後編

オフィス空間だけではない、働く環境そのものをデザイン。

第45回放送

株式会社山岸製作所 代表取締役社長

山岸晋作さん

Profile

やまぎし・しんさく/1972年、石川県金沢市生まれ。東京理科大学経営工学科で経営効率分析法を学び、卒業後アメリカ・オハイオ州立大学に入学。その後、『プライスウォーターハウスクーパース』に入社。ワシントンD.C.オフィスに勤務。2002年、東京オフィスに転勤。2004年、金沢に戻り、『株式会社山岸製作所』(創業は1963年。オフィスや家庭の家具販売、店舗・オフィスなどの空間設計を手がける)に入社。2010年、代表取締役に就任。

インタビュー前編はこちら

Tad 今回のゲストは前回に引き続き、『株式会社山岸製作所』代表取締役社長、山岸晋作さんです。それにしてもすごく輝かしいご経歴です。『プライスウォーターハウスクーパース』に入ることができるのはほんのひと握りの人だけです。アメリカに行かれたんですね。
山岸 そうなんです。
Tad アメリカに行かれた理由というのは?
山岸 日本の大学を卒業した時に、私の父が当時、社長をしていましたが、その時にこれからの時代はグローバル社会だということで、どこか『株式会社山岸製作所』と関係のある東京の大手の会社さんにお世話になるという選択肢もあったんですが、そうするぐらいなら、アメリカに行って武者修行して、英語の一つも学んで、どうやって立ち振るまうかを勉強してから帰ってくるほうがいいなんじゃないかと言ってくれまして。それで、本当に素直に「じゃあ、行くよ」ということで行きました。
原田 アメリカに何か足掛かりはあったんですか?
山岸 もともと英語という科目が嫌いではなかったし、東京で働くこともなんとなくイメージもできていなかったし、もう一つ何か新しい刺激を求めていたというところも当時ありましたから、行きたいなと思って。
原田 なるほど。でも、やっぱり英語で学ぶって考えるだけでもすごく大変だと思うんですよ。生活するだけでも大変な気がします。
山岸 そうですね。五感を全部使って生活しないといけないですから。
Tad そうですよね。
山岸 最初は居場所がないですから、精神的にも。それこそ言葉も通じないですし。日本にいると友達がいて、言葉があって、何気なく情報が入ってきますけれども、向こうでは言葉が分からないですからね。すべてを研ぎ澄ませて生活する感じなんですよ。だから本当に刺激的な6年間でしたし、その生活なくして今はないなというふうに思いますね。
原田 そこで学んだこととか、身についたことがたくさんあるっていうことですね。
山岸 ゼロから自分の居場所を作ることってなかなかないですよね。「ここに山岸晋作がいるよ」って分かってもらうことってすごく大変でしたが、それを実践していくことで自信がつきました。
オハイオ州立大学時代の山岸社長。ルームメイトのアダムさんと。
Tad ご卒業後にアメリカで就職されていますが、これはもう最初にそのように決めていらっしゃったんですか?
山岸 オハイオ州立大学を卒業したら戻ってくる予定だったんですが、戻ってこれなくなる事情があって、その時に、そのままアメリカにいようかなというような感じで。アメリカでの生活を快適に感じ始めたのは3年目くらいですかね。言葉もなんとなく不自由じゃなくなって、どこへ行っても話せるような感じになっていたので、もうちょっとチャレンジしようかなと思って、アメリカに残りました。
オハイオ州立大学の卒業式での一枚。
Tad ちなみに、どんなお仕事をされていたんですか?
山岸 アメリカにいた当時は、いわゆる、コンサルタントの見習いみたいな感じで、プログラミングをしていたんです。ERPパッケージと言いまして財務系のシステムを導入する部署にいました。クライアントはアメリカの文科省でした。だから、アメリカ合衆国政府の中に入ったんです。今思うと、よくやったなぁと思いますけども。
原田 ビッグなプロジェクトに参加されたんですね。
山岸 そうですね。IDをもらって、アメリカのワシントンD.C.のいわゆる真ん中にあるところにプロジェクトメンバーとして入って。ただ、役割は本当に言われたことをただ形にするプログラミングでしたから。それでもクライアントのニーズを汲み取ってプログラミングしたり、テストしたり、ということをずっとやってました。
Tad そういうご経験を積まれてから帰国されて、『株式会社山岸製作所』の社長になられるわけですが、他の人とは違うご経験をされてきて、それが今、どんなふうに活きていますか?
山岸 やっぱりアメリカで生活したことで、生きていくということに対する自信、誇り、そういったことを培うことができたなぁというふうに思います。今どこにいても「何とかなるな」というような部分が根底にあります。地に足を付けて、「ここでダメでもどこかで何とかなるよ」という開き直りみたいなのも、もしかしたらあるかもしれないですね。
原田 きっとこれまでも何とかしてこられたんですよね?
山岸 ですかね。
Tad 『株式会社山岸製作所』として、最近はやはりコロナ禍でテレワークが増えたり、そもそも社員を出社させないとか、オフィスの形がどんどん変わっているという現状を、今どんなふうにご認識されていますか?
山岸 弊社もコロナ前からテレワークの挑戦はしていたんです。オフィスの在り方を考える上で、テレワークって切っても切り離せないですよね。「働く場所をどこにするか?」ということですよね。今まではオフィスがまさに働く場所であったのが、その枠組みがなくなって、どこでも働けるということになると、個人的な作業というのは本当にどこでもできてしまうわけです。そうすると、今までオフィスが持っていた「個人の作業場」という役割がオフィスからなくなってしまうわけですから、「じゃあ、オフィスで今度は何をしようか?」っていうことを考える専門家としては、自分たちがテレワークに挑戦せずにそれを提案することはできないですね。東京でテレワークが採用され始めていた頃から、少しずつ自分たちでもやってみようというので挑戦していたんです。
