前編

営業戦略や製品戦略より大切なもの。

第15回放送

北陸ミサワホーム株式会社 代表取締役社長

林 諭髙さん

Profile

はやし・ゆたか/1970年、石川県金沢市生まれ。1994年、愛知学院大学卒業後、『株式会社オーシャン』に入社。アメリカ・シアトルで輸入建材業に従事し、1996年に帰国後、同社にて輸入住宅販売を担う。2002年、『北陸ミサワホーム株式会社』(1968年創業。一般建築住宅の設計、施工、販売を手掛ける)に入社。総務部長、専務を経て、2010年より現職。趣味はドライブ、釣り。
北陸ミサワホームWebサイト

インタビュー後編はこちら

Tad 今回のゲストは、『北陸ミサワホーム株式会社』代表取締役社長、林 諭高さんです。林さんとは時々ご一緒する仲なんですが、これまでも熱く住宅についていろいろ語ってくださり、北陸や全国の住宅業界に関するいろんなお話をうかがってきました。改めてプロフィールを拝見しますと、『株式会社オーシャン』、こちらはどんな会社だったのでしょうか?
簡単に言うと、材木や床、窓といったアメリカの建築部材を40フィートコンテナに詰めて輸入し、日本で組み立てて住宅にするといったことをやっていました。
原田 外国のおうちのようなものがどんどん日本にできるということですね。外国の家は日本のものと比べるとすべてが大きいですよね。
まさにセンチや尺寸じゃなくて、外国のサイズ、インチで作業していました。 たしかに大きいイメージですが、窓の幅や天井の高さなど、実はそんなに変わりないんです。みなさん、ハリウッド映画なんかで「いい家」を見すぎているんだと思いますが、普通の家であってもアメリカのものは、たしかに広々とはしていますね。
Tad 林さんがアメリカにいらっしゃったのが1994年、95年頃というと、輸入住宅ブームが日本に来たばかりの頃ですね。
そうですね。例えば、神戸はシアトルの姉妹都市、兵庫県はシアトルのあるワシントン州の姉妹県なので、神戸にワシントン村ができましたね。
原田 大学を卒業されてすぐ『株式会社オーシャン』に入社されたというのは、元々外国に関する何らかの思いがあってのことだったのでしょうか?
たまたまですが、学生時代に1年ほど語学留学をさせてもらっていて、英語にも少し興味がありましたし、外に出て仕事をしてみたくて。一応就職活動もしたんですが、結果的にはアメリカ勤務の話をもらいまして、ぜひやらせてくれということで。大工の見習いのようなこともアメリカでやりました。
原田 この頃と言うと、ちょうど野球で日本人がアメリカに行きだした頃じゃないですか?
野茂英雄さんがブームを巻き起こしたのがちょうど1994年で、自分をオーバーラップさせて、常に野茂さんと一緒にアメリカを染めていったというか、いい思い出も苦い思い出も重ねているような感覚がありました。野茂さんがオールスターで先発したときなんかは感動しましたね。本当に、自分は自分でそれなりに頑張っているつもりだったので、「野茂さんには負けとれんな」と。非常にいい思い出です。
Tad 2002年に『北陸ミサワホーム株式会社』に入社されましたが、これはイメージとして「帰ってこられた」ということですよね。
そうですね。1996年に戻ってからずっと、輸入住宅事業をこの北陸でさせていただいたのですが、結果としてはグループ一番の兄貴分の会社である『北陸ミサワホーム株式会社』に転籍させていただきました。
Tad 『北陸ミサワホーム株式会社』という名称ですが、『ミサワホーム株式会社』の子会社ではなく、独立的に存在している会社、まったく別のグループとして存在している会社なんですよね。
そうです。『ミサワホーム株式会社』という東京本社の会社があるんですが、そちらのことを我々は「メーカー」と呼んでいます。住宅部材が工場で作られて、それを北陸に輸送し、組み立ててお客様に建物を提供するというのが我々の仕事です。皆様がご存じの大手プレハブメーカーと呼ばれる会社で北陸にあるのは、ほとんどが支社、支店です。当社の場合は、独立した資本で一から創業し、今日に至ります。私も金沢市の森本出身ですし、社員もすべて地元で採用しております。それ以外の出身地の社員もいらっしゃいますが、基本的には金沢大学や金沢工大、福井工大出身といった北陸に縁のある社員を中心に採用しており、地域に密着させていただいています。
原田 社員の皆さんは、北陸という土地のことも人のこともよくわかっているということですよね。
基本的には知った間柄というご縁で、それこそ住宅を建てていただいたり、日頃のお付き合いもさせていただいているので、そういう意味では本当に、まさに「地元の会社」です。「地元の会社」でありつつ、全国的に頑張っていて住宅の性能も良い『ミサワホーム』という暖簾を使わせていただいているということです。
Tad これまで会社としては非常にたくさんの一般戸建て住宅を建ててこられたと思うんですが、どのようにしてここまで大きくなられたのでしょうか? 北陸三県で17,900棟の一戸建てのオーナーさんがいらっしゃるということですが、北陸ではなかなかない数字ですよね。
