前編
時代を超えて継承される「ハチバン」の文化。
第34回放送
株式会社ハチバン
代表取締役会長 後藤 克治さん
Profile
ごとう・かつじ/1950年、石川県加賀市生まれ。1969年に高校卒業後、『株式会社アートコーヒー』に入社。翌年、『株式会社ハチバン』(創業は1967年。国内外で280店舗を展開)の前身となる『株式会社八番フードサービス』に入社。営業部長、常務、専務を経て、2014年3月に代表取締役社長に就任、2020年3月より代表取締役会長。
Tad | 今回のゲストは「8番らーめん」でおなじみ、『株式会社ハチバン』代表取締役会長、後藤 克治さんです。 |
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原田 | 小学生の息子が本当に「8番らーめん」が大好きで、フードコートなどでいくつもお店があっても絶対にそちらに行きます。 |
後藤 | 皆さんからそう言っていただけるのを大変うれしく思っています。特にお子さんから言われるのは僕にとってはいろんな意味でうれしいですね。 |
Tad | 「8番らーめん」というと、北陸の人なら誰でも知っていて、誰でも食べたことがあって、熱狂的なファンも多いと思いますが、国内外で280店舗という数を改めてうかがって、こんなにあるんだと驚きました。 |
原田 | しかも海外に142店舗、国内に138店舗も。 |
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Tad | 『株式会社ハチバン』のこれまでの歩みをおうかがいしてもよろしいでしょうか? |
後藤 | 創業は、僕がまだ高校生の時ですね。自分は7人兄弟の末っ子なんですが、長兄と父親とで創業しました。加賀市の国道8号線沿いは、ちょうど昭和39年の東京オリンピックの時に整備されまして、まだ車が全くない時でした。最初の店舗は昭和42年に作ったのですが、その時はまだ周りは田んぼばかりでした。加賀市の人はご存じかもしれないですが、それほど何もない時代に、いろんな失敗を山ほどしてきまして、最後に「これからはモータリゼーションが始まるだろう」と考えたそうです。その辺からちょっと感性がよくなったという感じでしょうか。それでドライブインとして出店したのが最初ですね。僕はまだ高校生ですから働いていませんが、よく見ていました。加賀から金沢の間にドライブインって当時は3軒あったかないかという時代。そこから高度経済成長とともに車の時代に入っていくわけです。父と長男はそこからは先見の明があったのかなと、結果論ではありますが、そう思いますね。 |
原田 | 最初はドライブインということは、ラーメンではなくて、例えばコーヒーのようなものを提供されていたんでしょうか? |
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後藤 | よく覚えていますが、昔、僕らの時代には純喫茶というものがありまして、それが全盛だったんです。「純」というのはアルコールがないということを意味します。コーヒーを一日に100杯売ったらものすごい繁盛店と言われていまして、最初に、地元が温泉郷ですからコーヒー喫茶『湯香』という喫茶店を開きました。それが一日100杯、120杯、200杯と売れていくんですよ。車もない時代で、どこからかわからないけれどお客さんが来るんです。それから商売の妙技と言いますか、創業者はさらに面白くなったのでしょうか、「もっと何かしたい」と、そういうことをずっと思っていたようなんです。そのままお客さんを帰らせてしまうのはもったいないと。そこで思いついたのが、ラーメンです。その時に日経新聞でちょうど『日清食品株式会社』の創業者である安藤百福さんの記事があり、「(ラーメン)30万食突破」というのが出るんですよ。そこで「これからはラーメンや」と、父はそう言っていました。そして創業者が自分で探しに行くんです、北海道から東北まで「何のラーメンを出そうか」と。それが「8番らーめん」の元ですね。結局、青森で見つかりました。 |
Tad | ルーツの一つが青森なんですね。 |
後藤 | 青森で「そのラーメンの作り方を教えてくれ」と言ったけど「教えない、その代わり、盗んでいくのはいい」と言われたそうです。そこで作った原型が、「野菜ラーメン」なんですよ。それを持って帰ってきて、加賀の味噌や醤油、要するに郷土のものを利用して作ったのが「8番らーめん」なんです。 |