それでコロナ禍になって、初めて地方のかたでも「テレワークって何?」ということがなんとなく分かりはじめたと思いますが、コロナ禍におけるテレワークと、通常時のテレワークって、一回切り離して考えなきゃいけないと思うんですよ。
というのは、コロナ禍という非常時におけるテレワークというのは、むしろ会社が押しつけて強制的に「テレワークをしなさい」っていうことですよね。本来は平時に、どちらかというと押しつけではなくて、ニーズを捉えて、テレワークをやりたい人に「やってごらん」というやり方がいいと思うんです。それをごっちゃにして、やりたくない人に押しつけてしまうテレワークになると、お互いに関係がうまくいかなくなっちゃうじゃないですか。やりたくない人にやらせても、そこに何かいいものって生まれないから。
Tad 個々人の働き方を選ぶっていう意味ですね。
山岸 そういうことですね。選ばせてあげるということが大事なのに、「お家にいなさい」「会社にいなさい」と押しつけてしまうと窮屈ですよね。家にいてもいいし、オフィスにいてもいいし、喫茶店でもいいし、そんなふうにその日の仕事の環境とか気分で選べるというのが、本来のテレワークの在り方なんですよね。だからそういったことを今回のコロナ禍で初めてみなさんも経験されたと思うんですが、これからどうなっていくかというのは、まだ私にも予測がつきません。自分たちで経験しながら、お客様にお伝えできるような形になればいいなと思います。でも間違いなく、オフィスの在り方っていうのは、今までみたいな個人作業の場所ではなくなっていきますから。人が集う、でもあまり集い過ぎないように…「三密回避」ですからね。集わないんだけど、何かあった時には力を結集して一つのものを作り出せる、そういう新しいオフィスの在り方っていうのが、これから求められると思います。そこは…どうなるんでしょうね?
Tad 帰属意識の場であったり、コラボレーションの場であったりというのは、そこを研ぎ澄ましていくっていう感じですかね?
山岸 そうですね。
原田 実際に山岸さんのオフィスも、みんながコミュニケーションを取りやすいスタイルにされているんですか?
山岸 弊社も「フリーアドレス」と言いまして固定席を持たない働き方というのを随分前からやっていますが、目的はただ一つ、「コミュニケーション」なんですよ。コミュニケーションを取るために好きな人の隣で働いたり。今日はあの人と一日中仕事をしたいからその横で仕事をする、今日は話しかけられたくないから隅っこにいく、あの人が嫌いだから…あ、それはないか(笑) とにかく「選べる」ということですね。今までみたいに「あなたはこの席でこの時間からこの時間まで、その姿勢でこの仕事をしなさい」っていうことだと、もう生産性は高まらないですから。自由な中でこそ高まる生産性って必ずありますしね。そういった新しいことに挑戦すると新しい仕事が出てくるんですよ。新しいことをやるとその新しいことに対して、「どうやってやるの?」とか「教えてくれない?」みたいな、新しいビジネスが出てくるんです。
Tad 普段同じ人としか喋ってないとか、同じ場所で同じものを見て、同じように過ごしたのでは出てこないようなアイデアが出てきたり、新しいビジネスが生まれたり。
山岸 そうです。新しいビジネスが生まれると、なおさらまた集まって、「どうやってやろうか?」と話し合える、そんなオフィス作りをしています。会議室がガラス張りだったり、さっと集まってさっと会議ができるようにデジタルで映し出して、紙を使わずに打ち合わせができる仕組みにしたり。そういった「打ち合わせ中心」、「コミュニケーション中心」のオフィス作りというのを今、徹底してやっています。そういう環境の中から何か新しいものが生まれてくる、ということに関しては、体験しながらお客様にお伝えします。
原田 確かに紙があるとそれにこだわってしまうというか、みんな紙を見て会議をしちゃいますよね。もっと議論を戦わせたりフリーな感じでできた方が、おそらくいいアイデアは出てきますよね。
山岸 ペーパーレスが今、叫ばれますが、ペーパーレスっていうのも「もの」に頼らない働き方なんです。
原田 なるほど、紙という「もの」に?
山岸 紙という「もの」に頼っちゃうと、それがあるところでしか仕事ができなくなりますよね。だから「もの」に頼らない働き方をする、それはつまり、紙に頼らない働き方をするということなんです。すると、いつでもどこでも働けるように自然となる。それがペーパーレス。
原田 すると『株式会社山岸製作所』のオフィスには紙を積んでないわけですね?
山岸 そうですね。今はだいぶなくなりましたね。
Tad オフィスの中で偶然、居合わせた人同士とか、偶発的に生まれた新しいきっかけとか、そういうものも意図してデザインできるんですか?
山岸 それは、オフィスデザインの中の大事な考え方だと思います。オフィスデザインの中で、今どの会社も一番大切にしたいのはコミュニケーションなんですよ。どの会社も問題はそこだとおっしゃっていて、会社の風通しの悪さみたいなところがあったとすれば、それをオフィスのレイアウトだったり導線だったり、どこで人が会うかというようなことをデザインすることによって問題解決できることってすごく多いですね。どっちかというと、そのためにオフィスレイアウトがあるみたいなもので。例えば総務と営業のスタッフとがどうやって日頃の会話を生み出せるようにデザインするか、とか。当社の場合はごみを捨てる場所、ホッチキスを使う場所といったような庶務的な作業をする場所って決まってるんですが、その脇に総務のメンバーがいるんです。だから営業がいつもだったらちょっと離れて別の仕事をしていますが、ちょっとした時にお互いに声をかけやすい、かけられやすいようにオフィスレイアウトを工夫しています。人と人がたまたま出会う導線の上に机を置いてみたり、画一的に並べるんじゃなくて、ジグザグじゃないと進めないようにしたりとか。そこに出会いがあったりしますから。そういったことって本当に今、大事なことなんじゃないかなって思いますね。
Tad 機能性だけじゃない可能性がそこにはあるような気がしますね。
先進的なオフィス空間を提案する、石川県金沢市粟崎町にあるオフィスショールーム『リシェーナ』。

