後編

金沢の魅力や強みに磨きをかける。

第63回放送

金沢市長

山野之義さん

Profile

やまの・ゆきよし/1962年生まれ。1987年慶應義塾大学文学部を卒業。1990年ソフトバンク株式会社に入社。その後、1995年金沢市議会議員に。2010年金沢市長に就任。現在3期目。

インタビュー前編はこちら

Tad 山野市長は『ソフトバンク』に入社されて、その後、金沢市議会議員になられたわけですが、民間企業にお勤めだった方が金沢市の市政に関心を持たれたのは何がきっかけだったのでしょうか。
山野 1994年まで東京で上場前の『ソフトバンク』でサラリーマンをしていました。色々な仕事を任せてもらい、手ごたえを感じる充実したサラリーマン生活でした。ただ家庭の事情で金沢に戻ってこざるを得なくなりまして、同社を退社いたしました。すでに30歳を超えていましたので、金沢に戻るなら、自分で会社を興したいという思いがあり、具体的な展望はなかったのですが、どんな仕事をしようかなと考えていました。94年の11月頃の話になりますが、当時、営業力だけはそこそこ手応えを感じていたので、一番自信を持てるのは、自分自身に対してだ、自分のことなら一番セールスしやすいと考えて、「自分を売ること」を調べたところ、翌年4月に金沢市議会議員選挙があると分かり、よし選挙に出ようと。自分を買っていただいて、いい仕事をする。いい仕事をすることによってまちにも恩返しできればという思いで立候補しました。
Tad なるほど。
山野 本当は、自分の政治理念やまちづくりに対する思いはこうだ、というものがあるのが正しいのかもしれませんけれども、僕の場合、今言ったように、まあ悪く言えばいい加減な思いで立候補して当選しています。ただ、そんな僕でも金沢市議会議員というのは金沢をよくすること、というのははっきりしていましたので、自分で言うのも口幅ったいですけれども、誰にも負けないくらい一心不乱に仕事をしていました。誰にも負けないくらい勉強もしたし、色々な人にお会いもし、それこそ三谷産業のTadさんのお父さんにもお会いして色々とご助言いただいたりお叱りを受けたりもしました。僕を買って下さった方を後悔させないようにしなければならない、という思いで一生懸命、仕事をしてきました。
Tad 最初に立候補された時の売り文句はなんだったんですか?
山野 最初に立候補した時は「挑戦」だったと思います。今から思えばとんでもない話ですが、嘘でもいいから金沢を明るく住みやすいまちにします、って言えばよかったのに、自分自身の挑戦、というようなことを図々しく(笑)。とにかくいい仕事をしてご恩返しさせていただくのでぜひ応援してください、というそんな選挙でしたね。
Tad では、具体的な政策のアピールではなくて。
山野 もちろん、金沢市政への問題意識というほどカッコいいものではないにせよ、まちがこうなればいいなということは訴えてはいましたけれども、でも、どちらかといえばパッションの選挙だったという風に思っています。
Tad その頃は金沢にとって「挑戦」が求められている時期でもあったのでしょうね。
山野 1995年(平成7年)という時期は僕が元いた業界で言えば、Windows95が発売されて、後に、日本のインターネット元年と言われた年なんですよ。その年に、金沢市議会議員選挙に立候補して当選できたので後付けのようで恐縮ですが転機だったのかもしれません。
原田 市議会議員になられてから、見えてきたことや、色々と分かってくるに従って理念がだんだんとついてくるスタイルだったのでしょうか。
山野 そうですね。懸命に仕事をして自分のまちづくりの理念はどこにあるのか、自分の政治家としての政治理念は何かということは、常に自問自答しながら仕事をしていました。
原田 そして市長になられるわけですよね。15年間市議会議員をなさった上でのご決断ということなのでしょうか。
山野 『ソフトバンク』にいる時から、将来、会社を興したいという思いをずっと持っていまして、社長の孫さんにも伝えていました。『ソフトバンク』のサラリーマン時代、社長として孫さんはこういう決断をしたが、自分がこの会社の社長だったらどう決断するだろうかと常に考え、負荷をかけながら仕事をしていました。これは市議会議員になってからも同じです。山出市長というスーパースター市長がいましたが、山出市長の決断はこうだが、仮に自分が金沢市のトップだったらどんな判断をするだろうか、山出市長はこんな説明だが、自分ならどう説明をするだろうかと常に考え、負荷をかけながら仕事をしてきましたので、それは今役に立っているなと感じます。
原田 なるほど。
Tad なんというか、もっと自分も頑張らなきゃと思いました。市長になられてから色々なことがあったかと思うのですが、2021年はどんな年に、金沢をこんな風にしていきたい、そういう思いをぜひお聞かせいただきたいのですが。
山野 金沢の魅力や強み、個性に磨きをかけていきたいと思っています。新しいことにも挑戦し、そこから新しい価値を生み出し、その価値に別の価値を重ねて後輩たちにつなげていきたいですね。後は、スマートワークの推進でしょうか。実はコロナになる前から、金沢市役所にもテレワークを導入しようと準備をしてきました。残念ながらコロナ禍の状況になりましたけれども、逆に好機と捉え、テレワークを進めています。50人ほどの職員が、自宅で仕事をしています。特に子育てや介護など様々な課題を抱えていらっしゃる方はテレワークを推奨しています。あとはペーパーレスも進めているところでもあります。フリーアドレスを少しずつ進めるなど、出来るところからやっていこうと進めていたのが、コロナになってからは出来ないところ以外は全部やる、という方向に変えました。今、本当に職員が頑張ってくれています。

