前編

社章やメダルなど、金属装飾加工品のニッチトップ企業。

第42回放送

桂記章株式会社 代表取締役社長

澤田 幸宏さん

Profile

さわだ・ゆきひろ/1965年、石川県金沢市生まれ。1983年、『桂記章株式会社』(創業は1948年。社章、学校章、メダル、バッジ、キーホルダーなどの企画、デザイン、製造)入社。製造や営業部で活躍後、21歳の時に岐阜の会社に出向して2年間修業。1988年、『桂記章株式会社』に戻り、2012年、三代目社長に就任。

桂記章株式会社Webサイト

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Tad 今回のゲストは『桂記章株式会社』代表取締役社長、澤田幸宏さんです。
原田 澤田さんのお手元にまばゆい小判が並んでいますけども。
澤田 当社で小判のレプリカを作っておりまして、もともとは水戸黄門などの時代劇で出てくるテレビの撮影用の小判なのですが、今日はそちらを大量にスタジオに持ち込んでおります。
桂記章で製造している小判のレプリカ。
原田 いろいろなお話が聞けそうで楽しみです。
Tad 高校を卒業されてすぐ、入社されたんですね。
澤田 はい。本当は一生懸命勉強もして、一応進学コースに入って、理数系が好きで大学に行きたかったんですが、創業者である祖父からは「手に職をつけなさい。勉強なんて役に立たん」と言われて。昔から我が家では勉強していると怒られたんですよ。
原田 普通は逆じゃないですか?
澤田 勉強してると「そんなことは必要ないから、現場で働け」と言われました。小学校のころからずっと手伝いをしていて、私は夏休みが大っ嫌いでした。夏休みは学校に行かなくていいから、朝から晩まで手伝いをしなければいけないので…。
原田 えっ、小学生の時というと、どういう仕事を?
澤田 いろんな仕事があるんですが、実際に小さいプレス機を使ったり、組み立てとかもしていました。そういうことをずっとやってきたので、おかげでモノづくりのことも覚えましたし、手先が器用になりましたね。今でこそモノづくりは好きですが、昔はとにかく嫌でね。本当にどうやって脱走しようかと考えていたくらいなんです。でも、おかげで今でもいろんな試作品を自分の手で作ることができるというのが、強みになっていますね。
Tad 今、目の前にいろんな会社の社章が並んでいます。
原田 すごいですね。
Tad 見たことあるものばかりですよ。北陸新幹線のバッジもありますね。
澤田 こういうバッジを作る会社というのが日本にそんなにないんです。創業者が戦争から帰ってきて、何かしなければということで、最初にプレスの機械を買って、役所のバッジなどを作ったりしていたんです。今でもいろんなところから「澤田さん、バッジ作りたいんだけど、作ってくれる?」と声をかけてもらえることが多くて。こういう仕事をしていてよかったなと思いますね。
Tad 会社は最初からバッジを作っていたんですか?
澤田 最初はバッジですね。昭和の30年代後半から、観光ブームと言いますか、登山が流行ってきたんです。その頃は「月月火水木金金」という時代…、ご存じないかもしれませんが。
原田 働いて、働いて、という時代ですね。
澤田 とにかく働き詰めの時代だったのが、日曜日は休めるようになり、その時に観光に行くとなれば登山に出かけるのが流行ったんです。登山に行くとお守りが売られているんですが、登山者が多くてすぐに売り切れてしまうわけです。それで、たまたま妙高にいる親戚から、山のバッジを作ってくれと言われまして。海外にはそういうものがあるけれど日本にはないから作ってくれないかと。当時は多分、時代の最先端ですよ。日本になかったものを作り出したわけです。それでバッジを作ったら、ものすごく売れたんです。
当時はお菓子のお土産もなかったんですよ。お土産の起源にはいろんな説があるんですが、私が今、自分で信じているのは、旅の「お土産」のルーツが、うちのバッジであろうという説なんですね。
昭和30年代の登山ブームに山小屋で販売されたという登山の記念バッジ。
原田 なるほど!
Tad そうなんですね。
原田 登山の記念にバッジを買う、それが「お土産」の始まりなんじゃないかと。
澤田 はい。山小屋に行くと、台紙にバッジがいっぱいついていて、その下に「桂記章」とでかでかと書いてあります。気が付かない人もいますが、山が好きな方は「桂記章」って書いてある大きな台紙から山のバッジを引きちぎって購入されるんです。それが日本中の山の山小屋にいっぱいあるんです。
昔はみなさん、登山の帽子に山のバッジをつけていたんです。
「大山」の登山記念バッジ。台紙に「桂記章」の名がみられる。
原田 日本中の山に、『桂記章』が作られたバッジが!
Tad それっていつ頃のお話ですか?
澤田 昭和30年代後半ですね。
Tad 昭和30年代後半というと、「観光」という言葉もでき始めたぐらいの頃でしょうか?
澤田 そうですね。みんな昔は働き詰めだったのが、ようやく余暇ができて観光というものができて。その頃、高速道路はなかったので、近場の山に鉄道で行くわけです。テレビもなかったですし、かつてはそういう時代があったんですよね。今は誰もがマイカーを持つ時代ですが、私が幼い頃は近所で車を持っているのもうちくらいでしたし、みんな鉄道に乗っていくわけです。高速道路は昭和30年代後半から40年代くらいにかけて作られてきたんですね。先代が「これからは車で旅行に行く時代が来るんだ」ということを私に言っていたのを覚えています。それで「新たなお土産として、車の鍵につけるキーホルダーを作る」と。
Tad そういうことなんですか。
澤田 山では帽子に付けるバッジをお土産にしたのですが、次は車の鍵に付けるキーホルダーをお土産にすると。それがまた大当たりしましてね。日本中に高速道路ができていくと、東名高速道路開通記念キーホルダーとか、東北自動車道開通記念キーホルダーとか、瀬戸大橋開通記念キーホルダーとか。高度経済成長期の頃に高速道路がどんどんできて、それとともに「お土産」が生まれて、一番売れたのはキーホルダーでした。
原田 それこそ昔、修学旅行とかでお土産屋さんに行くと、結構「ごつい」ご当地のキーホルダーがありましたよね。
澤田 「ごつい」と言われるものは、ほとんど当社の商品ですね。
地域の観光名所などをモチーフにした、インパクトのあるキーホルダー。