ゲストが選んだ今回の一曲

浜田省吾

「夏の終り」

「学生時代から浜田省吾さんは大好きなんですが、心が滅入りそうになる時ってありますよね。逃げ出したくなる、けど逃げ出せないっていう時に、この曲を聴いて妄想で脱走するんです。逃げ出すんです。心で逃げちゃおうと、そういう曲です」

トークを終えてAfter talk

Tad 今回は前回に引き続き、ゲストに『株式会社山岸製作所』代表取締役社長、山岸 晋作さんをお迎えしましたが、いかがでしたか、原田さん。
原田 オフィスの作り方の話がすごく印象に残りました。オフィスっていう場は本当に会社の考えが表れる場であり、それを表すことができる場なんだなということがよく分かりました。Mitaniさんは、いかがでしたか。
Tad 新型コロナウイルスの影響でテレワークを導入する企業が増えたり、オフィスの形も変わるのではないかと質問させていただきましたが、オフィスのレイアウトをわざとジグザグにしたりして、自然と人と人とがたまたま出会うように設計で意図するということを重視しているというお話もありました。テレワークとかオフィスのICT化が進んでも、企業の中で起きているのは、やっぱり物理的に離れたとしても人と人との営みであって、メンバーシップであったり仲間意識であったり、協力しあう風土であったり、ということを、人と人との関係性のデザインとして捉えていらっしゃるのかなと思いました。『株式会社山岸製作所』が今デザインされていることは、オフィス空間だけじゃなくてテレワークとか、フリーアドレスだとか選択肢がある時代の中での、働く人たちが働き方を選べる環境そのものなんだということに、深く感じ入りました。

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