとしての取り組み、それが今習っていらっしゃる鼓のように、全国に世界にポーンと響き渡っていくことを期待した回でした。
Tad 金沢の文化芸能のひとつでもある鼓を習われているという意外な一面もありましたが、やっぱりおっしゃるように金沢出身の泉屋さんだからこそ『株式会社みずほ銀行』の金沢支店が地域に貢献するためのいろんな形を軽やかに実践されているなと思いました。お話を伺えば伺うほど、メガバンクの支店長さんって本来はもしかして地元ご出身の方が支店長を務められてもかまわなかったんじゃないかというふうに思えました。ベンチャーと石川県、北陸の企業をつなぐ活動が、どうつながるかわからないけれども、化学反応が起きるかもしれないことを期待しているという言葉も印象的でしたし、出会い頭の、まだ世の中になかった組み合わせを、もしかしたら転勤されてしまう前にたくさん、たくさん作っていかれたら、メガバンクの地方支店の在り方っていうのも変わっていくのではないかなと感じました。

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