原田 | 材料の地産地消をして作ったということですね。 |
Tad | 金沢や北陸の人たちの味覚にフィットした形ですね。 |
後藤 | そういうことも含めて「8番らーめん」は石川県のソウルフードの始まりかもしれないですね。郷土の素材を使って、ということですから。 |
Tad | 今では国内外で280店舗もあります。フランチャイズを広げていくという戦略をとられたと思うんですが、どんなふうにして店舗を増やしていったんでしょうか? |
後藤 | 僕の記憶でいうと、怒られるかもしれないですが、当初フランチャイズは考えていなかったのではないかと思います。それはなぜかというと、僕が高校生の時、毎週アルバイトに行っていたんです。その時からフライパンを握っていまして。 |
Tad | 後藤さんご自身が? |
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後藤 | はい。親父が怒るんですよ。人がいない田んぼの真ん中で、「学校に行かなくてもいいから店に来い」と。そういう時代でした。今みたいに厨房が素晴らしいとか空調がすごいとか、そんな時代じゃない。キャベツをカウンターの前で切っては、「いらっしゃい」とお客さんを迎えて。フライパンとゆで麺機のでっかい鍋とスープしかないぐらいの時代です。それがもう先ほどのコーヒーと一緒で、一日に100人、200人とお客さんが来るんです。僕はアルバイトをしながら「何しに来るんだ?」と思っていました。 |
Tad | 働いている身からすると大変な量ですよね。 |
後藤 | 高校生の時ですから、早く楽をしたいと思っていましたし、時給100円でしたから。 |
原田 | ちなみに、当時はラーメン1杯いくらだったのですか? |
後藤 | 100円。 |
原田 | 時給と同じ。1時間働いて1杯分ということですね。 |
後藤 | ですので「早く終わらないかな」というのをずっと思っていました。だけども人がたくさん来るんです。そのうちに、「店を自分にもさせてくれ」という希望者が来るんです。今でも覚えています。「フランチャイズチェーン募集」と書いた模造紙をバーッと貼ってね。印刷なんてない時代ですし、お金もない。それで「店を人にやらせてみようか」ということからフランチャイズを勉強した、ということが最初だと思います。創業者が生きていたら「馬鹿野郎! 自分で最初から勉強していたぞ」といわれるかもしれないですが。過去には失敗して、今は繁盛した。そこに、「店をさせてほしい」という希望が非常に多くなって、どうしたらいいのか、と、暖簾分けやいろんなことを考えたのだと思います。だけどそこで、『株式会社ダスキン』の創業者と出会って、フランチャイズチェーンを勉強したのがきっかけではなかったかなと、私はそう思っています。 |
Tad | フランチャイズって私たちも普通に使っている言葉ですが、暖簾分けやチェーンを自分たちでやっていくということとは違うんでしょうか? |
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後藤 | 基本的には、PB商品や独自のものを研究して、名前だけを貸して商業化する、その対価としてロイヤリティをいただく、というのがフランチャイズの原点ですが、うちのフランチャイズはちょっと違うと思っています。というのも、例えばコンビニエンスストアのフランチャイズなどは契約でがんじがらめになりますよね。しかし、うちの場合は「日本的フランチャイズ」とでも言いましょうか、要するに人と人とのふれあいを大切にしていて、結婚相談のように関わっていくんです。 |
Tad | プライベートなところまで関わられるということですね。 |
原田 | 家族ぐるみの付き合いで。 |
後藤 | そうです。こういったことはあまりないのではないかと思います。東京に開業を支援する『全日本不動産協会』があるのですが、そこへ行くと『株式会社ハチバン』様は特別ですね、と言われます。珍しいようですね。また、北陸三県から脱却できないとも言われます。それは、逆に言うと入り込んでいくから。ビジネスライクではなくて、face to faceの、人と人とのふれあいの中の、心と心のふれあいというのが経営理念なんですが、やっぱりそこから成り立っているんだろうと思います。だから独自性がある。ですから、今、世の中がラーメン屋だらけでも、当社は3代目にまで続いているのです。 |
原田 | フランチャイズで、ということですよね。 |