原田 あ、そうですか! 買いましたよ(笑)
澤田 あのポケットに入らないキーホルダーね(笑)。北海道の形をしたものだとか、あるいは金閣寺の形をしたものだとか、そういったタイプのものはほとんど当社の商品です。実は京都という土地は、昔売っていたものを今でも変わらずに売り続けるお店が多いんです。当社が手掛けて一番売れている商品は金閣寺の形をしたキーホルダーで、それをずっと売り続けています。おそらく、すでに何百万個は売っていると思います。
原田 そうですか! 今でも販売なさっているんですね。
澤田 今でも売ってますね。平成に入ってくると、今度は「ご当地キティ」ということで『サンリオ』さんが参入してきました。この人気でご当地キーホルダーの販売ゾーンを奪われてきて、それから私たちは撤退していくわけです。
Tad そうだったんですね。
澤田 今、地方に行っても、その県の形をしたキーホルダーは売ってないですよね。ほとんどはキティちゃんとかドラえもんとか、ウルトラマン、ワンピースなど。さまざまなキャラクターのお土産に販売エリアを取られました。それで私たちも商品展開を変えていくことになります。
平成に入った頃からは携帯電話、いわゆる「ガラケー」が流行り出しましたね。昔はガラケーにジャラジャラとたくさんつけていたものがあると思うのですが…?
Tad はい、ストラップをつけていました。
原田 いっぱいついてましたよ。
澤田 その中で一部、うちの商品があって。ちょっとファンシーなものを作ったりしました。お土産の売上が低迷した時代でも、携帯電話のストラップで売上が伸びましたね。
Tad なるほど。それにしても石川県の会社が全国のお土産……、いや、そもそも「お土産」という言葉を作ったぐらいというのは衝撃的です。
原田 そうですね。絶対、誰もが家に一つは桂記章さんが手掛けたものがあるんじゃないでしょうか。これってすごいことですよね。
澤田 ありがとうございます。さらに言えば、学校の校章や組章とか、あれも北陸三県のものは基本的に当社が作っていますし、日本中の学校のいくつかのバッジも作っています。
Tad 僕もつけていたってことですよね。
澤田 つけてましたね。だからユーザーさんですね(笑)
原田 ところで、『桂記章株式会社』の特徴というと、デザインから作るところまでを一貫して手掛けているということにあるのではないでしょうか。
澤田 一貫してできるというのは、日本には当社しかないわけなんですね。他のところは大体が町工場で、どこかからの注文で作るだけという会社が多かったんです。例えば大阪や東京であれば、ちょっと行けば町工場がありますから加工してもらえますが、当社は金沢で起業したために周りに加工する会社がなかったんです。
創業者である祖父はものすごくチャレンジャーで、技術はないけれどもメッキ工場を作るんだと言っていきなりメッキ工場を作ったり、金型工場も作ったり。その次は作ったものを売りに行くんだと言って自分で売りに行く。スタイルも他とは違います。他社は作るだけ、言われた数を作って、この納期でこの品数を納めるだけというところがほとんどだと思いますが、当社は作ったものを売りに行く。この機動力を持っているのが当社の強みです。今ではメーカー直販が多くなりましたが、当時にしてみれば、おそらく驚異的な会社ではありましたね。
Tad 僕の襟についているこのバッジも、実は東京にいる社員がこれを作れるところを探して、たまたま桂記章さんにたどり着いたんですよ。
原田 そうなんですか!
Tad はい。本当に全国区のトップランナーでいらっしゃるんですね。
原田 すごいですね。さて、澤田さんは21歳の時にお客様の会社に出向されましたが、これはやはり営業力を向上させるためだったんでしょうか?
澤田 私は創業者の孫なので、会社にいるとみなさんすごく優しくしてくださるんですよ。私はそういう環境が嫌で、厳しいところに身を置きたい、あえて辛くなるようなところに行きたいと思っていました。たまたまお客様の会社に電話をしたら、営業の人が辞めたんだと言うので「あ、これは」と思って、私を雇ってくれと申し出たんです。それで、「給料は安いよ」とおっしゃったんですが、「いやいや私は勉強がしたいんだ」と話をしまして。
勉強したいと言って名古屋に行ったものの、名古屋商人というのはとても厳しくて、自分が思っていた以上に苦労してげっそり痩せました。当時はガリガリでしたね。どこに行っても怒られて。名古屋に「たわけ」という言葉があるんですが、どこに行っても「たわけが」と罵られて。最初は自分の動きも悪かったんでしょうね。でも毎日こなしていくと、やっぱり要領がよくなって、仕事も上手く回るようになりました。その会社では、「ちゃんとした商売って何だ、営業って何だ、モノの売り方とは何だ、お客さんに喜ばれることって何だ?」ということを散々言われました。そんなに難しいことは言われないんですよ。徹底的に基本的なことをずっと言われ続けて、汗もかくわ、涙も出るわ、いろんなものが出ましたが(笑)、でも、そこでの2年間の学びが何十年と生きています。今でも辛いことがあったら思い出しますし、名古屋時代の商売の仕方というのが自分の基本になっているなと思います。
Tad その時に獲得されたスキル、知識というのはどういうものなんですか?
澤田 粘り強さというのでしょうか。根気強さ、後は忍耐ですね。理不尽なことも言われますし、名古屋弁で大変厳しいことを言われるんですが、その真意というものを自分なりに掴む努力をしました。無茶苦茶なことも言われるのですが、これは何かを成し遂げたいためにおっしゃってるんだなと。それを汲み取る力が鍛えられました。
当時は若かったですし、自分もいけなかった部分が多分あったと思うんですが、厳しく注意されました。「商売って何なのか、お客様のために君たちは何をするんだ」ということを、あれだけはっきり言ってもらえたということは、大変ありがたいことです。今、自分がその立場になって、そこまで人に言えるかというと、言えません。なんとなく「頑張ってくれよ」くらいしか言わないんですが、やはり人に対して物事を厳しく注意するというのは、とても大事なことだなということを今、あらためて感じますね。
Tad なるほど。今、このスタジオにお持ちいただいているこのきれいな、キラキラしている社章やピンバッジ、このいくつかも澤田さんがこれまで経験して得た粘り強さで獲得されたのでしょうね。ありがとうございました。

