後編
ホテル日航メキシコでのグローバルな経験を糧に。
第162回放送
ホテル日航金沢 総支配人(※オンエア当時の役職。2024年9月現在はグランドニッコー東京ベイ 舞浜の総支配人)
島田裕次さん

Profile
1963年、千葉県生まれ。1986年、『日本航空開発株式会社』(現・『株式会社オークラ ニッコー ホテルマネジメント』)に入社。1999年、『ホテル日航メキシコ』の宿泊部長に就任。2002年、『日本航空開発株式会社』のグランドマネージメント本部ブランド企画部課長に就任し、福岡、千歳、台場などで総支配人などを歴任。本部の役職を務め、2018年、『ホテル日航金沢』(開業は1994年。金沢市本町。地上130メートル、北陸随一の高さを誇る30階建ての高層ラグジュアリーホテル)の総支配人として金沢に赴任。2022年、『株式会社オークラ ニッコー ホテルマネジメント』の常務執行役員に就任。
Tad | 今回のゲストは、前回に引き続き、『ホテル日航金沢』総支配人の島田 裕次さんです。島田さんは、なんとバイクがご趣味ということで。 |
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島田 | イタリアで生活していたときに50ccのバイクを乗り始めてからずっと乗っています。 |
原田 | 17歳から? |
島田 | そうですね。金沢に赴任する時に、もちろん最初はちゃんと新幹線でまいりましたが、引っ越しの荷物を運び終わった後で、千葉から相棒に乗ってきました。 |
原田 | すごいですね! どんなタイプのバイクに乗っていらっしゃるんですか? |
島田 | 以前は「YAMAHA」の850ccに乗っていたんですが、つい最近、「KAWASAKI」のオートバイクが出てくる『トップガン マーヴェリック』という映画を観てしまいまして。 |
Tad | 僕も観てしまいました(笑)。 |
島田 | それでどうしても「KAWASAKI」が頭から離れなくなって、つい最近、「Ninja」の新車を購入してしまいました。 |
Tad | おぉ! |
島田 | ちなみに私、トム・クルーズと同じ学年でございますので。まだ私は還暦を迎えていませんが、トム先輩にあやかりまして、素敵なオートバイに手を出してしまいました(笑)。 |
Tad | なるほど(笑)。ところで、入社されてからのご経歴ですが、12年間『ホテル日航メキシコ』にいらっしゃったということで、この時に管理職になられたんでしょうか? |
島田 | はい、そうですね。 |
Tad | メキシコというのはどういう経緯で? |
島田 | 17、18歳の頃、イタリア語を勉強していたのですが、ラテン系の言語で一番多く話されているのは実はスペイン語で、スペインをはじめ中南米でかなり使われています。イタリア語を勉強してからスペイン語を学ぶと言語習得がスムーズなので、学校ではスペイン語を学んで、メキシコに1年ほど語学研修もしていました。その当時、日系のホテルチェーンがメキシコに進出すると聞きまして、それが『ホテル日航メキシコ』だったのですが、日本に戻って就職活動をして入社させてもらいました。入社した後、実はメキシコには二度勤務しています。『ホテル日航大阪』に勤務した3年後にメキシコに4年ほど勤務して、本部に戻って、1999年にもう一度メキシコに赴任したという流れです。 |
原田 | なるほど。メキシコではどんなことを感じられましたか? |
島田 | メキシコは観光を非常に大切にしている国です。当時から観光省というところがかなり力を入れて、メキシコを観光地として全世界にアピールしていました。当時、ホテルマンは主要産業の担い手ということで社会的地位も非常に高かったですね。観光業が思った以上に進んでいて、日本より進んでいるなと思いました。スタッフはメキシコ人の方ですが、ホスピタリティマインドに富んだラテンのノリで対応してくれるので、気分のいい時にはすごく仕事を頑張ってくれるんですが、気分が悪ければ全然仕事をしないということもありました。そういう意味ではメリハリのついた仕事の仕方ですが、私も17歳という多感な時期をイタリアやメキシコで過ごしているので、そこには共感が持てました。そういう仕事のやり方や波長が合ってよかったなと思っています。 |
Tad | ラテン系というと、接客の距離感なども違うものですか? |
島田 | 非常にフレンドリーです。そういう意味では非常にやりやすいんです。ただ、時間だとか基本的なことというのが、なかなかなじまないところがありましたね。その地域に合った形のサービスを作り出さないと受け入れていただけないのだと実感しました。 |
原田 | 『ホテル日航』であるからには「ここは崩せない」というような部分が出てくるんじゃないでしょうか? |
島田 | そうですね。必ず私のような日本人スタッフがおりまして、お客様からの日本語での対応はしっかりできるようにしました。それからレストランも当然、日本食を海外に紹介するという意味もあるんですが、私どもの『弁慶』というレストランがフル装備でありまして、畳の部屋からご案内させていただいて、日本の文化も発信できる基地として営業させていただいてました。 |
Tad | 『弁慶』は海外にもあるんですね。 |
島田 | はい。 |