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後藤 | たかがラーメン屋で3代目まで続くというのは全国では珍しいと思います。要するに、僕はそれが『株式会社ハチバン』の企業文化、創業者が作ってきた一つの大きな特徴だろうと思います。だから社長になって一番難しいのは、コーポレートカルチャーというか創業理念を、どうやって次に引き継いでいくかということ、これが社長になってから一番難しかったような気がします。ラーメンの茹で方は教えれば済むことかもしれませんが、「心で経営を伝える」というのは非常に難しい。私はそう思っています。 |
Tad | 2020年の3月に会長になられて、新社長をお迎えになられましたが、コーポレートカルチャーをどんなふうに伝承していきたいと思っていますか? |
後藤 | マニュアルで引き継げるようなものでもないので、一番考えているのはそれをできれば3年くらいかけて、時と場合によって、ケースごとに教えていきたい。書いたもので教えるというのは、僕はできないと思っているんです。そういった意味では、今、とても大変な時期です。新型コロナウイルス感染症の蔓延という外食産業にとっては危機的状況ですが、私は逆に言うと、そういう意味では今、新しい社長を迎えるというのはチャンスだと思っています。問題に対して具体的に「こういう時はこうだよ」ということを伝えることができるという意味でチャンスにできると思っています。 |
Tad | ある意味、こうした極端なケースだからこそ、こうすべきだと伝えられるということですね。 |
後藤 | そうです。こうした異常事態に新社長を迎えたことは、逆によかったと思っています。引き継ぎ書でやるのは簡単だけど、例えば感染者が出たらどうするか、といったことなどは、なかなか引き継ごうと思ってもできないことだと思います。 |
原田 | そうですよね。 |
後藤 | ピンチをチャンスに変えるということは、僕はそういうことだろうと思うんですよ。企業がそういうことをやるには結構時間がかかりますね。これが会長になってからの一番の仕事かなと思います。フランチャイズっていうのは経営者ばかりの集まりなので、ビジネスライクにやれと言ってできるようなものではなくて、やっぱりある程度、フランチャイザーへの尊敬の念も持ってもらわなければならないですし、フランチャイザーはある程度の統制、カリスマ的統制力もなければいけません。その辺はなかなか割り切れないものだと思いますが、チャレンジしています。少子高齢化、情報化社会のこの時代の衣食住の「食べ物」に、よりマッチしていかなければなりませんが、とはいえ創業の精神は守っていかないと、皆さんのソウルフードを守っていくことは難しいのではないかなと思っています。 |
ゲストが選んだ今回の一曲
Beatles
「抱きしめたい」
「僕らがちょうど中学校くらいの時、Beatlesがすごく流行っていまして、憧れましたし、僕らにとっても本当に神様のような存在でした。最初にレコードを買ったのが、この曲です。一番の思い出ですね」
トークを終えてAfter talk
Tad | 今回はゲストに『株式会社ハチバン』代表取締役会長、後藤 克治さんをお迎えしましたけれども、原田さん、いかがでしたか。 |
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原田 | 後藤さんはまずアルバイトとしてフライパンを振っていらっしゃったという、本当に『株式会社ハチバン』の最初からずっと、すべてをご存じの方ということで、これからも伝えていきたいという心をすごく感じるお話でした。 |
Tad |
そうでしたね。モータリゼーションを見越した1号店の置き方、田んぼだらけの8号線沿いに、というのもなかなかすごいことだなと思いました。創業者の方がフランチャイズの勉強もされたとおっしゃっていましたが、日本式の和のフランチャイズという、この言葉が最も印象的だったなと思います。 契約書を渡してお互いの役割分担を定義するということよりも、人と人とのご縁から、場合によっては家族ぐるみのお付き合いを、フランチャイジーとフランチャイザーの間で行ってきた結果として続いているということも驚きました。今の我々も経営の理論を学んだとして、「それを自分たちの文化の中で再構築しているんだろうか」、「そうすべきなのではないだろうかと」と気づかされました。こういった考え方が時代を超えて、『株式会社ハチバン』の中で継承されているということに、すごく感銘を受けました。 |