ゲストが選んだ今回の一曲

Survivor

「Eye Of The Tiger」

「無いものを形にするというのが私の仕事なんですね。お客様の思いを形にする。そのためにしないといけないことというと、頭の中の妄想力、空想力が大切なんですね。自分の気持ちを上げていって、自分でイラストレーターというソフトを覚えて、絵を描くんです。そうしないと多分、伝わらない。この曲をかけて、自分の気持ちやテンションを上げて、お客様の顔を思い浮かべながら、デザインをしていきます。それが企画書になるわけです。そのための大事な曲です」

トークを終えてAfter talk

Tad 今回はゲストに『桂記章株式会社』代表取締役社長、澤田幸宏さんをお迎えしましたけれども、いかがでしたか、原田さん。
原田 澤田さん、明るい方でしたね。こちらも元気をいただいた気がします。
Tad 元気いっぱいでした。
原田 何気なく家にあるバッジやキーホルダーが、『桂記章株式会社』のものなんだというのは驚きでした。
Tad 大半がそうなんでしょうね。
原田 会社のスタートの部分をいろいろお聞きできて、すごく興味深かったです。
Tad そうですね。「お客様の思いを形にする会社です」と言われましたよね。キーホルダー、ストラップ、社章みたいなものって、モノづくりそのものは中国に移っていってもおかしくないような話だと思うんですけれども、社章や校章というものは、その社員や生徒にどういうふうに振る舞ってほしいか、そのあるべき姿、ありたい姿を、結晶みたいに表現したものなんだと思います。
昭和30年代の登山バッジとか各地のお土産のキーホルダーも、観光地に行った時の思い出をこれもまた結晶のように表現できるものですし、車で観光するという文化に合わせたキーホルダーや携帯のストラップだとか、そういう時代ごとの人の意識が集まっているところに、アイコンとして、記憶とか自己表現というものをうまく捉えて形にしていらっしゃるんだなと思いました。
たとえ日本のモノづくりが海外に広がってしまったとしても、思いを形にするというところを表現され続けていることが、『桂記章株式会社』が強くあり続けられる理由なんだなと思います

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