Tad | その後、日本に帰国されてから管理職として、あるいは副総支配人、総支配人と歴任されていらっしゃいますが、日本に戻られてカルチャーギャップを感じることはなかったですか? |
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島田 | 毎回ありましたね。すっかりメキシコのノリが身についていたのですが、「本部に戻れ」という辞令が来て、それを希望するかと問われました。「いや、私はもう、このままメキシコでいいです」というのが本音だったんですが、そうすると社会人としていかがなものかということもありましたし、「ブランドマネージメントという大変興味深くて新しいプロジェクトを作ったから、君にぜひ取り組んでほしいと本部が言っているぞ」なんて言われたら、つい誘惑に負けて帰ってきてしまったんです。当時はとんでもない間違いをしたと……。こんな大変な思いをしなきゃいけないんだったら……と後悔しましたが、それはそれで修業の道だと思ってしっかりやるしかないなと。 |
原田 | なるほど。その修業の道を経て、2022年6月に『株式会社オークラ ニッコー ホテルマネジメント』の常務執行役員に就任なさいました。また大きな役割が島田さんにふりかかってきたということでしょうか? |
島田 | 私のやっている仕事はシンプルです。『ホテル日航金沢』の総支配人というのが、一番大切な仕事です。それ以外のことでは、私はどちらかというとベテランの総支配人の域に入っていますので、これからどんどんホテルが新設されていきますが、そのための新たな総支配人という人材を教育していかなければいけません。そこで総支配人を教育・育成するという役割も担わせていただいております。 |
Tad | 育成の中身というのは、どういうことをなさるんですか? |
島田 | カリキュラムがそれぞれの分野であります。たとえば法務、財務、マーケティング、ホテルをどのようにプロデュースして利益を獲得するか、社員に対してのリーダーシップをどのように調整していくかなど、いろいろあります。私はどちらかというと経験者として、やるべき仕事、注意しなければならないこと、総支配人として大切にしなくてはいけないことなどについて訓示を垂れるような感じでしょうか。 |
Tad | 総支配人を教育する教官のような感じですね。ちょうど『トップガン』のエースパイロットを教育するような。 |
原田 | (笑)。一支配人としてのご経験を若手に伝える立場でもあるわけですが、一番大切になさっていること、一番伝えたいことというのは? |
島田 | 総支配人が社員にとっては最後の砦というか、総支配人が諦めてしまったらすべてがそこで終わるわけです。全員がいつも決断者として答えを必ず出さなければなりません。でも、どうしてもわからなくなって困ったときには、アドバイスをいただける立場の人を常に作っておく必要があるよ、ということを伝えています。 |
Tad | 島田さんにとっても、そういう存在がいらっしゃったと。 |
島田 | いますね。この役職は年齢を重ねても継続される方が結構いらっしゃって、私より10歳くらい上の方で現役の方もいらっしゃいます。私にも、社員やスタッフには聞けないけれど、その方にはぜひ話を聞かせてください、とお願いするようなベテランの方がいらっしゃいます。 |
Tad | そんなふうに「これは間違っているかもしれない」と悩みながらも決断をする。すごく大変なお仕事のようにも見えますが、やっていてよかったなと思える瞬間もやはりありますか? |
島田 | いろいろなシーンで我々のお客様にサービスを提供して、それを買っていただく、プロダクトとして価値を感じていただくということをしていますが、それによってお客様は「よかった、ありがとう」と反応してくださったり、満足のいく笑顔を見せてくださったりする。その瞬間が、やり手としては「してやったり」というか、そういう気持ちになれます。もちろん、プロとして報酬をいただいていますが、それ以上に、直接お客様からいただくこうした“報酬”を日々実感できるのはとても幸せなことです。それは新入社員だった頃から同じですが、お客様の荷物を持って、お客様のお部屋にご案内すると「丁寧な案内をありがとう」と言われるだけで「この仕事をやっていてよかった」と、お客様にとって役に立つことができたんだと、毎回実感することができます。もちろん、行き届かなくて叱られてしまうこともあるんですが、それが毎日行われている。こんなに刺激的な毎日はないと思います。自分が理想とするサービスを作って、それが成功していく様子を見ることのできる立場にいるので、こんなに楽しい仕事はないと思ってます。 |