そうですね。おそらく戸建て住宅だけでいうと、一番多くのお客様に鍵のお引き渡しをした会社じゃないかなと思います。ただマンションや賃貸住宅とかを入れると、戸数だけだと、いわゆる皆さんもご存じの大手プレハブメーカーさんが多いかもしれませんが、一軒家ということになると、我々がたぶん一番ぐらいじゃないかなと思います。
北陸の気候に合った高機密性など、総合性能の高さが好評な『北陸ミサワホーム株式会社』の一戸建て住宅。
Tad 他の地域でも『〇〇ミサワホーム』があるとは思うんですが、その中で言うと『北陸ミサワホーム株式会社』が地域でトップシェアを取られている。北陸地域でその地位を得るまでにはどんなことがあったのか、ぜひお聞きしたいところです。
そうですね。元々、我々の手掛ける住宅は総合性能が高いというのと、かなり気密性が高くて寒いところに適しているということも言えると思います。北海道でもずっと一番、二番になっていましたし、新潟なんかもシェアの高い地域と言われています。寒いところに強い建物だというところですね。
原田 なるほど。しかも北陸の気候なんかもよくご存じの方々が提案するということは、お客様にとってもしっくりきますよね。
Tad 南極でも、というお話ですが。
南極はいろいろな要素があるんですが、とにかく事実として言えることは、『昭和基地』は『ミサワホーム株式会社』が手掛けていますし、大部分の、特に居住の基地はほとんど『ミサワホーム株式会社』のパネル工法というものでできています。
『南極昭和基地』は、『ミサワホーム株式会社』が生産した木質パネルを採用して建てられた。
原田 パネル工法というのは、特別な工法なんでしょうか?
そうです。壁を基本としていますが、壁を工場で作ってきて、それを一つ一つ接着工法で組み立てていくということなんですが、なぜ南極で使われるかというと、つまりは建てやすい、非常に精度が高いということがあります。南極には大工さんが10人も20人もいないんです。基本的に1人、もしくは2人で建てていくので、結果的には大工さんではない方にもお手伝いしていただくんです。観測隊員の学者さんだったり、お医者さんだったり、コックさんもいます。そういう方に手伝っていただきながら建てるわけです。ということは、非常に作りやすくないとできない。また、木は軽いですから、船で持っていきますので、鉄筋だと重量オーバーになってしまいます。そうしたいろいろな要素を含めての採用だと聞いています。現地はマイナス40℃の世界ですが、建物の中ではTシャツで過ごせますからね。それだけ気密性の高い建物だということは確実に言えます。
Tad 北陸は、南極ほどではないにしても、建築中でも雪の日がありますし、日照時間が一番短い地域の一つとも言われています。そういった意味では地域にフィットするような製品でもあったということですよね。
木質パネル同士を面接合した強固な構造が特長の「パネル工法」は、高精度と建てやすさとを両立。『ミサワホーム』独自の画期的な工法だ。
原田 それから先ほど「お客様第一」という話をなさいました。企業理念に「人の喜びをもって、我が嘉びとする」とあります。
そうですね。お客様に喜んでいただいている様子を見て、ようやく我々が喜べるということです。ですから喜びに加わると書いて「嘉び」としています。それが「愛」ということなんです。「愛」というのは、人が喜ぶ姿を見て、自分が喜べること。それが愛なんだと。自分もまだまだ勉強中ですが、そういう教えを――これ、実を言うと西堀榮三郎先生という南極の第一次観測越冬隊長が、たまたまですが当社の創業者に非常に熱心にいろいろな教えを授けてくださって、言ってみれば師匠といいますか、人生の師の言葉を当社の理念とさせていただいたと教わっています。それこそがまさしく「無償の愛」です。
社屋そばのモニュメントには、「愛――人の喜びをもって、我が嘉びとする」という企業理念が刻まれている。
原田 相手の喜びが、自分の喜びであると。
例えば、子供にプレゼントをあげるということに見返りを求めるのではなく、ただ子供が喜ぶ姿を見たい、そういう思いでプレゼントを渡すことが愛なんだよと、そういうことだと聞いています。我々もまだまだそこまでには達していないんですが、「常にお客様にはそういう気持ちで接しなさい。そうすればきっとまた応援していただけるでしょう」というようなことを教えていただきました。
Tad 僕も今日、林さんの人となりとその企業理念とが繋がったような気がしました。まさしく林さんは「無償の愛」の方ですから。
原田 そういうふうにして建てていただいていると思ったら、お客様としてはすごく信頼できて安心できるし、話も聞いていただけるし、うれしい限りですね。今、住んでいる方を大事にしたいということですね。
そうですね。やっぱり住んでいただいている方を一番大事にしなければいけないよということだと思います。もちろんこれから家を建てる方、それに関わってくださる協力業者さんや大工さん、職人さん、もちろん社員一人一人もそうですが、まずは家を建てていただいた方、人生でおそらく一度の、一番高い買い物ですから、そこを『北陸ミサワホーム株式会社』に任せてくださった方をまずは大事にしなさいというのは、会社の教えになっております。