スマートワークを進めることで時間やメンタルに余裕が生まれる。その余裕から得た余力で市民に寄り添うようなサービスを作っていきたいと思っています。
Tad 具体的にはどんなサービスを?
山野 やはり少子化の時代ですので子供の施策には格段に力を入れていきたいと思っています。子供はまさに宝です。少子化高齢化の大きな流れは止められません。一方で住民ニーズがより複雑化、多様化をしていきます。僕たちが「石川中央都市圏」と言っております、かほく市、津幡町、内灘町、野々市市、白山市、金沢市で、協定を締結して様々な施策を進めています。他の自治体の力も借りながら、連携して強く推進していければと思っています。
原田 なるほど。コロナ時代で、会えないからこそ繋がりを大切にしようという空気がありますが、金沢らしさといえば、人との繋がりが密というイメージなのかなと思うのですが。
山野 そこは、残念ながらコミュニティは希薄化されつつあるのではないかという声がありますね。実は僕、金沢の「校下」という考え方がとても好きなんです。
この「校下」という呼び名には、学校を軸に、地域の公民館があり、児童館があり、子供会があり、という地域の中で人材を育成し、コミュニティを醸成してきたという側面があります。それが消えつつあるというお声はいただきますが、環境を整備していきながら、地域だけでは対応できない事柄にはNPOなど、市民の皆さんの力をお借りしながら、深く関わりながら、力を入れていきたいと思っています。
Tad 先ほどスマートワークのお話がありましたが、他にもデジタル、インターネットを活用していく方向性はおありですか?
山野 前回触れました、「金沢マラソン2020オンライン」のように、政策的にハイブリッドで実施できるものはあると思います。リアルとオンラインの両輪で行う施策をしっかりと実行していこうと思っています。今、我々が価値創造拠点と呼んでいる旧野町小学校の施設では、AI、IoT、ロボットという言葉を聞かない日はありません。IT関連に精通した方にも入っていただきながら、そこで人材育成も行っていければ、新たなインキュベーション施設になる可能性が広がります。ここはぜひ三谷産業さんのお力もお借りしながらやっていかなくていけない。
Tad いやーこの番組では、わたくしTadです。
山野 Tadさんのお力もお借りしながらやっていかなければと思いました。
Tad できることならなんなりとお手伝いいたします。
Tad 市長は本当にお忙しいと思いますが、お休みの時にはどのようにお過ごしですか?
山野 家族との時間を大切に過ごしています。子供が2人おりますがどちらも東京にいます。しかしこんな時代ですので、メールで気軽に連絡を取っていますね。家には妻とワンちゃんがいるのですが、家族がいるからこそ仕事ができているんだなと思います。
原田 家族間のコミュニケーションに時間を充てていらっしゃると。
Tad 社会の最小単位が家族じゃないですか。それをすごく大事にされてるっていうのはすごくいいお話だなという風に思います。最後に金沢市民の皆様に対するメッセージをいただきたいのですが。
山野 金沢市には「若い力」という歌と、この歌に合わせた集団演技があります。昭和22年に第2回国民体育大会が石川県で開催された際、「若い力」が創作され、それが今日に至るまで受け継がれています。コロナ禍の今こそ、今一度「若い力を、元気を金沢市から発信していこう」という思いで力を入れています。来年こそはwithコロナの中でも、常に挑戦的である、そんな1年にできればと願っています。ぜひ市民の皆さんとともに取り組んでいければと思っております。



歌と集団演技による、金沢市の伝統的なスポーツ文化「若い力」。

ゲストが選んだ今回の一曲

Billy Eckstine

「Skylark」

「2019年9月のジャズストリートでJAZZ-21の面々と共演、終わるとすぐに指導者に、「来年は新しい曲でやりましょう」と声をかけていただき、推薦されたのがこの一曲なんです。コロナになりまったく練習出来ていなかったのですが、今、少し練習を再開し始めていて、今はこの曲にはまりそう、という段階です」

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに金沢市長山野之義さんをお迎えしました。いかがでしたか原田さん。
原田 まず金沢市議会議員になられたことをお聞きして、東京から金沢に戻ってから、ゼロからのスタートだったことを伺いました。その中で常にご自身がトップだったらどうするというのを考えて、実行してこられたことに驚きました。困難をバネにして道を切り拓いていく姿勢が、今の市政でも貫かれ、そして態度に表れていらっしゃるなと感じました。Mitaniさんいかがですか?
Tad 自分がトップだったらどう決断するだろうかと考える人はいると思うのですが、それを、どう説明するだろうか考えていたとおっしゃっていたのがすごく印象的でした。with コロナを好機として捉えるということも含めて説得力が感じられる話がたくさんありました。北陸新幹線金沢開業以来、石川県そして金沢市は日本中で最も注目される地域の一つだと思うのですけれども、山野市長のお言葉からは、金沢の文化都市としての力は県民市民が暮らしを豊かで文化的なものとして楽しんでいこうと思っているからこそだ、だからこそまちの魅力が続いているのだという思いが伝わってまいりました。スピーチではなく対話で生の声を聞けたのはとても貴重な機会でした。普段お聞きできない心の奥にあるものを垣間見させていただいた気がしました。

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