Tad | スタッフのみなさんも島田さんがおっしゃるような瞬間を味わっているところに、島田さんご自身も立ち会っていらっしゃるということですよね。 |
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島田 | それぞれのスタッフが成長している様を見るのはとてもうれしいことですね。 |
Tad | ご在任中に『ホテル日航金沢』をこういうふうにしたい、という思いがおありでしたら、お聞かせ下さい。 |
島田 |
コロナ禍がようやく収まりつつあり、全国旅行支援やインバウンドのお客様をお迎えできるようになり、我々ホテル観光業としては、今ようやく明るい兆しが見えてきたところです。2019年の秋ぐらいに台風で長野のほうから新幹線が来なくなって大変だった時もありましたが、ラグビーのワールドカップがありましたし、翌2020年には東京オリンピックもあるということで、観光ホテル業にとって輝けるような日々でした。それがコロナ禍に入り、3年に亘って本領を発揮することができなくなってしまいました。ここで金沢におけるホテル観光業を一から構築しなおして、やはり金沢においては我々がNo.1であるということを社員に言い聞かせながら、どんな時でも、どんなことでも「さすがは日航」「日航で働いている人たちはやはり違うよね」と言われるように、しっかり仕事をしていこうと思います。 私個人としては、このつらい時期を社員に耐えていただいたので、しっかりと業績を挽回して、社員たちに報いてあげたいなと思っています。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
Lady Gaga
「Hold My Hand」
「仕事を始めた1986年、第一作目の『トップガン』が上映されました。仕事は大変だけど仲間と映画を見たらすごくスカッとしたことを覚えています。憧れの気持ちで見ていた、わが青春の映画が今回、『トップガン マーヴェリック』として久しぶりに戻ってきたような気がしました。その主題歌をリクエストさせていただきました」(島田)

トークを終えてAfter talk


Tad | 今回はゲストに『ホテル日航金沢』総支配人の島田 裕次さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。 |
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原田 | 総支配人のお仕事は責任もありますし、大変なこともたくさんあると思うんですが、島田さんは「こんなに楽しい仕事はない」とおっしゃられていました。どんな状況も楽しむ心で切り抜けるというのは、メキシコなどで培ったラテンマインドのなせる業かなとも思いました。 |
Tad |
「支配」という言葉は「自分の権力下に置く」という意味の印象が強いですが、もともと「支える」「配る」と書きますよね。「支」という字には、実は分けるという意味もあり、古くはものを分けて配ることを「支配」と言ったりもしたようです。あるいは、仕事を配分して指示するという意味でもある。 でも総支配人の島田さんがスタッフのみなさんに対して本当に「分けて配っているもの」は、お給料や仕事ではなく、お客様にありがとうと言ってもらえる機会や、それを通じて成長するチャンスだった。そう考えると、社長とか代表とかよりも「支配人」という言葉のほうがずっと素敵だなと思うと同時に、上に立つ人というのはそうじゃないといけないなと、島田さんのお話から学ばせていただいたような気持ちです。どうもありがとうございました。 |