ゲストが選んだ今回の一曲

大澤誉志幸

「そして僕は途方に暮れる」

「4つ上の兄と6つ上の姉がいて、私は末っ子なんですが、常に姉兄から愛を受ける、というよりも、ああせい、こうせいといろいろなことをやらされました。姉が大澤誉志幸さんを大好きで、いつも自分も聴かされて、結局、私も好きになったんです。メロディがすごく好きで、カーオーディオに録音してあるのでたまに流れてくるんですが、なかなか自分で歌えないんです。キーも違うし、このハスキーは独特ですから“聴くオンリー”ですが、非常に大好きな曲です」

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『北陸ミサワホーム株式会社』代表取締役社長、林 諭高さんをお迎えしました。いかがでしたか、原田さん。
原田 笑顔が印象的な林さんでしたが、アメリカでチャレンジをされたり、今もパワーをもって前に進んでいらっしゃるんでしょうけれど、お話をしているとなんだかほっこりと、こちらも笑顔になる、そんな魅力のある方だなと思いました。Mitaniさんはいかがでしたか。
Tad 本当にお人柄がすばらしく、まさしく「歩く企業理念」のような社長さんです。家や住宅という買い物は一生に何回もあるわけではない大きなもの。「愛――人の喜びをもって、我が嘉びとする」というこの企業理念は、決して戦略上のセオリーとして掲げているのではないということが人柄から伝わってきます。住宅というのは、すごくご縁とか人柄を大切にするようなお買い物の一つだと思うんですね。我々自身、営業戦略や製品戦略といったストラテジーばかりを論じていてよいのだろうか、ご縁や、人と人とが繋がっているということがビジネスの根底にあるんじゃないだろうかと、改めて気づかされました。

読むラジオ一覧へ